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パワー・オブ・タッチ(その2)


昨日に引き続き、『パワー・オブ・タッチ』のご紹介。
内容を引用するのは、第3章(幼い子どもにふれる必要性)からです。


1248年、ドイツのフレデリック2世は、言葉を聞くことなく育った子どもが何語を話すのか調べるために、とても残酷な実験を行っています。生まれたばかりの赤ちゃんを母親から引き離し、乳母に預けました。ミルクは与えたでしょうが、その乳母は赤ちゃんに話しかけることも触れることも禁じられていました。

果たして、そのように扱われた赤ちゃんは、一体どのような言葉を話し始めたでしょうか?

実はこの実験は失敗に終わりました。言葉を話す年齢になる前に、全ての赤ちゃんが死んでしまったからです。

なんと愛のない実験!

しかし、同じような育児法が19世紀初頭のアメリカでは主流でした。ホルトとワトソンという博士によって推奨された最新の育児法は、赤ちゃんを孤独のまま育てるに等しいものだったのです。

ワトソン博士が書いた本には『母親の必読書』と推薦されていたそうです。
『良識ある子どもの扱い方・・・決して抱きしめてもキスしたりしてはならない。膝に座らせたりしてもいけない。どうしてもキスしなければならないとき、子どもがおやすみを言いに来た時にいは、額に1度だけすること。朝、子どもと握手しなさい。難しいことを子どもが首尾良くやり遂げた時には、頭を軽く叩いてあげなさい・・・』


ホルト博士の育児法も負けず劣らず凄まじい。
『ゆりかごは捨てなさい。赤ちゃんが泣いても抱き上げてはいけません。時間がくるまで授乳してはいけません。必要なおむつ替えや授乳の時以外、むやみに抱いて甘やかさないこと』

これが主流の育児法だったなんて…!残酷で、愛情のかけらもない。赤の他人だって、赤ちゃんが泣いていたら抱き上げてあやしたくなりますよね。 それは人間として、生き物としての本能みたいなもの。それこそ赤ちゃんが求めているもの。なのに、その本能的な行為を真っ向から否定しています。

このワトソンとホルト博士自身は親の愛に包まれた経験なく育ってしまった人なのではないでしょうか。親との暖かな記憶が1つでもあれば、こんな機械のように赤ちゃんを扱う育児法を提唱するわけないと思うのですが・・・。

しかし、恐ろしいことに、この育児法に基づき、当時の子どもたちは育てられ、いまだアメリカで生き続けているらしいのです。こんなことしか書いてない育児法やマニュアルなんて、くそ喰らえ、です。

しかし考えてみると、今の日本では、病院で出産すると、よほど母子関係にポリシーのある病院でないかぎり、ほぼ100%に近いくらい新生児室に連れていかれてしまいます。母体を休ませ、病院サイドも赤ちゃんを一元管理できるというメリットもあるのでしょう。でも、そこには赤ちゃんが本当に必要としているニーズはほとんど顧みられていません。

私は生後すぐ、田舎の産院から大きな病院に転院させられ、しばらくの間、母親と引き離されてしまった一人。この本には新生児、乳幼児がいかに母親とのスキンシップを必要としているかが書かれているんですが、それらを読み進めるにつれ、私は自分のこの人生を、なんと孤独な環境の中でスタートしてしまったのかと、当時の赤ちゃんである自分を想像すると、本当に痛々しく可哀相になってきます。

泣いてもすぐに抱き上げてはもらえなかったでしょうし、母親の胸のぬくもりの中で母乳を飲む機会もなかったでしょうし・・・。

いまも、色んな事に諦めが早いのも、ちょっと人間嫌いなところがあるのも、もしかしたら、この時の経験が魂の奥底で残っているからかもしれませんねー。

*母親のために、フォローをしておくと、その後の私は母親ベッタリの育児を受けています。母は自宅で仕事をしていたので、常に私は母の背中におんぶされ、床に降ろすと泣く、母がトイレに行くと泣くという子どもだったそうです。ただ、母の背中に始終おぶられていたせいで、しっかりO脚(涙)


さて、赤ちゃんが母親から肉体的なケアを受けること(泣いたら抱き上げられること、ふれられること)がいかに大切か、著者は興味深い示唆をいくつも書いています。

その一部をご紹介します(少し短く書き直している部分があります)
ある研究では、出産直後の4時間に優しく愛撫された平均的新生児は2分しか泣かないのに対して、母親から離されて新生児室のベッドに寝かされていた新生児は38分泣く、という結果が出ています。

長いこと泣かせておくことで、赤ちゃんは想像以上にストレスを受けています。赤ちゃんにかなりのダメージを与えているのです。泣くことで蓄えていたエネルギーは消耗され、カロリーは消費されます。それに赤ちゃんはへとへとに疲れてしまうでしょう。

赤ちゃんには出生直後からのお母さんとのコンタクトが必須です。そうすることで、身体が暖まり、呼吸と脈拍が安定し、びっくりするような反射は少なくなります。

それまで原因不明だった乳幼児の死亡の原因について研究が行われ、タッチが足りないこととの関係性が指摘されたのは第二次世界大戦後でした。優しい愛に満ちたケアが適用されたところでは、乳児死亡率が劇的に減少しました。子どもが生きて、健康に発育するためには、抱きしめたり、優しく愛撫したり、優しく言葉をかけたりすることが必要です。こうしたからといって決して子どもは暴君になりません。ほとんどふれられずにいると、赤ちゃんは死んでしまいます。実に簡単なことです。タッチは生きるために必要なのです。

(猿を使った実験で)布でできた動かない母親に育てられた猿は、社会的に孤立した時の影響を示しました。代理母が動かないので、小猿は自分で繰り返し身体を揺すっていました。動く代理母を使った場合には、小猿は身体を揺すりませんでした。赤ちゃんには揺する動きが必要であることが分かります。何かの理由で動くことができなかった乳幼児、子ども、大人は、怒りや暴力にはじまり、おかしな考えを抱いたり、多動になったり、考えがまとまらなくなったり、様々な情緒障害を起こします。

泣くとすぐにふれられたり静かに揺すられたりしてきた赤ちゃんは、泣いても放っておかれた赤ちゃんに比べ、3歳までにより自立します。

生後3ヶ月になるまで、毎日最低3時間は母親に抱かれていた赤ちゃんは、そうされていなかった赤ちゃんよりずっと順調に育っていました。毎日約2時間長く抱かれていた子どもは、驚くべきことに泣く率が43%低かったのです。とりわけ夕方の忙しい時間帯には、そうした赤ちゃんは泣く率が51%低いことを、カナダのマックギル大学医学武のフンジッカーとバールがつきとめました。

親にスキンシップを求めている時に、その求めに応じてもらえなかった赤ちゃんは、「不安を隠すアタッチメント」になります。つまり、親が子どもを抱き上げてあやさずに、子どもの要求をはねつけていると、やがては子どもは自己防衛機能として、自分の感情を表に出さなくなることが分かっているそうです。つまり、赤ちゃんは、自分が最も不安で動揺しているとき、一番母親を必要としているときに、母親を避けるようになります。再び拒絶させらえるのを避けるためです。そういう赤ちゃんは、人を信頼せず、親密な愛情を抱くことができない大人になってしまいます。きっと自分の子どもを自分が扱われたと同じように扱うようになるでしょう。このようにしてタッチしないという悪習慣が綿々と続いていくのです。


自分が子どもの頃、親から十分なタッチを受けていなかったと愕然としてしまう方も、自分の子どもに対し、十分な触れあいをしてこなかったことに気がついた方も、これから、周りの人とふれあうことはできます。

10代の男の子はむやみに触られるのを好まないと思います。でも、その代わり、彼らは武道やスポーツで仲間と肉体的に触れあってます。大人も、自分からふれることができなくても、マッサージを受けたり、整体を受けることができます。人間に触れられない人や子どもも、犬や猫の世話をしたり抱きしめることは出来るかもしれません。

そうやって代替のふれあいを、私たちは、無意識に受けたり、したりしているんですね。

第2章(「ふれる」という感覚について)の最後に著者はこのようなことを読者に問いかけています。
タッチは、この世界に対しての、あなた自身の身体表現です。手を伸ばしますか。 控えめに歓迎しますか。それともちょっとためらいますか。 腕組みして抵抗しますか。まったく避けることもできます。

ふれたりふれられたりすることは楽しいことでしょうか。なんだか自分の存在が脅かされているような恐ろしさがあるでしょうか。とても勇気がいることでしょうか。

私たちはもう赤ちゃんではありませんから、身体にふれる以外にも愛を交換する方法は知っています。ただタッチは、どれくらい私たちが愛せるかを測る物差しです。何かのためにタッチが必要なのではなく、タッチそのものが必要なのです。

タッチはあなたが人生、経験、友情、愛とどうかかわっているかの象徴です。

タッチは力強く、愛しいものです。でも同時に、幼い時にタッチと結びつけた意味や感情と向き合うことも求められていますから、自らの存在を問うようなちょっと怖いものでもあります。


私も含め多くの人が、出逢った人に対し、そして新しい世界に対し、大きく手を広げて歓迎するのではなく、腕組みして抵抗したり、警戒心から心を開くのを避けてしまうのではないでしょうか?

なんか、それってつまらないなぁと思います。周りの人や好きな人、新しい世界に自分から手を伸ばすのは、最初は勇気がいることかもしれません。でも、出来ないままをずっと続けていても何も始まらない。必要なのは、ちょっとの勇気と練習かな。
by hiroshimapop | 2015-11-15 09:40 | おススメBOOKS | Comments(5)

パワー・オブ・タッチ


10年近く本棚に入れたまま、ずっと読まずにいた1冊。今週、ようやく手にとりました。

三砂ちづるさんが書かれた本だと思ってましたが、翻訳本でした(著者より翻訳者が目立つ装丁デザインは、かなり残念)。すでに版元で品切れで、この本の入手は中古か図書館で見つけていただきたいのですが、三砂さんが書かれた『抱きしめられたかったあなたへ』が、同内容かと思います。

この本は、「人とふれること」「ふれあうこと」がいかに人間にとって大切なことなのかが解説されたものです。ふれることは、酸素や水、食事や排泄、睡眠や休息と同じくらいに必要な「生存ための基本的ニーズ」である、犬や猫は簡単に手に入れているものを人は手に入れていない、とも書かれています。

動物は常にお互いを触れあっています。自分の子どもがケガをすると親である動物は子どもを舐めたりさすったりします。でも人間は、自分の子どもがケガをすると「泣くんじゃないの!」と怒られ、絆創膏を貼られて終わり。そうやって、私たち人間は大人になっていくのです・・・。

私はまずこの本が、アメリカ人によって書かれていたことに驚きました。日本と違って、ふれることを十分満たしている文化じゃないの?と思ってました。

欧米の人たちは、日本人に比べ遙かにハグをします。親子、友だち、知人に対し、軽くであっても、会えば常にハグをしたり、頬にキスをしたりしているように思います。映画でもドラマの場面でもそうですし、実際、何度か遊びに行ったバージニアビーチやアリゾナ、テキサスでは、人は出逢うとき、別れるときは、ハグは必須、でしたし・・・。
*巨体のアメリカ人にハグをされると私はその身体に埋もれてしまうので、ハグが嫌で逃げ回ってしまうくらい、滞在先ではハグは日常でした。が、考えたら、ケイシー関係の人やローフード施設といった場所が私の主な滞在先です。フツーのアメリカ人家庭はそんなことはないのでしょうか? よく分かりません・・・

いずれにしても、そんなアメリカ人が「ふれあいやふれあうこと」を不足と感じているなら、日本人は、いったい、どうしたらいいのですかー!と絶望的な気持ちになってしまうほど少ない、ふれあいレベル。この1週間、誰か人と肉体的に接触したのは、満員電車の中で知らない人とだけ、それも嫌々という有り様の人、多いんじゃないでしょうか?

赤ちゃんの場合、栄養は十分でも、人とふれあうことができなければ死んでしまうくらいに大切な「さわってもらうことや抱きしめてもらうこと」。

この本は大切なメッセージがてんこ盛りでした。

なお、この本でテーマになっていることは、性的なふれあいではない、でも、心のこもったふれあいです(性的なふれあいについて書かれた章も、もちろんありますが)。思春期あたりから、人にふれること、特に異性にふれることは、=性的なこと だと思い込んでしまうのは残念なことです。

この本に『言葉では5分もかかるのに、ふれれば5秒で愛情が伝わります。嫌なことばかりあって落ち込んでいる人には、あれこれ励ましの言葉をかけてあげるより、抱きしめてあげるほうがずっと慰めになります。暖かく身体を抱いて迎えてあげれば、それは「あなたに会えてとっても嬉しい」という意味です』と書かれてましたが、まさにそう。

夫婦や恋人同士であれば、なおさら。
最近日本では、寝室を一緒にしないだけじゃなく、全く肉体的にふれあわない夫婦も増えてますよね。そういう夫婦は、喧嘩したとき、いったいどうやって仲直りするんだろう?と私は常々思っているんですが、ふれあったり抱き合ったりしない仲直りって、仲直りしたようで、互いの心の奥底では寂しさが積み上がっている気が私はします。


親子でもふれあいは大事。
そういえば、母の病気が見つかったあと、私は当時1ルームの部屋に住んでましたが、東京の大学病院に通院してもらうために、その1ルームの部屋で母と一緒に暮らし始めました。元気だけが取り得だったのに手術の後はずいぶんと弱ってしまって母と出かけるときには母の腕を組んで支えるように買い物に行ったりゴハンを食べに行ってました。私はそれを何気ない行為としてやっていたんですが、母はそれがとても嬉しかったようで、母の姉たちから電話があると「今日、なおちゃんが腕を組んでくれて一緒に**に行った」「**にゴハンを食べにいった」とよく話してました。一緒にどこかに行った、というだけじゃなく、娘と腕を組んで歩いたこと、娘に肉体的に支えられていたことが母にとっては嬉しかったんだなーと、あらためて、この本を読みながら思い返してました。


第1章(ラビング・タッチ 「ふれる」という愛)から、「ふれるということ」について著者が述べている言葉をいくつかご紹介します。
私が伝えたいのは「ふれることは愛すること」です。あなたの周りをよく見てください。ふれるということがあまりないことに気づくはずです。あったとしても、限られた行為が、限られた人に、限られた程度に行われているだけでしょう。

人と人との関係において、私たちは優しく、暖かくふれることで愛情を表現します。ふつう相手を肯定したり、励ましたり、応援したりする言葉で愛情を表現しますが、一番強い愛情を感じるのは愛情をもって身体にふれられたときです。私たちは心の奥底ではふれられたいと思っているのです。

誰かに抱きしめられたりなでられたりすると、相手が自分のことをどう思っているかわかります。本心を隠すことは容易ではありません。言葉を使えば、話をぼかしたり、あいまいに言ったり、あることを話しているように見えて実はまったく別のことを言うこともできます。「ふれるということ」はそうはいきません。「ふれるということ」は心に直接語りかけます。

人を愛する過程では、ふれることが自然で健康なのです。心の健康にも身体の健康にも必要なのです。そうして自尊心が育まれると研究者は考えています。何かの理由で人を愛することもふれることもやめてしまったら、他人の健康だけでなく、自分の健康も害しはじめます。


私たちに足りないビタミンT(タッチすること/ふれあうこと)。
子どもはもっと、そして生まれたばかりの赤ちゃんや乳幼児はもっと必要としています。子どもがいかにふれることを必要としているか、については、またあらためてご紹介したいと思います。





by hiroshimapop | 2015-11-14 12:06 | おススメBOOKS | Comments(1)

ユルかしこい身体になる


先日の三枝龍生先生の小周天講座で、最近の人は胸が閉じている、というお話しをされていました。そして胸を開くことがとても大切だとも・・・。

少し前に読んだ片山洋次郎氏の『ユルかしこい身体になる』には、胸が閉じている原因は、現代の情報過多の社会そのものが関連していると書かれてありました。片山先生によると、中年以降の身体と、今の若い人の身体は全く違うそう。そして植物のような若い人たちの意識や生き方は、この情報過多の世の中を生きていくうえでの身体が編み出したある種の知恵のようなものだとも。

身体そのものがすでに変わっているわけですから、「今の若いものは!」と言っても無駄で、日本人の身体はすでにそうなっている、ということを前提に、我々中年以降の人間は、彼らにつきあったほうが、精神衛生上よいようですよ。

少し長いですが、この本の第1章から抜粋してご紹介させていただきます。

現代人の胸は情報量の激増により過敏化している。その兆候は、大都市で街ゆく人々の身体を観察するだけで見て取ることができる。

たとえば、東京の渋谷などの交差点に立ってみる。複数の巨大な動画スクリーンと無数の広告が、否応なしに視界に飛び込んでくる。光のラッシュと明滅。スピーカーからは、アップテンポの音楽ビートや訳のわからないナレーションが降り注ぐ。信号待ちしていると、老若男女、さまざまなファッションに身を包んだ人々に取り囲まれる。人々の会話は洪水のように耳に入ってくる。電磁波はどれほど飛び交っているのか見当もつかない。まさに情報のシャワーだ。(中略)

こういう時に身体はどうしているのか。

都会の交差点に立つ人たちの姿勢を観察すると、ひと昔前に比べ、明らかに胸が縮んで上体が前屈みだ。少し猫背気味といってもいい。(中略)

なぜ、このような姿勢の変化が現れるのか。膨大な情報に晒されると、センサーである胸の真ん中が活発に細かく運動しているため、自然と上体が前のめりになる。(中略) 頭で考えてそうなっているのではなく、身体の防御機能が勝手に働いてそういう姿勢になっているのだ。(中略)

情報に対して興奮度が高いままの状態が続くと、胸の真ん中が固まってしまう。そうなると、今度は情報の流れについていけなくなる。友人や知人との会話の流れにもついていけない。膨大で流動的な情報の流れについていくには、何かを覚えたら忘れ、また別のことを覚えたら忘れというように、情報に対し頻繁に意識のリセットを繰り返す必要がある。これは身体の側から見ると、胸の真ん中にある情報センサーを、非常に高速かつ細かく、縮めたりゆるめたりする必要があるということだ。(中略)

整体の視点から見れば、情報は頭だけで処理するのではなく、身体で処理するものである。当然のことながら、現代の20代と中年以上の世代では、情報に対する身体の感受性に大きな違いが生まれる。

膨大な情報に触れていると意識を頻繁にリセットする必要があり、(略) 個人差もあるが、今の若い人は胸の反応が非常に早い。彼らと中年以上の反応速度を比較すると、自動車とロケットほどの差がある。(中略)

情報のセンサーである胸の動きは、骨盤の真ん中にある「仙骨」の動きとも連動している。(中略)

身体は本来、息を吐ききった時に一番リラックスすることができる。これは仙骨が十分に前に傾ききった時にリラックスできるということでもある。呼吸が安定していて、この仙骨の動きの前後運動が十分にできていれば精神的にも安定した状態だといえる。

しかし、情報に対し胸が頻繁に反応していると、息を吐ききる前に慌てて息を吸ってしまいやすくなる。胸が、細かい情報に反応するために頻繁に縮んだりゆるんだりしていると、この胸の動きに骨盤の動きがついていけなくなる。すると、仙骨を中心とした骨盤は後ろに傾き気味の状態で固まってしまう。そして今の若者の身体は、こういう状況になっているのが普通である。


テンプルのお店の近くに、大きなパチンコ屋さんが出来ました。毎日そこの前を通るので、ドアが開くたびに大音響が聞こえてきます。

お客さんは、数時間という時間を過ごすだけにしても、そこで働いている人たちは、館内に響く大音響と繰り返される光のフラッシュの中に1日いることになります。となると、1日中浴びている情報量たるや凄まじい。しかも、自然の音や光ではなく、すべて人工的で心にも身体にも暴力的さえある。若い女性スタッフも多そうなのですが、数ヶ月、1年と働いていたら、いったい彼女たちの身体に何が起こってしまうのでしょう・・・。 自分を守るために閉じさせてしまう感覚も多いのではないでしょうか。少なくとも、ときどき、ボディワークを受けられるといいのですが・・・。

風水のマークが、自宅に置く棚は、オープンではなく扉つきのものを勧めている1つの理由が、視界に入ってくる情報量を減らすため。家具屋さんや通販カタログで見たときには素敵だと思っていた棚も、家に設置してモノを起き始めると、いろんな色や形、素材でゴチャゴチャし始めてしまいます。でも扉があれば、中身がどうであれ閉めればスッキリ。

目にうつるもの聞こえるもの、すべては情報であり神経は常に緊張を強いられている、とは普段誰も思わないでしょうが、外だけではなく、室内でも情報過多が続くと、人の身体は、だんだん胸を閉じ、感覚を閉じてしまう・・・。


さて、そんな情報過多のなか、閉じてしまいがちな胸を開くには・・・

いろいろ方法はあると思いますが、青木宏之先生が創られた新体道のこの型はいかがでしょう? 青木先生が指導されている動画がありました・・・。



      旅先でされているのが気持ち良さそうなので、こちらもついでに・・・





by hiroshimapop | 2015-11-10 13:27 | おススメBOOKS | Comments(0)

トーマスからのメッセージ


これは不思議な本です。

すでに版元で絶版になっているので、中古が入手できなければ、図書館で探すか、英語のオリジナルで読むしかないのですが、興味があればぜひ探してみてください。

ここのところ、私は著者ジェームズ・トワイマンの本をまとめて読んでいます。著者は、地球上に存在する紛争地域に行き、平和の歌を歌うという「平和の吟遊詩人」。その平和の旅の過程で、神に導かれているとしか思えない体験を次々としていくのですが、この本は、ブルガリアの僧院で訓練をうけているサイキックの子供の一人、トーマスと交わした会話や、彼から著者の意識に送られてくるメッセージをもとに書かれています。

トーマス少年と出逢うことになったキッカケについて、著者はこう紹介しています。

2001年の1月、サンフランシスコで講演をしたときに、ブルガリアのマルコという少年に会いました。彼が信じられないようなスピリチュアルな旅へ誘ってくれました。マルコはサイキックな少年でしたが、自分が持っているサイキックな才能についてまったく当たり前のように話していました。私が驚いた様子を見せると、同じ能力が欲しいですかと聞いてきました。それから、手を差し出して、彼の指に触るようにと言ったのです。

そのことがあって3日後、私の人生は一変したと自覚せざるを得ませんでした。私は、意のままに金属を曲げ、他人の心を読み取ることができるようになっていたのです。(中略)

ブルガリアでは、サイキックな子供たちが訓練を受けている僧院へと導かれました。そこで、彼らと同じような能力を持った子供たちが世界中にたくさんいるという話を聞かされました。このような子供たちの最大の使命は、ひとつの単純な質問に要約できるというのです。彼らは世界中の大人たちにこう質問したいと切望しているのです。

自分が愛の使者であると知っていたなら、あなたは、今、この瞬間にどのように行動しますか? 何をしますか?

この質問に答え、さらに、その答えを生きると何が起きるのでしょうか。真実を片時も忘れたことのない私たちの内なる場所が活性化されるのです。ついにスピリチュアルな目が開かれると、神の恩寵と聖なるありさまがあらゆるところに見えるようにあります。(中略)

この僧院に住んでいた子供の1人がトーマスでした。彼には他の人に思いを送ることができる特別な能力がありました。非常に遠い距離でもそれが可能でした。


アメリカにいる著者はブルガリアのトーマスからのメッセージを遠隔で受け始めます。クジラやイルカが大量に海辺に流れついてしまう理由や彼らの役割についてもトーマスは説明しています(私にはよく理解できなかったのですが・・・)。

そしてトーマスが著者に伝えたメッセージの1つがこれ。
ふりをしなさい。

あなたは光に満たされた存在である
ふりをしなさい
あなたは神に愛されている
ふりをしなさい
あなたはいまのままで完全である
ふりをしなさい

深呼吸をして
真実であることに自分がなっている
ふりをしなさい

そうすれば、すべての意味が分かるようになるでしょう。


ふりをする。
ケイシーも霊的成長をするための第一歩として、まねる、練習することを勧めています。

ふりをすることについて、トーマスはこう伝えています。
もしも神があなたのふりをしている中心点にあなたがなれるのなら、流れを逆転させることができるのだ。そこが難しいところだけど、あなたは神のふりをすることができるってことさ。わかる? 神があなたのふりをするっていうことは、あなたが神のふりをすることと同じなんだよ。(中略)

あなた方は神と一体になるために地球にきているのでしょう?

そうじゃない? でも、ここまで行くことを自分にゆるしてこなかったんだね。どうしてかっていうと、自分にそんな価値はないと思っているからだよね。それでこのプロセスを妨害することなら何でも無意識にやってしまう。その結果神のところまで上昇して戻っていないんだ。下降することは自分にゆるしたけど、本当の自分以下の存在であるふりをしているために、神のところまで上昇して戻っていないんだね。


短くシンプルな言葉。
とはいえ、自分のなかに根付くまでには、まだまだ時間がかかりそう。


それにしても、ブルガリアにそんな僧院があるなんて。
どのような訓練を受け、そして、どのような大人になっているのでしょうか? そっちにも興味は尽きませんが、この本が入手できなければ、同じ著者が書いた別の本もどうぞ。




by hiroshimapop | 2015-10-24 16:19 | おススメBOOKS | Comments(0)

ひっそりとスピリチュアルしています


子供の頃から「見える系」だった著者の霊体験や神社仏閣での体験をつづったブログをまとめた本。Amazonで何か本を注文したら「この商品を買った人はこんな・・・」でオススメされていたので、まんまと買ってしまいました。広島県出身の1962年生まれだそうで、それだけでも親近感を感じてしまいます(笑)。

この本に書かれているのは、いち個人の体験、体感なので、これが正しい、そうに違いないと思うのは危険ですが、私は個人的に眷属(神様の下で働いている自然霊や聖獣)やお稲荷さんとのつきあい方などは面白く読みました。

紹介したい箇所はいくつもありましたが、著者が前世でイエスと遭遇した際の描写が、ケイシー的でいいかなと、その部分を書き出してみます。


「ダ・ヴィンチ・コード」という映画が上映されていた頃、著者は元夫とその映画を見、元夫と「イエスも人間だから結婚たり、子どもをもうけていたり、一人の女性を愛していたとしても不思議ではないし、そっちのほうが自然だと」言いあっていたそうです。

その数年後、著者は自分が前世でイエスと触れあっていたことを思い出します。
以下、その時の描写です(少し短く書き出しています)。

エルサレムに生まれた私は、男の子でした。まだ少年の奴隷でした。親に捨てられたのか、売られたのかは定かではありませんが、とにかく奴隷として働いていました。

そこの家は、キリストを支援している人の家だったと思います。連日、人が集まって何やら議論しています。晩ご飯を食べながら、いろんな会議っぽいことをしています。家の人とお客さんは大きなテーブルで食事をしています。その家は裕福だったようです。

私の名前は、ハンジャとアンジャの中間みたいな発音をする名前です。住んでいたのは、ハッサンという町(通り?)です。

私は奴隷ですから、器に食べ物を入れてもらっても、テーブルで食べることは許されません。部屋の隅っこにうずくまって、素焼きの深皿を抱えてガツガツと動物のように食べています。ガリガリに痩せています。

そんなある日、キリストが来て、私はキリストの泥というか砂で汚れた足を一生懸命洗っていました。すると、キリストが私の頭に手を置いて何か言いました。痩せこけて汚い姿の奴隷の私はビックリしました。顔を上げるとキリストが私に微笑んでくれていました。

キリストは波動が神様並みに高く、その波動を持ったまま肉体に入っているので、キリストの周囲の空間は明らかに歪んでいました。暑い夏のかげろうのように、歪んで見えるのです。キリストのオーラは太陽のように白く眩しく輝いていて、ハッキリ見えます。

オーラはほぼ物質化しかけていて、触ったら確実に感触があったと思います。頭に置いてくれている手からのエネルギーがすごかったです。見るからに「普通の人」ではありませんでした。

前世のその時に見たキリストをハッキリと思い出した私の考えは一変しました。

神様並みの波動を持ち、あの後光を放っている人が、恋愛感情を持つとは思えないのです。まして子供をつくる行為は、しようとも思わないでしょうし、体の周囲の空間が歪んでいるくらいの波動エネルギーなのです。実行するのは不可能ではなかろうかと思います。(以下略)


(そして、この夢とは別に、著者は瞑想中に、宇宙と一体化する体験をしました。その時の出来事です)

キラキラ輝く星に混じって、銀河がゆっくり回転しているのも見え「すごいなー、美しいなー」と見とれていると、その宇宙空間に神々の姿が浮かび上がって見えてきました。

姿といっても、光なのですが、その光が下からずっと上空というか、彼方へと続いているのです。神々にはどうやら等級があるようでした。手前から、高級になるにつれて、上へ上へと昇っていくみたいです。

そのはるか上空に、キリストがいるのが見えました。もちろん光でしか見えませんが、なぜか、キリストとハッキリ見えるというかわかるのです。

キリストという人間が死んで、それから徐々に神様になったのではなく、もともと霊格が高い神様が何かの事情で地上に生まれてきた、それがキリストだった、私にはそう見えました。


先日、大峰山の仙人と云われる神直先生とお会いすることができました。身近にお話しさせていただいたのですが、先生のそばにいるうちに、グルグル身体のなかに渦巻きが起こり、テーブルの前に座ってお話しを聴いているだけなのに、車酔いみたいになってしまいました。

「うわー。なんだか身体がグルグル廻る~」思っていたら、神直先生が「私とあなたとはエネルギーレベルが違いすぎるから、ずっと一緒にいると命が短くなるかもよー」と。

心の中にフト浮かんだことがすっかりお見通しでした(笑) 


神直先生は結婚されていますが、その先生でさえ、そばにいるだけで一般人の私はグルグルしてしまうんですから、イエスはさらに、強い光やエネルギーを発していたのかもしれません。

ただ、当時の人は今の私たちとは違い、大自然の中で普段から神と親しい関係を結んで生きていたでしょうから、たとえ、イエスのそばにいっても船酔い状態にはならなかったとは思いますが・・・。


いずれにしても、私は、イエス・キリストという人は、一人の大工がある日、聖霊に打たれて神になったのではない。人間の魂を救うために、神のサイドで永遠ともいえる長い時間をかけて準備し、そして地球でも、時間をかけてキリストの魂を持ったまま生きることのできる純粋な肉体を準備した末に地上に送り込まれた神のひとり子だと思っているので、青年となったイエスがマグダラのマリアと夫婦となり、子どもをもうけていた、というイエスも普通の男性だった説ではなく、幼い頃から神から与えられた使命を自覚し、霊的な英才教育を受けて育ち、独身を貫き、一人の女性に対し、特別な恋愛感情や肉体関係を持つことはなかった、という説に一票です!

イエス・キリストの誕生にまつわるストーリーはこちらをご参照下さい


by hiroshimapop | 2015-10-09 15:48 | おススメBOOKS | Comments(0)

世界の中にありながら世界に属さない


吉福伸逸の言葉』に引き続き、吉福伸逸さんの最後の遺稿だという本を読んでました。遺稿といっても吉福さんが書かれたわけではなく、吉福さんがされた講演録をまとめたもの。ほんの30人を対象に4日間にわたって吉福さんは自らについて語られたらしい…。

なんと贅沢な…。

~最終章から~
ぼくが日本に帰ってきたときに強く感じたのは、人は成長しないということでした。多くの人たちがある特定のところまでくると自分自身で成長を止める作業を始めると強く感じたのです。(中略)

もちろん外から見るといろいろな変化が起きているように見えますが、実際の内面の深い部分では何の変化も起こさない。だからぼくは、多くの人の人生は、現状の自分を保つことに腐心するだけなのだと理解したんです。(中略)

ぼくのセラピーでは常に破綻することを勧めてきました。その人が今置かれている状況の中で破綻すれば、成長とは呼べないまでも変化があるからです。

(中略)

最もわかりやすいのは結婚生活の破綻です。人は1回できあがって定着したものに、どうしてもしがみつきたくなります。非常に多くの人たちが、本当は互いにたまらない状態になっているのに、ずるずると結婚生活を続けている。だから、日本では家庭内離婚が多いでしょう。一緒に住んでいるけど実際には結婚生活はない状態。それはやはり今の自分を保とうとする保守性を表している。そういった人達に対しても、ぼくはどんな些細なことでもいいから破綻する方向で日常生活を送るようにと云ってきたんです。そうするとだんだんそれに慣れていくじゃないですか。少しずつ慣れていくと、破綻に対する拒絶感がなくなってくるんですよ。ぼくのワークショップに夫婦で来ると、ほぼ大半の夫婦が別れます。 ぼくは実際に「ぜひ別れなさい」といって破綻を勧めます。

その後どうなるか、そんなことはぼくの知ったことではありません。さっき言ったように、少なくとも現状維持を止めれば、変わらざるを得ない側面がいくつも出てくる。そこから新しい人生を始めればいいというのがぼくの考え方です。

(中略)

不安にかられた自我は、他者と同じであることをよしとする傾向がある。だから、そんなに不安にかられてない自我は、他者と同じであることをよしとしない。ぼくは別に人と違うことをよしとするわけではないんだけど、社会に縛られて自分自身がそのことで苦しんでたくさんのことを抑圧している人をみるとき、それは冗談にしか見えないんです。(中略)

でも逆に、苦しまない人は嘘つきですよ。それはみずからを欺いているんですから。ところがみずからを欺いていることにすら目を向けない。(中略)


自己啓発書やスピ系の本をよく読む人は、少なくとも内なる成長を求めているハズですが、吉福さんいわく、人はある程度まで成長するとあとは現状維持にエネルギーを注ぎ始める。

変化はしても成長はない、ということか。

内面に変化を促す一番簡単な方法は、家の中を風水に基づき整えるか、引っ越すことかも。風水コンサルに行くと、子供の頃から住んでいた自宅にそのまま大人になっても親が死んでも住み続けているクライアントさんがいらっしゃいます。子どもの頃からずっと使ってきたもの、親が遺してくれたものに囲まれて何十年も住み続ける状況だと、自分の内側に大きな変化を起こすのは並大抵ではないでしょうね(家が変われないなら、仕事を変わるという手もあり…)。 

そして、
吉福さんのセラピーでは、よくクライアントを怒らせたらしい。怒らせることによってその人の本音、本質が引き出されるから。そのことについても語られていました。

同じようにぼくは、必要だからセラピーをやっているんです。求めてセラピーをやっているわけでは全然ないんです。それはプロのセラピストやカウンセラーとしてやっていく上では、最も大切なポイントだとぼくは思っています。そのポイントさえ押さえておけば、人に本当に嫌われるセラピーができます。なぜ人に嫌われることが大切かというと、ぼくの考えるセラピーは、当人が絶対に認めたくないことを認めてもらうということだからです。「あんたがあんたのような状態で、今そこにいるのは全部あんたのせいなんだよ」とぼくは言うわけです。どんなに嫌なことが自分に起こっていたとしても、その嫌なこと、それをやっているのは社会でもなければ他人でもない、自分自身がやりたいからそういうふうになっているんだということなんです。


クライアントを怒らせることを意に介さないでセラピーができる、ということは、プロフェッショナルに徹したセラピーだったのでしょうね。吉福さんのが遺されたものは決して小さくはありませんが、それでも吉福さんが亡くなってしまったことで永遠に消え去ってしまったものを、なんだか今になって惜しんでいます。


by hiroshimapop | 2015-09-21 20:14 | おススメBOOKS | Comments(0)

メロドラマを生きない-1


日本にトランスパーソナル心理学を紹介した第一人者、吉福伸逸さんの名前をはじめて聞いたのは、元ソニー役員、天外伺朗さんのビジネス系の講座に参加したときでした。

吉福さんのワークショップでは、どういうワークがされていたのか、参加者に何が起こったのか、それに対して吉福さんはどう対応されたのか・・・etc.、天外さんのクチから話されるその数々のエピソードは、かなりぶっ飛びで、ビビりで小心者の私には絶対無理!と思うようなものばかり。

吉福さんのお話を生で聴きたいと思いながらも、そのワークの当事者にはなりたくない、という相反する気持ちが起こり、吉福さんのお話は、もっぱら本や雑誌で読むだけでした。

そんな数年間が過ぎ、ようやく2013年に吉福さんの講演会に申しこんだものの、その講演会は、結局、吉福さんご病気で中止。直接お話をうかがうチャンスがないまま、逝ってしまわれました。

今回紹介するこの本は、吉福さんが日本でワークをする際(拠点をハワイに移されていたので)、アシスタントをされていた方々が語る吉福さんの姿と言葉の数々。吉福さんがどのように人やクライアントに接していらしたのか、何をしようとされていたのか…。とても平易な言葉で綴られています・・・。

過去、何冊か読んだ吉福さんの対談のなかで、私が強く印象を受けた1つが『メロドラマを生きない』ということ。私自身、その言葉を知ったことで、自分のメロドラマに気づけました。心のクセで、いつものメロドラマに入りこんでいる自分を俯瞰もしてきました(だからといって、すぐにその心のクセは直らないんですが。。。)


『メロドラマ』の部分を少しご紹介します。

~72ページ~
「私がこんなに苦しいのはなぜだろう?」と人は思い悩み、その原因をつきとめようとします。原因が分からないのは不安です。
彼/彼女は、心理学を読みあさるようになるかもしれません。そしてそこで「答え」らしきものを見つけます。

「そうか、私の家は機能不全家族だったんだ。そして私はアダルトチルドレンだったんだ。だから、こんなに苦しいんだ」、「なるほど、僕は、精神的暴力を受け続けたために、自尊心を失ってしまったんだ」などという「答え」をみつけるかもしれません。

やがて彼/彼女は、自分達の不幸の原因を機能不全な家族に、主に両親に還元します。父親があんなにがんこで高圧的でなかったら、母親がもっと無条件に僕を受け入れていれたのならば、僕はこんなに不幸にならなかったはずだと思うようになります。それは、一面正しいかもしれません。

しかし中には、いつまでも母親/父親を非難し攻撃し続ける人がいます。いくら非難しても、そんなに攻撃しても、それを続けているだけでは彼/彼女は幸福になることはありません。そんな人達は「メロドラマ」を演じてしまっているのです。(中略)

メロドラマを演じてしまっている人達は、実は、自分の母親/父親とのこれまでの関係に執着しています。自分が「メロドラマ」の主人公を演じ続けるためには、自分はあくまで被害者であらねばならず、そのためには、機能不全家族と子どもを支配・コントロールしようとする母親/父親が必要なのです。

そうした意味で、彼らは自分の母親/父親に依存しており、親から自立ができていないと言えます。(後略)

~104ページ~
吉福さんは、だれもが、メロドラマの主人公になりうるし、ドラマに入らざるをえない状況というものがあるといいます。Aさん(この前に解説が書かれている)は、「機能不全家族の中で育ち、そのために自分の感覚・感情を見失い、人間関係も上手くいかなくなってしまった」というドラマの主人公になったのです。(中略)

吉福さんは言います。「メロドラマの主役からサブに、サブから脇役に、脇役から通行人に。最後はドラマの脚本家になっていく。そうすれば、メロドラマは放っておいても終演する」と。自分の人生の脚本家になったとき、人は初めて能動的に自分の人生と関わることができるということです。

Aさんの場合、自分が特定のドラマの中で機能不全家族の被害者であるアダルトチルドレンとしての自分を位置づけてきたわけです。まずは、そこに気づき、そこから抜け出す決意をし、自分自身がドラマを書き換えていくとき、Aさんは、メロドラマから抜け出し、新たな世界に踏み出していけるでしょう。


おそらく、生きている限り、自分のメロドラマを持っていない人はいないと思います。誰もが何かのメロドラマの主人公になっている…。

でも、そのドラマのどこに自分が立っているのか。そこに気づくだけでも大きく変わり始める何かがある気がします。過去の呪縛から脱却したり、これから自分はどんなドラマを生きたいのか、みつめ直すきっかけにもなります。




by hiroshimapop | 2015-09-16 10:13 | おススメBOOKS | Comments(0)

イニシエーション エリザベス・ハイチ著


エジプトが好きならこの本はオススメと、ソマティック・エナジェティクスのマイケルさんから勧められていた『イニシエーション』。

700ページ近くもある長編小説ですが、すいすい読めるので、あっという間に読了! 

あー、面白かった。

マイケルさんに勧められたときには翻訳本がなかったので、英語本で読み始めたものの、冒頭部分であえなく頓挫。ストーリーがエジプトに移る前にギブアップしてました。1960年に書かれた古い本なので、日本語になることはもう無いだろうなと諦めていたら、なんと、8月末にナチュラルスピリットさんから出てました。時々、有益な健康情報を教えて下さるお客さまからの情報で知ったんですが、今になって翻訳本が出るなんて、ほんと、嬉しい。

この本、是非ものです! 昨日は三枝龍生先生にもお勧めしてしまいました。

こんな本です(Amazonからのコピペ)
世界17ヵ国語に翻訳、数百万部のベストセラー、待望の日本語版!

夢か、それとも現実か?
大ピラミッドのイニシエーションから、数千年の時を経てついに今、果たされる〈自己〉との完全なる合一!

幼い頃から、なぜか繰り返される夢、ビジョン、まだ見ぬ故郷への憧憬・・・
それは古代エジプトで女性神官として生きた過去生の記憶だった。
時空を超えた、壮大な覚醒の物語。

これは20世紀に生きた一人の女性の魂の軌跡であると同時に、人類普遍の愛の物語です。この本を読むこと自体が、イニシエーションの一部です。


この本は、ハンガリー生まれのヨガ・マスターであり、霊的指導者であり彫刻家でもあったエリザベス・ハイチさんの自伝的小説。彼女の幼少期の出来事から結婚生活、そして彼女がかつてエジプトでファラオの娘にして后だった時代に体験したイニシエーションの様子が克明に書き記されています。

内容は多岐にわたり、訳者のあとがきから少し抜粋すると
「神、神との合一、自然の法則、〈自己〉・高次自己、意識レベルと創造力の顕現、善悪の知識の木、補完し合う半分、念話、神性と物質(形)、占星術、宇宙エネルギーと世界史、物質化と非物質化、アトランティス、ヨガ、アーユルヴェーダ、神経系とエネルギー中枢 etc.,」などがギュギュっとこの1冊で展開されているのです。

分厚い本なので、すべてをご紹介できませんが、例えば、古代エジプト時代の壁画や胸像には後頭部が長いものがよく見受けられます。あれは誇張でもファッションでもなく、長い後頭部を持った人たちは実際に生きていたようで、ハイチさんのエジプトの前世もその長頭人種でした。

その長い頭を持った人たちは神人、神の息子たちと呼ばれ、現代の我々のような頭を持った人間は人の子と呼ばれていました。

この2つの種族について、ファラオは、こう、娘(ハイチさんの過去生)に話して聴かせています。
そうだ。地球はこれから何千年にもわたり、きわめて困難な時代を経験しなければならない。知ってのとおり、純潔の神の息子たちはすべて、とうの昔に地上世界から旅立ってしまった。そして彼らの息子たちで、2つの種族の混血であり今も神性を顕現する可能性を持つ者たちも、しだいに地球から姿を消しつつある。

純潔の神の息子たちが地上を去ったあと、父方から高次の能力を受け継いだ息子であるイニシエートたちは、彼らの能力をもういちど遺伝的手段によって後代に伝えようと、人の娘たちを妻にする異種間婚を何世代かおこなった。その試みは両種族のあらゆる階層に浸透している。

しかし、創造の力のうねりが物質化の方向に向かう時代には、つねに世俗的要素が顕性すなわち遺伝的優位を演じることになる。そのため、神の息子たちの子孫であっても、長頭の頭蓋をもち、高次の能力を顕在化させる者はしだいに地球に生まれなくなっている。しかしその一方、異種間婚をつづけたことで、遺伝の法則によって純粋な神の息子が時期を選ばず--人類史上もっとも物質至上主義が強くなる暗黒時代においてさえ--転生できるようになっている。これからは短頭の人間だけが生まれ、地上全体で権勢をふるう時代がやってくる。ここエジプトでも例外ではない。そのような者たちは、もはや現王朝のように高度な種族から受け継いだ霊的な叡智や展望は持ちあわせておらず、無私の愛で民を治めるかわりに、盲目の知性、あくなき権力欲、露骨な利己主義によって容赦なく支配するだろう。

(中略)

高い資質の人間と低い資質の人間との関係では、たえず低いほうへと引っぱられてしまう。(中略)

しかしながら、それでも異種間婚はさらに進み、遺伝の法則によってイニシエートたちの高次の叡智が人々のなかにどんどん深く浸透しながら拡散し、やがてはすべての人々にゆきわたるだろう。そしてますます差異と多様化が複雑に混じりあい、いつしか全人類の一人ひとりが最高レベルの叡智とイニシエーションにあずかる可能性をもつ時代が来るだろう。

(中略)

神の息子たちの長頭も、未進化な人間の猿人のような短頭も、やがては完全に消滅するだろう。そのような混血種においては、霊的で超常的な高次の能力を顕在化させるための脳中枢や神経中枢は、数千年のあいだ進化することなく休眠することになる。したがって人々の頭は丸くなるが、思考を使うための脳神経が非情に発達し、未来においては額が大きくなるだろう。 


丸い頭と大きな額を持つ私は完全に高次の能力が休眠している種族の末裔ってことになりますが、でも、眠っているだけで、薄まりながらも神人のDNAは受け継いでいると思えば、それが救い。今生で、どれだけ目覚めるでしょうか・・・?


エジプトの過去生の記憶を持つ女性の話は、イギリス人で後年エジプトの考古学に貢献したオンム・セティの『転生』が非常に興味深い内容でしたが、この『イニシエーション』も私の絶対捨てない本のリスト入り。

700ページという分量をものともせず読めるので、是非!




by hiroshimapop | 2015-09-07 12:15 | おススメBOOKS | Comments(1)

食べない人たち ビヨンド


不思議です。食べなくても生きていけるというのは・・・。

生後、ミルクを飲まずとも生きていける赤ちゃんはいないでしょうから、「食べなくても生きていける」というのは、自らの意思で生き方を選べる年齢になった人が、食べないという選択をし、そして、そのように生きるなら食べないでも生きられる身体になっていく、ということなんでしょうね。

それは人間だけに与えられた神秘の箱なのでしょうか。


アフリカで餓死をする子ども達の写真を見るにつけ、長期間の断食の結果、骨と皮のようにやせ細ったインドの宗教者の身体を見るにつけ、あるいはこの日本でも、貧しさゆえに食べものを買うお金もなくそのまま衰弱死してしまった方々のニュースを見るにつけ、食べない=死 だったこれまでの常識が、ここ数年でボロボロと崩されていっています。

青汁1杯で1日50kcalでふっくらお元気な森美智代さん、食事だけではなく水も飲まない秋山弁護士、不食と微食を続けている山田鷹夫さん、そしてはせくらみゆきさんも食べなくても大丈夫な方のようです。。。

今年春の榎木孝明さんの不食生活は、あまりにも榎木さんの普段の生活が変わらなさすぎて、こんなにも軽やかに楽しそうに不食が出来るのかと心から驚いてしまいました。榎木さんのフェイスブックには、毎日短い不食日記が掲載されていましたが、仕事も運動もいつも通りずっと続けてらっしゃいましたし・・・・。

これは不食20日めの榎木さんの日記です
「不食ノート」20日目
今日も小さな発見がありました。宿泊所に帰って来て今日は朝から良く動いた割には、あまり疲れを感じなかったのです。これまでの常識で考えるとよく動いた後は、それなりの疲れは蓄積するものと思いがちです。しかし食べていた時と比べると、同等に動いても疲れをほとんど自覚しないとは…。

自分なりに考えてみますと、温存していたエネルギーではなく、動くことで新しいエネルギーも同時に作り出している為に、疲れる度合いが低いのではないかなと思います。疲れづらい体はもしかして「不食」のひとつの効果の表れかも知れません。これまでの常識の枠が、日に日に外されて行く楽しさを感じます。
今朝は散歩のついでに近くの公園で杖を振りました。ただ場所選びには気をつけないといけません。私の友人がある時公園で模擬刀を振っていたら通報されて、警察官に包囲された事がありましたから。確かに彼は怪しまれそうな風貌ではありましたが。

夜は私に芝居のイロハを教えて下さった40年来の付き合いの恩師に会って来ました。「不食」の噂を聞き心配して連絡を下さっていたので、元気な顔を見せて来ました。「なんだ!もっとやせ細っているかと思ったのに!」と、ガッカリしたと言わんばかりの言葉とは裏腹に、嬉しそうな笑顔で迎えて下さいました。

【疑問・質問その27~プラーナ(気)を取り込む具体的な方法があれば教えて下さい。
//プラーナ自体は目に見えないものですから意識の世界のことになります。食べると言うのは実際の食物を口から入れて、腸から栄養素を取り込むと云うのが通説です。我流ではありますがその長年食べると言う認識を利用して、空気と一緒にプラーナもパクパクと食べてしまいます。不思議と程なくお腹が張って来ます。食物が体内で分子レベルまで分解されて栄養素として吸収されるならば、プラーナ中の栄養素も同じことだと思える人間の想像力も大したものだと思います。ホームなどで口だけパクパクさせているとアホみたいに見えますから、お気をつけ下さい。】


森さん、秋山弁護士、山田さんの不食トリオの最新刊『食べない人たちビヨンド』は、食べないと人はどうなるのか、日常生活がどうなるのか、何故人は食べるのかが描かれたユニークな1冊。3人3様の食べない生活が書かれています。

秋山弁護士が司法試験勉強中に経験したという地獄体験、亡き甲田先生からいまだ届くメッセージや、思ったことは何もしなくても自然に叶ってしまう森美智代さん、不食体験するために無人島にわたった山田さんのヒマ体験など、体験者ならではのエピソードがとても興味深い。

不食者は食べないので、食べることに関連する時間(買い物、食事の支度、食べる、片づける)が不要。その時間は別のことに使えるし、肉体的にも消化にエネルギーを使うこともない1日2時間寝ればスッキリ。不食になれば、1日24時間のうち、20時間は活動時間になってしまうんですね。

その時間をいかに有効に使うか。それが不食を選んだ人に課せられたテーマともいえます。

私は不食ではありませんが、うっかりすると食べるのを忘れてしまうので、だんだん食に対する関心が薄くなり、実際のところ、食べなければ食べないでいいや状態(でも寝るのは好き!)。

とはいえ、なんせ、普段の体重が38キロ台。うっかり食べ忘れが続くとそれ以下になってしまうので、いつも悩んでしまいます。このままいっそ体重の底をつくまで食べないを極めるか、もう少し体重を増やすために食の回数と量を増やすか・・・。

秋山弁護士や森美智代さんのように、食べないを極めた向こう側に行ってみたい気もするし、自分で育てた野菜を食べる、いつかの未来も楽しみだし・・・。

まだまだ私にはビヨンドは遠い世界ですが、食べない楽しみを垣間見る1冊です。


by hiroshimapop | 2015-09-01 17:00 | おススメBOOKS | Comments(0)

キューブラー=ロス博士の最期のとき


河合隼雄さんと柳田邦夫さんの対談本『心の深みへ』のご紹介の続きです・・・。

1つの対談では、ほぼ、まるまるエリザベス・キューブラー=ロス博士についてお二人は語られています。

当時、脳梗塞で寝たきりとなっていたロス博士が、ドイツの「シュピーゲル」という雑誌のインタビューに対し「死に対するこれまでの自分の学問は何の役にも立たない、精神分析はお金と労力の無駄である」等々述べたそうで、その記事は世界中に衝撃を与えていました。

私は、英語に翻訳された記事を読んだ友人に話を聞いただけなので、実際の記事を読んではないのですが、ロス博士の本はほぼ全て読み続けてきた、いちファンとして「全否定とはすさまじい・・・」と驚いたのを覚えています。

そのロス博士のインタビューについてお二人が語っている部分です。
河合:非常に単純な、バラ色の聖女みたいなイメージをみんなキューブラー=ロス博士にもつわけですね。しかし、彼女自身にしたらたまらんでしょう。そんなことないよと。死ぬということはもっと大変で、自分だっていい加減いやになっているところがあるんだということは、しっかり言っときたいというのは絶対あったと思いますね。

だから新聞記者に、ほんとにすばらしい女性が、静かに、静かに天国に行くように死んでいくというようなイメージをもって取材に来られると、こういうこと言いたくなるんじゃないかと思うんですよ。ちょっと依怙地なおばさんでしょう(笑)。

(中略)

河合:死にゆく途中で、自分の一生やってきたことはほとんど意味がなかったと思うほうが、私はあたりまえやと思いますね。そこでファンレターを見て喜んでいるようでは、話にならんと思うんですよ(笑)。

柳田:ロスが世界中から来た手紙の山にうんざりしている。これはわかるんですよ。だって彼女はもう脳卒中をやり、半身不随になり、そしてアリゾナの赤茶けた砂漠の中にひとり住まいしている。ときどきヘルパー的な人が来るけれども、ほんとに食事するのがやっとというような状況の中で生きていて、そこへどかどかと、どかどかと聖女あつかいするような・・・。

(中略)

河合:それとね、死んでいく人はロスに話を聞いてもらって、そしてロスがいるということによって心安らかになるんですね。でもロスという人は、1人のほうが安らかなんですね。これはものすごくおもしろいんですよ。つまりロスの話を聞く人はいないんですよ。

柳田:そうですね。ロス自身、自分は孤独だって言ってますね。

河合:天才は仕方ないですね。ものすごく孤独ですよ。

柳田:しかも、ロスにインタビューした「シュピーゲル」の記者は、それを非常に惨めな姿として描いているんですね。(中略)

ドイツから取材に行って、アリゾナの小さな町のはずれの質素な一軒家にいるロスを見て、世界的な名声を博したロスが何としたことか、コヨーテの遠吠えが聞こえる暗闇の中にさびしくひとりでいる。こんな悲惨はないというような目でみている・・・。違うんですね。

(中略)

河合:この記者は、ロスはすばらしい人だから幸福な余生を送っているはずだ、という先入観をもっていたのでしょう。しかし、そんな幸福なんていうことは問題じゃない。幸福ったっていろいろ種類があるけど、この記者が考えている幸福というのは一般的幸福ということで、一般的幸福と個性化はまるっきり話が別次元なんですね。それがもうごっちゃになってるんですよ。


長年の溜飲が下がりました。

私も短い時間でしたが、2度ほどロス博士のお宅に行かせていただき、博士と直接話をしました。たしかに依怙地で短気、といえばそうですが、言いかえれば、とても無邪気で正直な方でした。とっくに死ぬ用意はできているのに、なかなか自分を死なせてくれないと神さまに暴言を吐いてましたが、ずっと精神医学の最前線で保守的な医師界や世間の常識と戦い続け、走り続けてきた戦士のような女性に、博士のお母さんがそうだったように、神様が最後に与えた試練だったのかもしれません・・・。

ただ、ベッドで誰かの世話を受けなければ生きていけないという最期の時があんなにも長く続くとはご本人も思っていなかったと思いますが・・・。

でも、それを不幸だと決めつけてしまうのはあまりにも短絡的じゃないかなと思ってましたが、河合隼雄さんと柳田邦夫さんが「一般の幸福とは博士のそれは違う」と言って下さっているのは、博士の最期に対する援護射撃でちょっとホッとしました。

この対談では、ロス博士の幼少期の出来事、父親との関係、そしてロス博士が見つめてみた死後の世界についても語られています。ターミナルケアの看護を確立したシシリー・ソンダースさんのこともお話になっているので、私にはもう珠玉の一章、たまらない対談でした。


そして・・・

ロス博士は自書『人生は廻る輪のように』で、夫の肩に顔を埋めて寝るのが好きだったと書かれているんですが、それについてもお二人は語っています。
柳田:おもしろいなと思ったのは、ロスは率直に自伝の中で、私は夫の肩に顔を埋めて寝るのが好きだったと。そして、エイズの子どもたちのために建てたヒーリングセンター兼自宅が放火されて焼かれてしまうという大変な危機の中で、私は男の肩がほしかったと書いているんですね。しかし男の肩がなくても、すぐに立ちなおって再出発する。あれもすごいことだなと思ったんです。

河合:ところが、男の肩はおまえにやらないって拒否されるでしょう、すごいですよね。だから、生きてる男の肩にもたれるような女性じゃないんですよ(笑)。彼女がもたれられる相手というのは、こちらの世界にはおそらくいないでしょうね。

戦士のようだった博士でも、夫の肩に埋もれて寝るひとときを必要としていたのかと、私も本を読んだときに意外な印象を受けました。でも、ロス博士でさえそうだったんですから、世の多くの女性はそうなのですよ、男性の皆様。

ですから、どうぞもっと女性に肩を貸して下さいませ。・・・顔を埋めたくなるような頼もしい肩(しかも生きている)プリーズですね。





by hiroshimapop | 2015-08-07 06:22 | おススメBOOKS | Comments(0)

ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフルの店長日記


by hiroshimapop
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書籍「美しく生まれ変わるレシピ」光田秀著 1,404円

書籍「自然療法で乾癬を治す」

書籍「自然療法で乾癬を治す」ジョンパガノ著 2,376円