フィネックス・エクスピリエンス4日目(2008.9.1)
2008年 09月 02日
ようやく、アリゾナらしい青空とジリジリと暑い太陽が照らす日になった。
さて、今日はどうやら号泣の日。
朝の瞑想のときに、このエクスピリエンスをコーディネイトしているスタッフの人がなぜか号泣(あとでその理由を話してくれるそう)。
そして、朝食のときに、講師の一人が号泣。
彼女はいつも自分のワークは、自分が思い描いているように行くのに、夕べはうまくいかなくて、フラストレーションを感じたそう。でも、私たち参加者はそんなこと、まるで気にせず別の流れが起きたから、それはそれで良かったんだけど、彼女は、そこから、いろいろ学びがあったと話しながら号泣。
そして、午前中の講義の休憩時間に、私が号泣・・・・。
スケジュールでは、午前中のグラディス博士の講義は、ホントは「7つのチャクラ」についてだったのに、なぜか博士は勘違いをして明日に予定されていた「誕生と死」についての講義に・・・。
博士は、産科医として多くの赤ちゃんを取り上げてきた人だし、ターミナルケアのパイオニア、エリザベス・キューブラーロス博士の親友でもあり主治医でもあった人。そして、エドガー・ケイシーのリーディングのエキスパートでもある。
だから、彼女ほど「誕生と死」について経験があり、語れる人はいないんじゃないかと思うんだけど、その「誕生と死」についての講義の中で、博士は、去年の11月に55歳で亡くなった長女、アナリアさんの最期も語られた。
私はアナレアさんを、博士とともに8年前に日本に招聘したことがるので、彼女とは1週間一緒に過ごした。アナリアは、7月生まれそのままに、明るく太陽な人で、私も大好きだったんだけど、彼女と過ごしたのは、本当にたったの1週間。
アナリアは、メールもパソコンも使わない人なので、その後、連絡を取り合ったりすることはなかったから、彼女が生きていても、亡くなっていても、私には全く日常が変わるわけでもなく、ある意味で「同じこと」であるハズなのに、彼女の死を知ってから、私は彼女のことを思い出すたびに号泣してしまう。皿洗い中であろうと、掃除中であろうと、なぜか涙が出て止まらなくなってしまう。
8年間も音信不通で、しかも会ったのは1週間だった人のために、なんで、私はこんなに泣いてしまうんだろう・・・・?
だから今朝も、講義中は良かったんだけど、休憩時間にグラディス博士に
「私はなぜかアナリアのことを思い出すたびに、悲しくて、泣いちゃうんです~」
「たった1週間しか一緒にいなかった人なのに、なんで、こんなに悲しいの~!」
「自分でも、なんでこんなに泣いてしまうのか分からないんです~」
と言いながら号泣状態に突入。
そしたら博士は
「アナリアは、たった1回しか会っただけの人にも強い印象を残す人だったのよ」
「カリフォルニアに地震があったとき、アナリアに引っ越すように勧めたら、『もしカリフォルニアに地震があって私がそのために死んだとしても、私はアチラの世界で亡くなった人のために働くわ』って言っていたわ。だから、今頃、世界中で起こっている津波や地震で亡くなった人のために働いていると思う。私たちが彼女をこの世界で必要とする以上に、アチラの世界が彼女を必要としているのよ」って。
そうは言っても悲しいことは悲しいんで、グラディス博士と二人して、ティッシュペーパーと何枚も使って泣いてしまった。
人は、多くの人に影響を与え合って、ささえあって生きている。たとえ、身近にいなくても、親しく話しをしてなくても、魂の深いレベルでお互いを必要としている。
いま、このパソコンの前で一人アナリアのことを書いているだけで、やっぱり涙が溢れて止まらなくなってしまうんだけど、人は、そうやって、自分が気がつかないところで、知らないところで、誰かに愛されているんですよね。