木村秋則さんのリンゴ畑(その2)
2008年 10月 21日
そして、手前の木は、自然栽培に成功し、無農薬を始めて6年目か7年目かに初めてリンゴの花が7つつき、秋には小さいけど、2つのリンゴが実った、木村さんにとっては記念すべきリンゴの木(書籍「奇跡のリンゴ」162ページ参照)。でも、奥の木は、同じ樹齢で、畑も同じ。ほんのちょっとしか離れておらず、同じように育てているのに、実がなり始めたのは、なんと5年前。それまで全くリンゴを実らせなかった不作のリンゴの木。
なんで、手前の木は、毎年たわわにリンゴを実らせ、幹も太いのに、奥の木は、30年近くリンゴを実らすことができなかったのか・・・?
同じように育てているのに、たった1つ、違うこと。
それは、手前の木には、木村さん、毎日愛情込めて声をかけているのに、奥の木には一言も声をかけなかったこと。
リンゴを育てていると、自然にリンゴの木が可愛くなって、話しかけたり懇願したり「お願いだから実をつけてね」とか「実はつけなくてもいいから死なないでね」とか・・・、なんやかんやと、リンゴの木に向かってお話してたそう。それも、隣の農園の人に聞かれてしまうくらい大声で。
でも、木村さんとしては、木に話しかけているのを他の農家さんに見られたり、聞かれたりするのが恥ずかしくって、他の畑の境界線あたりにある木々には話しかけなかったそう。
そしたら、見事にリンゴの木が枯れてしまったことが・・・。しかも1本ずつ枯れるんじゃあなくて、境界線にあった木々が一列いっぺんに枯れ木に・・・・。
もしかして、とは思ったけど、木に話しかけなかったことと木が枯れたことの因果関係はよく分からないし、ホントに関係あるのかな?って思いもあって、あえて、それを実証する気持ちで、この木だけには声をかけず無視していたそう。
そしたら、枯れなかったけど、他の木々が次々とリンゴの実を付け始めたのに、この木だけは毎年、花も咲かず実もならせず・・・。
もうこうなったら、このリンゴの木と根比べだって感じだったらしいんですが、ようやく5年前から、リンゴの木のほうが降参したのか実をつけはじめたとか。
(今は、その木にもちゃんと話しかけているそうです)
種を植えるときにも「大きくなれよ」ってポンポンって土をたたくのが木村さんの習慣。そしてリンゴにも、もちろん、がんばれよ、大きくなれよ、ありがとうって毎日、話しかけているそう。
自然栽培って、種を植えたらそのままほったらかしで雑草も生やしっぱなしであとはその野菜や木が育つがままに任せているって印象だったけど、ほったらかしの自然農法と、木村さんの自然栽培は全く違って、木村さんの自然栽培は「どうやったら、その野菜や木々がよく育つかなとか、どうやったらリンゴの木が喜ぶのかな」って、その植物を良く観察して、人の心と愛情が一心に注がれている。
「リンゴは何にも言わないけれど、リンゴの気持ちはよく分かる」って、昔流行った歌にありましたが、人が心を込めて言葉に出して植物に語っていたら、植物はその気持ちに応えようと、一生懸命生きてくれるんだなって、この2本の木が証明してくれているよう。
そして、植物も関わってくれている人に「無視される」って心が傷ついているんだなって思います。
フツー、木や植物は人なんていなくてもお日様と水さえあれば、一人大きくなってちゃんと実をつけることができるのに、誰かに世話を受けている植物は、物理的な世話は受けても、そこに心がこもってないと、大きく成長したり実をつけることができないなんて・・・・。
だから人ともっと関わって生きているペットたちや人間は、「無視されたり、関心をもたれない」ってことが、どれほど心に大きな傷になっているか・・・。
植物には心がない、何も感じないって思いがちだけど、木村さんの畑を見てると、それは大きな誤りだって、ホントに思います。
リンゴがすごく喜んでいる、虫や雑草たちも嬉しくてたまんない。
木村さんの畑は、そんな生き物たちの喜びに溢れている畑なのかもしれません・・・・。
こんな素敵な木村さんに毎日素通りされたら、
降参してでもアピールしたくなる気持ち、とてもわかる気がします。
全ての生命は言葉を超えて共存しているんだなぁ、と
改めて感じました。