昨日、一昨日と、津の赤塚高仁さんのログハウスで入江富美子さんの『へそ道』を受けてきました。
赤塚さんのログハウスは、赤塚さんが、まだ県営住宅に住んでいる頃、あまりに来客が多いので、気兼ねなくもっとたくさんのお客さまを呼べるよう建てたんだそう。そのとき、赤塚さんはまだ33歳。小さな県営住宅に住んでいるのに、大勢のお客さまが泊まれる大きなログを建てちゃうなんて、その後の赤塚さんを象徴しているようです。
今回の『へそ道』は、入江さんの師匠である中山靖夫先生の奥様や一番弟子さん、そして赤塚さんご夫妻に『へそ道』を受けてもらいたくて企画されたもの。プラス、赤塚さんが親しい人たちに声をかけて、ごくごく内輪のメンバーのために開催されました。
テンプルでも『へそ道』は何度も主催していますが、やはりなかなか私はワークに参加できず(私がワークに参加すると、相手の方も緊張されますし・・・)、今回は、私がイチ参加者としてフル参加できた3回目。入江さんのお話しは、すでに10回以上(もっとかも)聞いてますが、それでも、入江さんが話す同じ話題に笑い、考え、なるほどと思い、そして毎回、ふーちゃん、凄いと感心しています。
私は赤塚さんにも『へそ道』を受けてほしくて、過去何度も誘ったのに、そのたびに気のない返事。でも今回はじめて受けてみて、赤塚さん、入江さんの『へそ道』の内容に感動しまくってました。
サウロがパウロに変身しました。
ひさびさに行った赤塚さんのログハウス。
先日、和歌山の島村不二夫さんが亡くなられた直後ということもあり、不二夫さんのことも何度も話題になりました。
初めて知ったことですが、
赤塚さん、不二夫さんとはもうずいぶん長い友だちだったのかと思っていたら、知り合ったのは、2008年に行ったイスラエル旅行にて。
ということは、間接的ではありますが、私は、お二人の友情のキューピットだったんですねー。そして、実は、2008年のイスラエル旅行の企画が生まれたのは、このログハウスだったのでした。
私の1回目のイスラエル旅行直後に、私は兄と赤塚さんのコラボ講演会を企画し、それが大好評だったので、すぐに2回目も開催しました。
そして、2007年の7月7日。
赤塚さんが企画し、津で開催された『1/4の奇跡』の映画上映会後、ログでの打ち上げで、私は「3回目の光田&赤塚のコラボ講演会は、イスラエルでの開催だよー」と叫んでました。その一言で次のイスラエル旅行が動きだし、実際に3回目のコラボ講演会をイスラエルで開催し(もちろん、聴くことができたのはツアーの参加者のみですが)、ツアーに参加された島村不二夫さんご夫妻と私たちは出逢うことになります。
7月7日の不思議な符合は、
こちらのブログに少し書き残しています。
ちなみに、この7月7日の映画上映会と打ち上げに参加していたのが、浴衣姿の入江富美子さん。
今の入江さんからは想像もつきませんが、あの日の入江さんはほとんどみんなの前で喋ることがなく、私はなんと無口な女性が参加しているのだろうと思っていました。翌朝、彼女こそが、あの映画を作った人だよと聞いて「お話しすれば良かった!」と、その女性に話しかけなかったことを後悔したくらいなんですが、本来の入江さんがあんなにお喋りだったなんて!
その事実を知るのは、ずっと後のことです・・・。
この時の映画上映会、最初、私は東京ですでに別の予定を入れていました。映画も、東京では自主上映会がアチコチでされてましたから、わざわざ予定をキャンセルし、新幹線に乗ってまで、津に映画を見に行くつもりはさらさらなく、赤塚さんに誘われるたびに私は「行けない」とお返事していたんですが、何故かこの時の赤塚さんはとてもしつこかった! 断っても断っても、誘われてしまう。とうとう、そのしつこさに根負けして参加したのです。
そのしぶしぶ行ったイベントが、予想外の人生の展開を生み出していくわけですから、人生は本当に面白いです。
「1/4の奇跡」の映画の重要な場面も、赤塚さんのログで撮影されています。
山元加津子さんの映画撮影に人が来ると聴いて待っていたら、家庭用のハンディカムを抱えてログに入ってきたのは、入江富美子さん。てっきり本格的な撮影前のロケハンみたいなのかと思っていたら、あの日に撮したものがそのまま映画になってビックリしたわーと赤塚さんは何度も言っていますが、あの映画も含め、ログで始まったことは多いんでしょうね。
そして、昨日知ったことですが、入江富美子さんの話によく登場してくる米沢の牧師の
田中信生先生。なんと、最初のイスラエル旅行で、バラさんが山元加津子さんに「この本を読んでほしい」とプレゼントしたのが田中信生先生の本。そして、イスラエルのバラさんが日本に帰るたびに牧師の勉強に行っていたのも田中信生先生でした。
山元加津子さん、バラさん、入江富美子さん、赤塚さん。
誰もお互いを知らず、知ることもなく、小松とイスラエル、大阪と津とてんでにバラバラに暮らしていたのに、ご縁の糸は見えない世界でたぐり寄せられていたんですね。
ご縁の糸がグルグルひとまわり。
こういうとき、私の頭の中では、ラヴェルのボレロが鳴り始めます・・・。
頭の中のボレロのメロディが最高潮に達したとき、赤塚さんのログに集結させられてしまった人たちの人生には、いったい何が起こっているのでしょうね?