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アドラーの教え『幸せになる勇気』


本屋に行くと、目のつくあたりに平積みされている、鮮やかな表紙が印象的なアドラー本『幸せになる勇気』

『嫌われる勇気』があまりに衝撃だったので、こちらは読まなくてもいいかなーと思いつつ、NHKの「100分で名著」で取り上げられたアドラーがやはり素晴らしかったこともあり、またまた読んでしまいました、アドラーの最新刊。

本の紹介文には、こうあります。
人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?アドラー心理学の新しい古典『嫌われる勇気』の続編である本書のテーマは、ほんとうの「自立」とほんとうの「愛」。そして、どうすれば人は幸せになれるか。あなたの生き方を変える劇薬の哲学問答が、ふたたび幕を開ける!!


劇薬の哲学問答ですから、決して心地よい言葉が並んでいるわけではなく、読みながら反発を感じるところも多々ありました。でも、やはりアドラーの人との対し方、人への愛情は深い。

全ページを通じて、キラ星のごとく、珠玉の言葉がちりばめられています。このブログを書くにあたって、パラパラめくりながら、目についてものを書き出してみました。青年と哲人の対話が続く本ですが、下記では、主に哲人の言葉を揚げています。
*『幸せになる勇気』は『嫌われる勇気』の続編になるので、まだ『嫌われる勇気』を読んだことがない方は、まずはそちらから読んで下さい。


「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を自らが決定すること。これを「自立」と』呼びます。

「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。

仕事の関係とは「信頼」の関係であり、交友の関係とは「信頼」の関係なのです。(中略) 交友とは「この人と交友しなければならない理由」が、ひとつもありません。利害もなければ、外的要因によって強制される関係でもない。あくまでも「この人が好きだ」という内発的な動機によって結ばれていく関係です。

すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり、われわれはそれを分担しているだけです。 (中略) 人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。

自己中心的な人は「自分のことが好き」だから、自分ばかり見ているのではありません。実相はまったく逆で、ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。


アドラーとの決別を決意して哲人を訪ねた青年。その青年と哲人との和解はあるのか、落としどころは何なんだろう?とドキドキしながら読み進めていくと、最後に出てきたのは「愛」についての対話。

それまで果敢に哲人に挑んできた青年も、最後の章でだんだんと旗色が悪くなってきます。私はひそかに、青年頑張れ!と声援を送りながら読んでましたが、やはり哲人は大きかった。愛についての哲人の主張です。
最初にアドラーは言います「われわれは、ひとりで成し遂げる課題、あるいは20人で成し遂げる仕事については、教育を受けている。しかし、ふたりで成し遂げる課題については教育を受けていない」と。 (中略) つまり、愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。しかし、われわれは、それを成し遂げるための「技術」を学んでいない。

利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築きあげること。それが愛なのです。 (中略) 「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして「わたしたち」を掲げる。人生のすべての選択について、その順序を貫く。(中略) 「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。「ふたりで成し遂げる課題」とは、そういうことです。

ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は「わたしたち」に変わります。(中略) 幸福なる生を手に入れるために「わたし」は消えてなくなるべきなのです。

フロムは言います。「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである」と。「愛するとは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである」と。 (中略) 相手がどう思っているかなど関係なしに、ただ愛するのです。愛に身を投げるのです。

愛することは、あなたの課題です。しかし、相手があなたの愛にどう応えるか。それは他者の課題であって、あなたにコントロールできるものではありません。あなたにできることは、課題を分離し、ただ自分から先に愛すること。それだけです。


愛する対象をいま持たない人、パートナーのいない人はどうするんだーと突っ込みを入れたくなりますが、考えてみれば、その愛の対象を、一人の異性に限定にせず、目の前にいる人、友人でも、家族でも、お客様でも、とにかく目の前にいる人と自分と捉えれば、常に「WE」の関係は出来上がります。 

ちょうど、この本を読んでいるとき、どなたかがサイトで「告白は、相手が自分を好きになってくれる確信があるからするのではなく、自分が相手を好きだという気持ちに確信があるからするのだ」と書いてあって、10代の頃に知りたかった名言だなーと思いましたが、「ただ愛する」から「わたしたち」という関係を築き、さらに「ふたりで成し遂げる課題」に移行できる愛を、果たしてどうやって見つけるのか・・・?

難攻不落だと思われた青年の心が陥落してしまった「愛」についての哲人の見解、この本の最終章でぜひ確かめて下さい。 そこかよーと、私は突っ込みを入れてしまいましたが…。



『嫌われる勇気』を読んでない方は、『幸せになる勇気』を読む前に、まずはこちらを

by hiroshimapop | 2016-03-12 08:38 | おススメBOOKS | Comments(3)

菊谷さんの『聖母マリアの秘密』


もう20年以上のおつきあいになりますが、聖母マリアの御出現を追って世界中を旅されてきた菊谷泰明さんの『聖母マリアの秘密』がこの2月11日、出版されました。

これは7年前に『聖母マリアからのメッセージ』というタイトルで出版されていたものを大幅に加筆修正し、各地で撮影された写真紹介も増やした新しい本となっています。

私は以前の本が出版されたときには、読み始めたら止まらなくなり、読み終える前から、友人知人に勧めまくった記憶が・・・。

そして、この本を読んだ直後に、静岡の小林さんからイタリアのアッシジツアー決定の電話を受け「それだったら、聖母マリアの御出現が今も続くメジュゴリエにも連れていって下さい」とお願いし、2010年にメジュゴリエにも行ってくることができたのでした(旅の様子はこちら)。


『聖母マリアの秘密は』こんな本です。
南フランスのルルドやポルトガルのファティマなど、世界的に有名な聖地は数多く、聖母マリアのご出現は今も続く。幻視者マリアが語った「ファティマでの聖母のご出現とメジュゴリエでの聖母のご出現の関係」、幻視者ミリアナが打ち明けた「聖母から渡された、暗号の様な文字が記された不思議な紙」が示すものは何か。世界各地の聖母ご出現の地を辿る著者が、聖母ご出現の意味、聖母からのメッセージ、ファティマ第三の秘密などの謎に迫る。

世界的な聖地として知られているルルドやファティマ…。だが、聖母マリアのご出現は過去の出来事ではない。東欧のメジュゴリエで、今も聖母のご出現を受けている“幻視者”達がいる。日本人初のインタビューを行なった筆者に打ち明けられた、聖母マリアの驚くべき“秘密”とは!



菊谷さんの聖母マリアの旅は、不思議な出会いと導きの連続。神様に導かれると、旅はこういうふうに流れていくのかと、本を読んでいるだけでドキドキしてしまいます。私もこんな大がかりな『神様おまかせパックツアー』、死ぬ前にはしてみたいですー!

例えば、フランスのルルドで菊谷さんは、偶然に入ったホテルのレストランでモニカさんという不思議な女性と出会うんですが、彼女は胸にイエスの銅像を抱きしめており、そのイエスは彼女に様々にアドバイスをしていました。

こんなふうです。
彼女は私と話し出した時から、ずっと左手で、胸の所にイエス像を抱いていた。それはセラミック製で金属のような光沢を持つねずみ色をしており、高さは30センチくらい、胸にはハート型のペンダントを下げ、両手を大きく広げる姿をしている立像だった。しかし、両手、両足の部分が欠けているため、立てておくことはできず、彼女は赤ちゃんを抱くように、ずっと小脇に抱えていた。

「このイエスはいろんなことを教えてくれるの。私にとって必要なこととか、大事なことをね。実は7年前、このイエス像を店で見たとき、この像が『私を買ってほしい』と声をかけてきて、買って部屋に置いていたら、今度は『飾っておかないで、持っていてほしい』と言ったんです。それから、私は、出かける時はいつもこのイエスと一緒にいるのよ」

(中略)

「実はね、私はルルドに7年も住んでいるけど、あのザビエルホテルには、今まで1回も行ったことがなかったの。もちろんレストランにも・・・。でもね、あなたと会った前日、ホテルの前を通りかかったとき、イエスが『このホテルに入りなさい』と急に言ったんです。だから言われたとおりに入りましたよ。ちょうどお昼だったのでランチをとったんですが、急に入るように言われたので、お金を持っていなくて、『明日払います』と言って帰りました。

そして昨日のおひるにお金を払いに行ったら、あなたに出会って、今、こういう展開になっているんです。もしあの時、イエスがホテルに入るように言わなければ、絶対に入ることのない場所なの。7年も行ったことがなかったんですもの、絶対に行くことはなかったんです」

(中略)

本当に不思議な、そして絶妙なタイミングでの出会いだった。私はあのレストランに入ったものの、開店前だと言われて外に出た。しかし、何となく気になって、再び入った。他に開いているお店はいくつもあったのに・・・。どう考えても、あのレストランで、2人が会うようにセッティングされていた、としか考えようがなかった。

(中略)

泉の水を飲み終えると、私達は大聖堂の方に歩き出した。その時急に、モニクさんが「イエスがあなたに『カルバリに行きなさい。そうすれば、あなたが求めていた○○のすべてが分かる』と言っています」と言った。


偶然にしては出来すぎの不思議な出会いや出来事が行く先々で用意されているんですから、ガイドブック片手の決まったプランで歩く旅しかできない私は羨ましい×1000です。菊谷さんのこの旅、本当にイエスや聖母マリアからの祝福を受けたものだったんでしょうね。

Amazonには、この本を読まれた読者さんの声がすでに書き込まれていました。ステキなご感想だったので、承諾なく、勝手にご紹介させていただきます。
(前半部分は略) 私は不思議なご縁で「聖母マリアの秘密」というこのご本に出逢いました。
けれど、読み進めるうちに、もしかして、このご本との出逢いは必然であったのではないかと感じるようになりました。
311以降、私にできることは「祈り」を捧げること、「純粋な祈り」だけが、世界の心ある人たちと一つになることができ、世界平和へと繋がると思うようになりました。そんな思いを、このご本を読みながら、改めて確信しました。一人一人が心を籠めて、世界の平和を祈ってほしいです。最初は形だけのお祈りでも、続けていくうちに、自分の頭上に降り注がれる光に気付いて来て「祈り」の奥深さを感じてくると思います。

「聖母マリアの秘密」のご本を胸の前で両手で上下で挟んでいると、光、エネルギーを感じます。御心を感じます。慈愛を感じます。涙が自然にあふれてきます。私のようなものでも、こんなに感じるのですから、もっとわかる人にはもっと感じられることでしょう。とても、とっても貴重なご本です。


メジュゴリエの聖母マリアの御出現や聖母マリアからのメッセージについても、ページを使ってかなり詳細に菊谷レポートは続いています。

聖母マリアにご興味がある方、不思議旅がしたい方は、ぜひお読み下さい。



by hiroshimapop | 2016-02-17 16:45 | おススメBOOKS | Comments(0)

若松英輔さんの『イエス伝』


先日、メルマガ1号まるまる使ってNHKの『100分で名著 内村鑑三先生の巻』を見るようにと宣伝してしまいました。解説は、ピュアシナジー、ヴァイタシナジーの輸入元、シナジーカンパニーの元社長、若松英輔さん。現在は批評家として活躍中です。

若松さんはカソリックとして、子どもの頃から教会に足繁く通っていたそうです。その若松さんが語るイエス伝、もしかして、ちょっと堅苦しいイエス像なのかしら?と思っていたら、期待は良い方に裏切られました。

本に帯はこう書かれています。
『私のイエスは、「教会」には留まらない。むしろ、そこに行くことをためらう人のそばに寄り添っている。
福音書は、異教徒のためにも書かれたのではなかったか』


私はクリスチャンではありませんが、友人に誘われ、何度かプロテスタントの日曜礼拝に行ったことがあります。うち1つはキリスト教徒として有名だった作家が生前通っていた教会でした。

日本ではクリスマスと結婚式だけは教会で・・という人も多いので教会に対してはポジティブな思いの方が過半数だと思います。が、私が日曜礼拝で感じたのは「区別される側の哀しみ」。

入口では教会の皆さん、とてもウエルカムなのですが、置いてある聖書やマリア信仰で区別され、洗礼を受けたクリスチャンかどうかで区別され、その教会の信徒であるかどうかで区別され、2重3重に私はその教会から排除された気がしました。

余談ですが、あるとき、その日曜礼拝が終わったあと、そこの青年団の人たちと喋る機会がありました。面白かったのは、マリアの処女懐妊とイエスが手元にあった5つのパンと2匹の魚を祝福し、5000人の人が満ちるまで増やして与えた、という聖書のお話しを真実だと思っていたのは私だけ。キリスト教徒の皆さんは、架空のおとぎ話と思ってました。なーんだ、ここでイエスの奇跡を信じているのは私だけなのーとビックリもし、なんだかとても皮肉な感じがしたんですが、きっと教会ではそういうことになっているんでしょうねー。


話を元に戻しますが、若松さんは『洗礼』という章でこう書かれています。
理由は何であれ、入信することができない、あるいは祈ろうとしても祈ることができない、救われないと苦しむ人を横目にしながら、自己の救いだけを求めるのが「宗教」であるなら、それはすでにイエスの生涯が示していることとは著しく乖離している。(中略)

洗礼に意味がないのではない。パウロも回心のあと、アナニアという人物から洗礼を受けている。洗礼は、今日も秘跡であり続けている。しかし、パウロが明言しているように、洗礼の有無は、救済とは関係ない。パウロにとって救済とは内なるイエスを発見することだった。もし、洗礼の有無に固執するならば、大多数の洗礼を受けていない人々が救われないことをよしとすることになる。自分は救われ、ほかの人々が業火にさらされているのをだまって見ていることが、果たしてイエスの生涯に続く者がとるべき態度だといえるだろうか。


ここには区別も排斥もありませんね。


もう1箇所だけ、若松さんの『イエス伝』から一部を抜粋してご紹介します。
イエスが神殿の境内で商売をしていた人たちを追い払い、両替商の台を倒してお怒りになったシーンについてです。

この出来事は、これまで聖書学者によって様々に解釈をされ、神殿を清浄に保たなければならない、人間の欲を排除し、神の住まう祈りの場所にしなければならない。そのような解釈が一般的なようです。

ここで若松さんは、中世ドイツの神秘家エックハルトの言葉を引用しています。エックハルトはあるとき、こう語りました。
『聞きなさい、次のような人々は皆商人である。重い罪を犯さないように身を慎み、善人になろうと願い、神の栄光のために、たとえば断食、不眠、祈り、そのほかどんなことであっても善きわざならなんでもなす人々。

このような行為とひきかえに気に入るものを主が与えてくれるであろうとか、その代償に彼らの気に入ることをしてくれるはずだと考えているかぎり、これらの人々はすべて皆商人である。(「魂という神殿について」)

この言葉は説教の1部である。そこに居合わせた人々は少なからず驚いたに違いない。彼らはこの話しを聞く直前まで祈っていた。より精確にいえば、自分は祈っていると信じていた。そうした人々を前にしてエックハルトは、たとえ、善き行いであったとしても、それと引き換えに神に何かの義務を課そうとする者は、誰もが「商人」であり、神殿から追放されるというのである。 (中略)

願いと祈りを分けてみる。何かを期待して行う営みを願いだとする。願いとは、いわば魂という「神殿」に居座る両替商であり、商人だとエックハルトは考える。熱心に願えば願うほど、魂は喧噪にまみれ、輝きを失って行く。魂に願いの声が鳴り響く。そのとき、真の主人である神は沈黙する。願いが祈りの顕現をさまたげる。

魂が願いで充満しているとき、祈りは起こらない。祈りとは、まず人間が魂の次元での沈黙を実現することであり、人が神のコトバを聞くことである・・・』


私たちが祈りだと思っている多くが、神との取引を願う商人のそれ、になってやしないでしょうか。

若松さんは、さらにこう書かれています。
『人間に促されているのは願うことではなく、祈りである。祈りとは何かを獲得しようとすることではなく、どこまでも受容することである。祈りとは、自らの胸を開き、魂に射し込む光の窓と化すことである。さらにいえば、徹頭徹尾復活のイエスの声を聞くことである』


イエスの生涯について何か読みたいと思われているなら、この本は良書です。もちろんあわせてケイシーリーディングに基づいた『キリストの秘密』もオススメですが、この2冊を続けて読んでも、それほど違和感はないはず。

ケイシーリーディングには、主、イエスについての記述がたくさんあります。今年、津の赤塚高仁さんが日本のアチコチで聖書講座を開催されています。これからはじめて聖書をひもとく、というに方も是非。




by hiroshimapop | 2016-01-27 08:30 | おススメBOOKS | Comments(0)

『モノが減ると心は潤う 簡単「断捨離」生活』


龍生先生続きのネタが続きますが、大阪の講座の道中、龍生先生に勧められたのが、やましたひでこさんの『モノが減ると心は潤う 簡単「断捨離」生活』。

この本では、ひでこさんの東京の自宅の写真がふんだんに使われ、普段どのように暮らしていらっしゃるか一目瞭然わかります。それはそれは潔くシンプルな暮らしぶり。

龍生先生がお持ちの本は、開くとアンダーラインと書き込みがたくさん!さらに読みたいページにすぐに行けるようラベルまでついてました。

マークからコンテンポラリー風水を学ぶ課程で、これまでたくさんのお宅にお邪魔させていただきました。

中には、あまりのモノの多さと雑然としたお宅に、きっとこのご家族は、スッキリとした暮らしや快適な住空間を小さい頃から体感したことがない、身近でもそのようなお宅がなかったんだろうなーと思うことが何度かありました。そういう方には、なおさら、この本はおすすめです。私は、もともと片づけベタ、整理ベタなので、モノに対する向かい方も含め、かなり参考になりました。


まず私が参考にしてみたのはキッチン。『水切りラックを置かない』です。

夜、洗った食器や鍋類は水切りラックに入れ、フキンでふかずそのまま自然乾燥させ、乾いたら棚に収める、というのが普段の私の方法(実家では食器乾燥機を使っていました)。やましたさんは、キッチンペーパーを重ねてその上に洗った食器類をふせ、水が切れたらキッチンペーパーで食器をふいて棚に収める、という方法。

水切りラックを使わないことで、洗った食器類は「一時置き」されていることが明確となり、すぐにお皿をふいておさめる、という流れが生まれるんだとか・・・。食器乾燥機や水切りラックがあると、いつも流しの横にはモノが置いてあることになりますが、水切りラックすらないことで、何も置いてない広々キッチンが「いつものキッチン」の景色なわけですね。

ちなみに、やました家では、食器洗いにスポンジは使わず、テーブルにも食器拭きにも、フキンも使わず、キッチンペーパーが大活躍しています。

なるほどーと思ったので、まずはお試しで、1週間前から、我が社もシンク横にあった水切りを撤去してみました。水切りラックはキッチンには必須と思っていましたが、これは子どもの頃からの刷り込みであり思い込みですね。

確かに、水切りラックがないと、キッチンの水平線が広々します。洗った食器を置きっぱなしにしないようになります。

残念ながら、これまでずっとまな板を水切りカゴと一緒に置いていたので、まだ、まな板が水平線を遮っているんですが、まな板が使いやすく、水平線を邪魔しない定位置が見つかれば、我が家のキッチンも多少なりとも広々しそうです(ちなみに、やました家では、小さなまな板を壁にぶら下げています)。


ウチのキッチンカウンターには、ジューサー、ミキサー、ディハイドレーター、柑橘系絞りなどを常時置いており、棚に収めるということはしてないんですが、ひでこさんは品のよいヤカンが1つ乗っているだけのキッチンを理想とされています。

去年、私は、ひでこさんを我が家の食事会にお招きしたことがあるですが、やました家の美しいキッチンをみたら、我が家のキッチンは相当ゴチャゴチャしたカオス。さらに当日は、10人分の食事を作るのに(友人が!)、キッチンは戦場と化していましたから、伊勢神宮からいきなり、チャイナタウンの喧噪の中に迷い込んだ感じだったかも。

キッチンのやました家化、まだまだ先は長いですが、少しずつモノを整理して、見通しも風通しもよいキッチンにしたいと思います!


そして・・・

断捨離したお宅、というのは、何もない無味乾燥の家を想像してしまいますが、そんなことはないです。ひでこさんも海外に行くと、よく絵や置物など、家に置くものを購入されています。絵や小物など、本当に自分が好きなお気に入りを吟味して家の中に置かれており、見えない場所、全ての引きだし、棚の中もエネルギーが行き届いています。

ちなみに、ひでこさん、キッチンには必ず必要なゴミ箱は、流しのシンクの下の引きだしにおさめられています。私もこのアイディア、友人宅に行ったときに見て、こういう方法もありかと目からウロコでした。うちはシンク下のスペースが狭いので、分別用のゴミ箱全ては入れられませんが、1つでも減るとスッキリです。

スーパーの袋をキッチンにいくつもぶら下げて、それをゴミ箱代わりにしているというお宅も多いですが、もちろんそれはNG。ゴミ箱問題が解決するだけで、キッチンスペースは美しさが増します。
*もし、キッチンにゴミ箱を置く必要がある方は、蓋つきをオススメします。


少ないモノでキレイに暮らしていると、掃除も片づけも楽。でも、何もしないわけではなく、キレイに暮らすための必要な一手間はかける。


美しく生活する、美しく暮らすヒント満載。この本は参考になりますよー。


by hiroshimapop | 2016-01-26 13:17 | おススメBOOKS | Comments(0)

『夜中の電話 父・井上ひさし最後の言葉』


私の記憶では、プロの俳優さんが演じる本格的な舞台を見たのは、まだ広島に住んでいる頃。たしか、広島の呉市の市民劇場で公演されたこまつ座の『きらめく星座』だった記憶が…。公演直前にチケットを手配したので、狭くて急な2階か3階席の、それも後ろの席でステージは遥か遠く。でも歌あり笑いあり、涙ありの舞台は井上ひさしワールド炸裂! 『きらめく星座』がきっかけで、私の演劇好きは始まった気がします。

井上ひさしさんの小説がもともと好きだったので、こまつ座の舞台は、こまつ座だから、という理由でよく見に行ってました。こまつ座によく出演される女優の梅沢昌代さんも好きで、梅沢さんが出てると、もれなく見にいく感じでした(過去形で書いているのは、ここ数年はかなり観劇回数が減っているので…)。

その「こまつ座」の座付作家であり作家の井上ひさしさんが、ガンの闘病中、こまつ座社長となった娘さんにかけ続けた真夜中の電話をまとめた本が『夜中の電話』。

抗がん剤治療の合間に、父が娘にかけ続けた電話は、毎晩、夜の11時頃から始まり、明け方、朝8時、9時まで続いたというから凄まじい。その様子を娘の麻矢さんはこう書いています。

こまつ座の今後のこと、社長の心得、仕事の進め方、稽古場や劇場の現場のことなど話をしていると、時間はどんどん過ぎて行き、毎日、長電話になってしまう。1度だけ、私は父に言った。「社長、こんなに長く電話で話しているのは身体にさわるので、寝たほうがいいのではないですか?」と。私は父とプライベートな話をする時以外は社長と呼んだ。
「僕は命がけで君に伝えたいことが山ほどあるのに、どうして君は、それをきちんと受け止めてくれないのだ」と怒られた。(中略)

会話の内容は時に厳しかった。演劇という世界の大変さを、身をもって知っている父は、なんとか乗り切れる知恵を自分の命と引き換えに伝えてくれる。(中略) 電話が終わると私の手には血豆が出来ていた。一言一言、父の言葉をノートに書き留めながら話を聞いていたので、その指に血豆ができてしまったのだ。


この本には、井上ひさしさんの短い言葉と、それを受けての娘さんの思い出話やエピソードが紹介されています。井上ひさしさんが娘さんに語り続けたこの時期は、ご自身はガンで闘病中、そして末娘は問題山積みの劇団を引き継いだばかり。自分が魂を注いできた「こまつ座」が、自分がいなくなったあとも続いていくかどうかは、全てはこの電話にかかっている。一言ひとことには、そんな気迫のこめられていたのでした。
*自分という作品を作っているつもりで生きなさい
幼いころから父から言われ続けたこの言葉は、どれほど私を人生の窮地から救ってくれたかわからない。挫折が多かった私が何とか曲がらずに生きてこれたのも、この言葉があったからではないかと思う。(中略)
いくつになっても完成することがない自分という作品作りを誰もが行っている。作品が完成するのは遠い先だけど、作っていく上で必要な過程であったと思える道を歩みたい。

*自律しないと本当に人なんて助けられない。まず自律すること

「じりつ」という言葉を父が書く時は、よく自分を律するという「律」の文字を使った。そこに父の強い思いが込められている。読んで字のごとく、自分を律することが自分で立つ「自立」より、より深い意味を持っていたのだ。自分で立つのは当たり前。自分を律するところまで成長することが大切だという意味だろう。

*何かに進んで行く時は、立ち止まったらうまくいかない。だからリーダーは立ち止まってはいけない

「どんなに大切な友であろうと肉親であろうと、誰が何を言おうとも、君は今こまつ座のことだけを見て生きて下さい。その覚悟を持って下さい。君が立ち止まったらうまくはいきません。今こまつ座はまさに雪山に放置された状態です。君は隊長なのだから、隊員から不平不満が出たとしても、皆の命を守るために歩き続けるしかないのです」


これらは決して不特定多数の誰かのために残されたメッセージではなく、全て娘さんとこまつ座のために残されたものですが、市井の人たち人生に寄り添い、作品を書き続けた井上ひさしさんの言葉は、時に厳しく、そして温かいものばかり。こまつ座の舞台、ひさびさにまた見に行きたくなりました。

…と書いていたら、大晦日、NHKで『きらめく星座』が放映されたんですね。有料になりますが、オンデマンドでしばらくこの舞台が見られます。


by hiroshimapop | 2016-01-02 07:20 | おススメBOOKS | Comments(0)

身を清め、衣服を清くし、手を清くして尊い御用を行う


11月に参加させていただいた皇居の勤労奉仕の最終日、私たち『へそ道団』は、宮中三殿エリアを、それも午前、午後の2回、清掃のために入らせていただきました。ここは皇居のなかでも特別な聖域です。

もちろん、賢所など三社がある神域は固く扉が閉ざされていましたが、ちょうど11月の新嘗祭直後でしたので、新嘗祭に集まられた方々が過ごされたという区域の清掃があり、普段、お会いすることは絶対にないであろう方々が過ごされた場所に、時差はあったものの、同じ空間に立たせていただけた、というのはとても感慨深いものがありました。
新嘗祭…天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる(Wikiより)


そんなこともあり、この特別な神域では、どのような方がどのように過ごされているのかしら?と、自宅に帰ってネットでチェックしていたら、戦前から57年間、人生のほとんどを内掌典(宮中祭祀を司る方々)として宮中賢所で過ごした、という女性のインタビュー本『宮中賢所物語』がありました。

いやー、いろんな意味でこれは特別な本でした。おそらく、ですが、宮中賢所は、人がいる場所として清浄中の清浄の場所であり、その空間の聖域さは、俗にまみれている私たちには全く想像できない類の清浄さだと思います。使われている言葉も特別でしたし…。

特に驚いた「浄め」のあたりを少しご紹介させていただきます。

「次(つぎ)」と「清(きよ)」
賢所の生活におきまして、もっとも重要かつ基本的なのは「次清(つぎきよ)」についてのしきたりでございます。
賢所は最高に尊く、最高に清い神様でおいであそばします。お護り申し上げますために、内掌典(ないしょうてん)は常に身を清め、衣服を清くして居住まいを正し、手を清くして御用を申し上げます。

清浄でないことを賢所では「次」と申します。身体の下半身に手が触れました時や、足袋など履き物を扱います時、財布(お金)に触れました時、外から受け取る郵便物や書類、宅配便などを受け取ました時など、このような場合は手が「次」になります。「次」になりました時は、必ず手を清まし(洗い)て清めます。

これに対して清浄なことを「清」とし、清いものと清くないものを「次」、「清」と区別して、重ねて「次清」と申します。どんなに細かなことでも厳格に自分で区別することが、最も基本の大切な心構えでございます。

着物を着替える時など、気をつけていても、ついつい「次のもの(腰巻)」などを触ってしまいます。「次」を触った手で他のものに触れてしまうと、清と次が混同してしまいますので、触ったら間をおかず、すぐに手を清まします。(中略)

普段から常に手を清く保ちながらも、御殿に上がります時には、さらに清く致します。「次清」は候所(*普段すごすところ)と御殿では、また別でございます。

御殿の中に進みます前に、まずはお手水のお流しにて右手で柄杓を持ち、左手に柄杓の水をかけてから、側のおしろもの(塩)をいただいて、両手をすり合わせて手を清め、水で口をすすぎ清めます。あらためて両手を清まし、その後、必ず側の清い麻の手拭で拭います。お清めの布でございます。

このように清めた手で、清い御用をさせていただきます。清めました手は決して自分の衣服には触らないようにします。御用で使います御品々なども、最初は水でお清め致します。御殿の御用はすべて「お清い御用」でございます。

御内陣の御前のもっとも尊い御用をさせていただき、また御前のおしつらえの御品を手に戴きます時、それは「お清い」以上に、畏れ多くもったいのうございますので、そのような御品を「もったいない御品」、そして触れさせていただきました手を「もったいない手」と申します。

御用がすみましたら、必ずお手水のお流しで手を清まし、口をすすいで、「もったいな気」をお流し致します。これを「次める」と申します。常態に戻ることを申します。(中略)

候所での生活にも、自らの自覚で規律を重んじ、ごまかしを決して致しません。御殿をお護り申し上げますために、常に清々しい心にて、身を清め、手を清め、御用を申し上げます。


普段すごしているところでも清めの様々な作法があり、御殿にあがるときにはさらに重ねての浄めがあるわけですが、女性には生理があります。生理中のときの清めについてはこのような感じだそうです。
「まけ」(女性の生理)は最も穢れにて、御用はご遠慮申し上げます。
まけの1週間は、着物やお化粧品は、まけ専用に用意したものを使います。(中略) まけてから7日目の夕食後に常態(中清)に戻る準備を致します。

まけ用に使いましたお化粧品などを片づけ、鏡台を布で拭い清め、常用のお化粧品を出して整え、まけの時使用のお茶椀とお膳をおしろもの(塩)で清め、清いお箸、お箸箱をお膳に載せておきます。(中略)

8日目、起床後すぐに、まずは潔斎。身体をお清め致し、口、顔を清まし清めます。もし潔斎の前に過って口をすすいだり水を飲んだりすると、その日は清くなれませず、自分の不調法をお詫び申し上げて、1日延期になります。(後略)


もちろん、トイレに行くとき、着物を着るとき、寝るときにはそれぞれ清めの作法と段階があり、皇居から外の世界(つまり私たちが暮らす世界)に外出する際、戻ったときには、またそれ相応の作法と清めの段階があります。身内が亡くなったときの喪についても厳しい作法がありました。

自分がどのような場所におり、何に仕えているのか自覚していないと、この清めの作法は、平成の世までも続いてないのではないでしょうか。「清」と「次」をはっきり区別する。中清、大清があるように、次にも次の段階があり・・・。

伊勢神宮の清めの作法や段階は分かりませんが、これほどまでに清めの意識をもった神職の方々が日々奉仕されている宮中三殿が日本の中枢にあり、過去から現在、そして未来へと祈り続けられている、というのも、また、凄いものだなぁと思います。

戦後、皇居内の職員の職域や所属が大きく変わり、インタビューを受けられた高田さんがされていたような仕事ぶりや暮らしぶりとは今はすでに変わっているようですが、話されている言葉の雰囲気も含め、興味深い本でした。そして、自分の清め具合、聖と俗、清と次の混同ときたら!と愕然としてしまいますよ。


by hiroshimapop | 2015-12-20 22:45 | おススメBOOKS | Comments(0)

書籍『「神様アンテナ」を磨く方法』


10月にブログで紹介したことがある桜井識子さんの最新刊。

識子さんが検証されたというトイレでの金運アップ法や、生理中、喪中の神社参拝の可否について、など、面白く読みました。

トイレでの金運アップ法を少しだけご紹介すると、「トイレはいつもキレイに。便器にウンがついたらすぐに掃除」「排泄後臭かったらすぐに消臭」というのをこまめにしていたら、金運アップを実感したそうですよ。

本には消臭剤をシューっとすると良いと書いてあったんですが、経験からいうと、菜食している限りトイレは臭くならないし、キレがいいのでトイレの便器も汚れないので(ホントです!)、思わず、ベジ仲間で、毎年金運アップのために早稲田の穴八幡神社に一陽来復御守を買いに出かけているサンプラザ中野くんに『・・・ということは、ベジタリアンの人は基本金運アップの素地はあるはず』とメールしたんですが、どうなんでしょう?

ベジVSノンベジ で金運状況を測ったことがないんですが、いずれにしても、トイレの神様にいつも気持ちよくトイレで過ごしていただけるよう心を配る姿勢は大事ですから、 家でも外でも、自分が使ったあとはキレイに、を心がけておくと、感じいいですよねー。


そして、神社話ではないですが、介護の仕事をしている著者が気がついた玄関わきの植木と住人の運勢との関係。
突然の不幸・・・例えば、事故に遭って体が不自由になった、大きな病気がすでに手遅れの状態で見つかった、認知症と診断されたが常識を超える速さで急速に進んでいておかしい、若いのに脳梗塞で倒れて体が不自由になったなど、そういった不意に訪れた不幸に見舞われたお宅に行くこともよくありました。

そういうおうちで気がついたのが、玄関わきに置いている植木鉢の木でした。その木が枯れている状態なのです。
「あ、ここの家もそうだ」
「え?ここのお宅も?
というふうに、本当に多かったです。

木ではない草系の植物は枯れていても、何か急な不幸があるわけではない、植木鉢ではなく地面に直接植えている木が枯れていても問題はない。植木鉢の木が枯れているときに問題が発生しやすい、ということのようですが、これは風水を学ぶ身にとっては気になる話。

もともと、植物であろうと、木であろうと、枯れた植物を置いておくことは、玄関だけではなく、家のどこであろうと風水的にはNGです。特に玄関はその家のエネルギーの入り口ですし、玄関から出入りするたびにそれを目にすることになりますから、潜在意識や家のエネルギーへのインパクトが大きいのかもしれません。

植木鉢に入っている木が枯れているとき限定で起きやすくなる運勢の低下、というのがよく分かりませんが、ちゃんと世話をしてやれば永遠の命がある木を植木鉢という狭いところに人の手で植え替えておいて、世話を怠るとは何ごとか!ということなのかもしれません。ノビノビと根っこを伸ばせる環境にないぶん、よりその木に対し配慮を求められているというか。

コンテンポラリー風水では、状況が許せば、玄関脇に対の植物を置くことを勧めることが多いのですが(木よりも玄関ドアの開閉の妨げにならないサイズの季節の植物を勧めることが多いです)、植木鉢の木を置いている方は、ご注意を。それから、玄関わきに植物を置くときには、玄関のドアに対してバランスのよい大きさの植物がオススメです(枯れた植木や、植え替えたりして空になった鉢はすぐに玄関脇から撤去して下さいねー)。

いずれにしても、外から家の中に入ってくるエネルギーだけではなく、その植物に対し、そして玄関から家の中まで、そこに住む自分の気持ちとエネルギーが届いているかどうかは大切。今はまさに大掃除シーズンですが、家の中には「どうでもいい場所」は1つもなく、物置であろうとトイレであろうと棚の中であろうと、全てのエリアが自分の人生を彩る大事な場所。

これから年末までの2週間、そこに何が置いてあるか何があるのか、モノと自分との関係性を把握しながら、少しずつでもその場を整えていきたいものです(ほぼ自分に言い聞かせてます)・・・。



by hiroshimapop | 2015-12-15 15:10 | おススメBOOKS | Comments(1)

本棚の本プレゼント again!


ひさしぶりに本棚の本のプレゼント企画です。
今回は、こんな感じの山にしてます(11ヶの山があります)。
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★応募方法
読みたい山があった方は、どの本の山が希望なのか(どれか1つに決めて下さい)と、お名前、メールアドレスを非公開コメントでお知らせ下さい。 
ご住所、電話番号などは、当選した旨のご連絡を差し上げたあとで教えて下さい。 (残念なことに、毎回、メールアドレス書き忘れのために送れない方がいらっしゃいます

送料はこちら負担の宅急便で送ります。ただし、1年以内にテンプルでお買い物をして下さった方(自己申告)優先の先着順です。過去1年間にテンプルで買い物をしたよという方は、それも必ずお書き添え下さいね。
*カバーのない本もあります。それはご容赦下さい。

当選された方には、お知らせいただいたメールあて、後日ご連絡させていただきます。
*11月18日、19日の両日の日中はパソコンが開けないため、夜までブログのコメント欄を確認できません。
*本の発送は21日(土)の予定です。

本のタイトルは写真をご確認下さい。タイトルが読めないものもあるかもしれませんが、それは直感で決めてください。

                  ①言葉を味わう系(鈴木さまにお送りします)
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                  ②たべもの、食事系(浦川さまにお送りします)
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                 ③からだ系(小久保さまにお送りします)
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                  ④お仕事系 (宮田さまにお送りします)
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                 ⑤ともだち系(小山さまにお送りします)
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                 ⑥ 矢作&保江本(依光さまにお送りします)
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                    ⑦ 小説系(出口さまにお送りします)
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                 ⑧ スピ系①(よりみつさまにお送りします)
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                  ⑨ スピ系②(伊巻さまにお送りします)
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                 ⑩ スピ系③(タチバナさまにお送りします)
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                 ⑪ イティハーサ(佐藤さまにお送りします)
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若干ご説明を加えると、
⑤の「ともだち系」には、UFOコンタクティ、ビリー・マイヤーが書かれた小冊子(フィグ・ヤーパン刊)を数冊加えています。


11月20日追記
2日間、車の中か歩いているかの移動が多かったので、ご連絡が遅くなりました。
今回はスピ系②にご希望が集中してましたー。

テンプルでの買い物履歴があるという条件はありますが、基本、早いもの順なので、今回、お送りできなかった方も、次回、ピンと来たら速攻でご連絡下さいね。
by hiroshimapop | 2015-11-17 16:40 | おススメBOOKS | Comments(28)

パワー・オブ・タッチ(その2)


昨日に引き続き、『パワー・オブ・タッチ』のご紹介。
内容を引用するのは、第3章(幼い子どもにふれる必要性)からです。


1248年、ドイツのフレデリック2世は、言葉を聞くことなく育った子どもが何語を話すのか調べるために、とても残酷な実験を行っています。生まれたばかりの赤ちゃんを母親から引き離し、乳母に預けました。ミルクは与えたでしょうが、その乳母は赤ちゃんに話しかけることも触れることも禁じられていました。

果たして、そのように扱われた赤ちゃんは、一体どのような言葉を話し始めたでしょうか?

実はこの実験は失敗に終わりました。言葉を話す年齢になる前に、全ての赤ちゃんが死んでしまったからです。

なんと愛のない実験!

しかし、同じような育児法が19世紀初頭のアメリカでは主流でした。ホルトとワトソンという博士によって推奨された最新の育児法は、赤ちゃんを孤独のまま育てるに等しいものだったのです。

ワトソン博士が書いた本には『母親の必読書』と推薦されていたそうです。
『良識ある子どもの扱い方・・・決して抱きしめてもキスしたりしてはならない。膝に座らせたりしてもいけない。どうしてもキスしなければならないとき、子どもがおやすみを言いに来た時にいは、額に1度だけすること。朝、子どもと握手しなさい。難しいことを子どもが首尾良くやり遂げた時には、頭を軽く叩いてあげなさい・・・』


ホルト博士の育児法も負けず劣らず凄まじい。
『ゆりかごは捨てなさい。赤ちゃんが泣いても抱き上げてはいけません。時間がくるまで授乳してはいけません。必要なおむつ替えや授乳の時以外、むやみに抱いて甘やかさないこと』

これが主流の育児法だったなんて…!残酷で、愛情のかけらもない。赤の他人だって、赤ちゃんが泣いていたら抱き上げてあやしたくなりますよね。 それは人間として、生き物としての本能みたいなもの。それこそ赤ちゃんが求めているもの。なのに、その本能的な行為を真っ向から否定しています。

このワトソンとホルト博士自身は親の愛に包まれた経験なく育ってしまった人なのではないでしょうか。親との暖かな記憶が1つでもあれば、こんな機械のように赤ちゃんを扱う育児法を提唱するわけないと思うのですが・・・。

しかし、恐ろしいことに、この育児法に基づき、当時の子どもたちは育てられ、いまだアメリカで生き続けているらしいのです。こんなことしか書いてない育児法やマニュアルなんて、くそ喰らえ、です。

しかし考えてみると、今の日本では、病院で出産すると、よほど母子関係にポリシーのある病院でないかぎり、ほぼ100%に近いくらい新生児室に連れていかれてしまいます。母体を休ませ、病院サイドも赤ちゃんを一元管理できるというメリットもあるのでしょう。でも、そこには赤ちゃんが本当に必要としているニーズはほとんど顧みられていません。

私は生後すぐ、田舎の産院から大きな病院に転院させられ、しばらくの間、母親と引き離されてしまった一人。この本には新生児、乳幼児がいかに母親とのスキンシップを必要としているかが書かれているんですが、それらを読み進めるにつれ、私は自分のこの人生を、なんと孤独な環境の中でスタートしてしまったのかと、当時の赤ちゃんである自分を想像すると、本当に痛々しく可哀相になってきます。

泣いてもすぐに抱き上げてはもらえなかったでしょうし、母親の胸のぬくもりの中で母乳を飲む機会もなかったでしょうし・・・。

いまも、色んな事に諦めが早いのも、ちょっと人間嫌いなところがあるのも、もしかしたら、この時の経験が魂の奥底で残っているからかもしれませんねー。

*母親のために、フォローをしておくと、その後の私は母親ベッタリの育児を受けています。母は自宅で仕事をしていたので、常に私は母の背中におんぶされ、床に降ろすと泣く、母がトイレに行くと泣くという子どもだったそうです。ただ、母の背中に始終おぶられていたせいで、しっかりO脚(涙)


さて、赤ちゃんが母親から肉体的なケアを受けること(泣いたら抱き上げられること、ふれられること)がいかに大切か、著者は興味深い示唆をいくつも書いています。

その一部をご紹介します(少し短く書き直している部分があります)
ある研究では、出産直後の4時間に優しく愛撫された平均的新生児は2分しか泣かないのに対して、母親から離されて新生児室のベッドに寝かされていた新生児は38分泣く、という結果が出ています。

長いこと泣かせておくことで、赤ちゃんは想像以上にストレスを受けています。赤ちゃんにかなりのダメージを与えているのです。泣くことで蓄えていたエネルギーは消耗され、カロリーは消費されます。それに赤ちゃんはへとへとに疲れてしまうでしょう。

赤ちゃんには出生直後からのお母さんとのコンタクトが必須です。そうすることで、身体が暖まり、呼吸と脈拍が安定し、びっくりするような反射は少なくなります。

それまで原因不明だった乳幼児の死亡の原因について研究が行われ、タッチが足りないこととの関係性が指摘されたのは第二次世界大戦後でした。優しい愛に満ちたケアが適用されたところでは、乳児死亡率が劇的に減少しました。子どもが生きて、健康に発育するためには、抱きしめたり、優しく愛撫したり、優しく言葉をかけたりすることが必要です。こうしたからといって決して子どもは暴君になりません。ほとんどふれられずにいると、赤ちゃんは死んでしまいます。実に簡単なことです。タッチは生きるために必要なのです。

(猿を使った実験で)布でできた動かない母親に育てられた猿は、社会的に孤立した時の影響を示しました。代理母が動かないので、小猿は自分で繰り返し身体を揺すっていました。動く代理母を使った場合には、小猿は身体を揺すりませんでした。赤ちゃんには揺する動きが必要であることが分かります。何かの理由で動くことができなかった乳幼児、子ども、大人は、怒りや暴力にはじまり、おかしな考えを抱いたり、多動になったり、考えがまとまらなくなったり、様々な情緒障害を起こします。

泣くとすぐにふれられたり静かに揺すられたりしてきた赤ちゃんは、泣いても放っておかれた赤ちゃんに比べ、3歳までにより自立します。

生後3ヶ月になるまで、毎日最低3時間は母親に抱かれていた赤ちゃんは、そうされていなかった赤ちゃんよりずっと順調に育っていました。毎日約2時間長く抱かれていた子どもは、驚くべきことに泣く率が43%低かったのです。とりわけ夕方の忙しい時間帯には、そうした赤ちゃんは泣く率が51%低いことを、カナダのマックギル大学医学武のフンジッカーとバールがつきとめました。

親にスキンシップを求めている時に、その求めに応じてもらえなかった赤ちゃんは、「不安を隠すアタッチメント」になります。つまり、親が子どもを抱き上げてあやさずに、子どもの要求をはねつけていると、やがては子どもは自己防衛機能として、自分の感情を表に出さなくなることが分かっているそうです。つまり、赤ちゃんは、自分が最も不安で動揺しているとき、一番母親を必要としているときに、母親を避けるようになります。再び拒絶させらえるのを避けるためです。そういう赤ちゃんは、人を信頼せず、親密な愛情を抱くことができない大人になってしまいます。きっと自分の子どもを自分が扱われたと同じように扱うようになるでしょう。このようにしてタッチしないという悪習慣が綿々と続いていくのです。


自分が子どもの頃、親から十分なタッチを受けていなかったと愕然としてしまう方も、自分の子どもに対し、十分な触れあいをしてこなかったことに気がついた方も、これから、周りの人とふれあうことはできます。

10代の男の子はむやみに触られるのを好まないと思います。でも、その代わり、彼らは武道やスポーツで仲間と肉体的に触れあってます。大人も、自分からふれることができなくても、マッサージを受けたり、整体を受けることができます。人間に触れられない人や子どもも、犬や猫の世話をしたり抱きしめることは出来るかもしれません。

そうやって代替のふれあいを、私たちは、無意識に受けたり、したりしているんですね。

第2章(「ふれる」という感覚について)の最後に著者はこのようなことを読者に問いかけています。
タッチは、この世界に対しての、あなた自身の身体表現です。手を伸ばしますか。 控えめに歓迎しますか。それともちょっとためらいますか。 腕組みして抵抗しますか。まったく避けることもできます。

ふれたりふれられたりすることは楽しいことでしょうか。なんだか自分の存在が脅かされているような恐ろしさがあるでしょうか。とても勇気がいることでしょうか。

私たちはもう赤ちゃんではありませんから、身体にふれる以外にも愛を交換する方法は知っています。ただタッチは、どれくらい私たちが愛せるかを測る物差しです。何かのためにタッチが必要なのではなく、タッチそのものが必要なのです。

タッチはあなたが人生、経験、友情、愛とどうかかわっているかの象徴です。

タッチは力強く、愛しいものです。でも同時に、幼い時にタッチと結びつけた意味や感情と向き合うことも求められていますから、自らの存在を問うようなちょっと怖いものでもあります。


私も含め多くの人が、出逢った人に対し、そして新しい世界に対し、大きく手を広げて歓迎するのではなく、腕組みして抵抗したり、警戒心から心を開くのを避けてしまうのではないでしょうか?

なんか、それってつまらないなぁと思います。周りの人や好きな人、新しい世界に自分から手を伸ばすのは、最初は勇気がいることかもしれません。でも、出来ないままをずっと続けていても何も始まらない。必要なのは、ちょっとの勇気と練習かな。
by hiroshimapop | 2015-11-15 09:40 | おススメBOOKS | Comments(5)

パワー・オブ・タッチ


10年近く本棚に入れたまま、ずっと読まずにいた1冊。今週、ようやく手にとりました。

三砂ちづるさんが書かれた本だと思ってましたが、翻訳本でした(著者より翻訳者が目立つ装丁デザインは、かなり残念)。すでに版元で品切れで、この本の入手は中古か図書館で見つけていただきたいのですが、三砂さんが書かれた『抱きしめられたかったあなたへ』が、同内容かと思います。

この本は、「人とふれること」「ふれあうこと」がいかに人間にとって大切なことなのかが解説されたものです。ふれることは、酸素や水、食事や排泄、睡眠や休息と同じくらいに必要な「生存ための基本的ニーズ」である、犬や猫は簡単に手に入れているものを人は手に入れていない、とも書かれています。

動物は常にお互いを触れあっています。自分の子どもがケガをすると親である動物は子どもを舐めたりさすったりします。でも人間は、自分の子どもがケガをすると「泣くんじゃないの!」と怒られ、絆創膏を貼られて終わり。そうやって、私たち人間は大人になっていくのです・・・。

私はまずこの本が、アメリカ人によって書かれていたことに驚きました。日本と違って、ふれることを十分満たしている文化じゃないの?と思ってました。

欧米の人たちは、日本人に比べ遙かにハグをします。親子、友だち、知人に対し、軽くであっても、会えば常にハグをしたり、頬にキスをしたりしているように思います。映画でもドラマの場面でもそうですし、実際、何度か遊びに行ったバージニアビーチやアリゾナ、テキサスでは、人は出逢うとき、別れるときは、ハグは必須、でしたし・・・。
*巨体のアメリカ人にハグをされると私はその身体に埋もれてしまうので、ハグが嫌で逃げ回ってしまうくらい、滞在先ではハグは日常でした。が、考えたら、ケイシー関係の人やローフード施設といった場所が私の主な滞在先です。フツーのアメリカ人家庭はそんなことはないのでしょうか? よく分かりません・・・

いずれにしても、そんなアメリカ人が「ふれあいやふれあうこと」を不足と感じているなら、日本人は、いったい、どうしたらいいのですかー!と絶望的な気持ちになってしまうほど少ない、ふれあいレベル。この1週間、誰か人と肉体的に接触したのは、満員電車の中で知らない人とだけ、それも嫌々という有り様の人、多いんじゃないでしょうか?

赤ちゃんの場合、栄養は十分でも、人とふれあうことができなければ死んでしまうくらいに大切な「さわってもらうことや抱きしめてもらうこと」。

この本は大切なメッセージがてんこ盛りでした。

なお、この本でテーマになっていることは、性的なふれあいではない、でも、心のこもったふれあいです(性的なふれあいについて書かれた章も、もちろんありますが)。思春期あたりから、人にふれること、特に異性にふれることは、=性的なこと だと思い込んでしまうのは残念なことです。

この本に『言葉では5分もかかるのに、ふれれば5秒で愛情が伝わります。嫌なことばかりあって落ち込んでいる人には、あれこれ励ましの言葉をかけてあげるより、抱きしめてあげるほうがずっと慰めになります。暖かく身体を抱いて迎えてあげれば、それは「あなたに会えてとっても嬉しい」という意味です』と書かれてましたが、まさにそう。

夫婦や恋人同士であれば、なおさら。
最近日本では、寝室を一緒にしないだけじゃなく、全く肉体的にふれあわない夫婦も増えてますよね。そういう夫婦は、喧嘩したとき、いったいどうやって仲直りするんだろう?と私は常々思っているんですが、ふれあったり抱き合ったりしない仲直りって、仲直りしたようで、互いの心の奥底では寂しさが積み上がっている気が私はします。


親子でもふれあいは大事。
そういえば、母の病気が見つかったあと、私は当時1ルームの部屋に住んでましたが、東京の大学病院に通院してもらうために、その1ルームの部屋で母と一緒に暮らし始めました。元気だけが取り得だったのに手術の後はずいぶんと弱ってしまって母と出かけるときには母の腕を組んで支えるように買い物に行ったりゴハンを食べに行ってました。私はそれを何気ない行為としてやっていたんですが、母はそれがとても嬉しかったようで、母の姉たちから電話があると「今日、なおちゃんが腕を組んでくれて一緒に**に行った」「**にゴハンを食べにいった」とよく話してました。一緒にどこかに行った、というだけじゃなく、娘と腕を組んで歩いたこと、娘に肉体的に支えられていたことが母にとっては嬉しかったんだなーと、あらためて、この本を読みながら思い返してました。


第1章(ラビング・タッチ 「ふれる」という愛)から、「ふれるということ」について著者が述べている言葉をいくつかご紹介します。
私が伝えたいのは「ふれることは愛すること」です。あなたの周りをよく見てください。ふれるということがあまりないことに気づくはずです。あったとしても、限られた行為が、限られた人に、限られた程度に行われているだけでしょう。

人と人との関係において、私たちは優しく、暖かくふれることで愛情を表現します。ふつう相手を肯定したり、励ましたり、応援したりする言葉で愛情を表現しますが、一番強い愛情を感じるのは愛情をもって身体にふれられたときです。私たちは心の奥底ではふれられたいと思っているのです。

誰かに抱きしめられたりなでられたりすると、相手が自分のことをどう思っているかわかります。本心を隠すことは容易ではありません。言葉を使えば、話をぼかしたり、あいまいに言ったり、あることを話しているように見えて実はまったく別のことを言うこともできます。「ふれるということ」はそうはいきません。「ふれるということ」は心に直接語りかけます。

人を愛する過程では、ふれることが自然で健康なのです。心の健康にも身体の健康にも必要なのです。そうして自尊心が育まれると研究者は考えています。何かの理由で人を愛することもふれることもやめてしまったら、他人の健康だけでなく、自分の健康も害しはじめます。


私たちに足りないビタミンT(タッチすること/ふれあうこと)。
子どもはもっと、そして生まれたばかりの赤ちゃんや乳幼児はもっと必要としています。子どもがいかにふれることを必要としているか、については、またあらためてご紹介したいと思います。





by hiroshimapop | 2015-11-14 12:06 | おススメBOOKS | Comments(1)

ケイシーグッズ専門店テンプルビューティフルの店長日記


by hiroshimapop
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大地と海の歯磨き粉

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80g 2,160円

カーボンスチール(炭素鋼)

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1個 742円

ソリーブソープ

ソリーブソープ
100g 1,296円

書籍「眠れる予言者エドガー・ケイシー」

書籍「眠れる予言者エドガー・ケイシー」
光田秀著 1,728円

書籍「エドガー・ケイシーが教えてくれた美しく生まれ変わるレシピ」

書籍「美しく生まれ変わるレシピ」光田秀著 1,404円

書籍「自然療法で乾癬を治す」

書籍「自然療法で乾癬を治す」ジョンパガノ著 2,376円