とうとう帰国!
2008年 04月 15日
午後お店に寄ったら、スタッフに「外人のような顔になってる」って言われてしまいました。
さらに、飛行機の中で2時間くらいしか眠れなかったけど「充実してキラキラしてる顔」だったって。
旅行中、部屋に戻ってもスタッフと連絡を取り合ったりブログを書いたりして、睡眠時間は連日4時間以下って日が続いたけど、それでも毎日元気だったので、きっと魂の高揚感が身体を元気にしてくれていたんだと思います。
友達にイスラエルからメールを書こうとメールアドレスを旅行用のパソコンに移したり、時間があるときにと思って山のような仕事のファイルや本を持参していたのに、結局、仕事をしたのは、乗り継ぎで4時間ほど過ごしたチューリッヒでやったA42枚分の仕事だけ。でも充実した旅行を楽しむには、やはり仕事は持参しないに限ります。
今回の旅行は数字のマジックがたくさん起こりました。
まずは「33」
ガイドのバラさんの人生を変えた数字は「33」。イスラエルのある通りの33番地で出会ったアメリカ人女性に導かれて、バラさんの人生は変わっていったので、33はバラさんにとって重要な数字。
前回のイスラエル旅行は、参加者は31名+ガイドとドライバーさんで合計33名の旅。
そして、今回も同じく参加者31名と2名の合計33名。
今回は、当初、合計35名の申し込みが入っていたのに、直前になってキャンセルした人5名。30名と31名では旅行代理店に支払う一人あたりの旅行費用が変わってしまうので、困った~って思っていたら、最後に1名滑り込みがあり、最終的には31名+2名で33名に。
テンプル経由のお申し込みなんて、お申込があってはキャンセル、また別の人のお申込があってはキャンセルと、なぜか入ったり出ていったりが多く、ちょっと不思議に思っていたけど、小林先生や赤塚さんが言うように、今回のこの旅は、行きたい人が行ったのではなく、神様やイスラエルから招聘があった人のみが参加できた旅だったのかも。
参加者を31人にされることで神様は鈍感な私たちに分かるようにメッセージをくださった。
だから多くても少なくてもだめだったんです。だから「あの人、来ればよかったのに~」って思うこともあったけど、参加しなかった人も、実は、しなかったことに意味があり、間接的に、今回の旅行を作るために大きな役割を持ってくれた大切な人たちなんです(意味分かります?)。
そして、イスラエルから帰る直前、パスポートを開いた赤塚さんが見つけたのが、パスポートに印字された33の数字。
実は2006年7月にあった前回のイスラエル旅行の旅を控えて、赤塚さんは、2006年2月に別のメンバーとイスラエルを旅して、7月に予定されているツアーが無事に行われますようにと各地で祈って帰って下さったんだけど、その旅から戻った日が3月3日。
パスポートには、成田空港での通関日が2006.3.3がしっかり押されていました。
赤塚さんにそれを見せてもらったときにはピンとこなかったけど、あとで思い返したら、この符合はとっても凄いことです。だって、ここですでに、いろんなことがプランニングされていた証ですもの。
数秘術をやっている人に聞いたら、33という数字は「イエス・キリスト」を表す数字とか。
私の誕生数も33(誕生日を全部足したら33もしくは6になる)。
この旅の言い出しっぺは、実はこのわたくしめ。なんとなーく言った私の一言で始まった旅だったけど、実は、神様の計画に私たちが動かされただけなのかも。
エドガー・ケイシーのリーディングによれば、イスラエルという意味は「人々に先立って神の御業を行う」という意味もあるそう。
ということは、今回世界中(参加者の一人はドイツ)から集められた今回の31名+2名は、これから、人々に先立って何かを行う、行わなければならない人なのかもしれません。
次は「3.5.8」
よく知らなかったんですが、この3つの数字全てが入っている数字はgood numberだとか。
チューリッヒで乗り継ぎを待っているとき、借りていた50ドルを返そうと赤塚さんに日本円でお金をお渡ししたら、その1枚の通し番号にこの3つの数字が・・・。
赤塚さんが「わ~」って喜んでいたので、お財布の中にあったお札の数字、全部確認したら、3つの数字全てが入っていたのは、結局、赤塚さんに渡したあの1枚。
なんて確率なんだ・・・!
そして、成田空港から戻るとき、赤塚さん、安藤さん、彰子さんの4人で築地にお寿司を食べに行ったんだけど、私たちの前で走っていたタクシーのナンバープレートは「358」。他の数字が全く使われていない、ただの「358」。あまりにも出来過ぎなナンバーに一同ビックリ。
神様は、こういう数字を通して「YES]ってことを、行く先々にちりばめて気づかせてくれているのかも。
今回のこの素晴らしい旅ができたのも遡って考えてみれば・・・・
2007年7月7日
この日の夜、津の赤塚さんのログハウスであった飲み会で盛り上がった私が、小林さんに「兄と赤塚さんをイエスの語り部にして廻るイスラエル旅行やりたいですねえ」って言った一言で、小林さんが「それいいねえ」って、イスラエル旅行の企画は動き始めた。
実はこの7月7日の飲み会。最初、小林先生からお誘いを受けたとき、私はすでに他の予定が入っていて「行けません」ってお断りしたもの。でもエハン・デラヴィさんが参加するし、彼はテンプル騎士団の本を書いている人だから、「テンプルの貴女はぜひ来てください」と赤塚さんから再三のお誘いを受け、当初の予定をキャンセルして参加。
この時、飲み会に参加した人とエハンさん。その後、特に交流があるわけでもなく、私もそれっきりになっているので、テンプル騎士団って関係なかったじゃんって思っていたんですが、エハンさんが参加しなければ、あれほど赤塚さんも何度も私に「来るように」って言わなかったと思う。もし、この日、私が参加してなかったら、今回のイスラエル旅行は実現できなかったわけで、そういう意味で、エハンさんは、単なる私を呼び出す呼び水だったのかもしれないですね。
2006年12月6日
この日、赤塚&光田秀のコンビで「人生にイエスを招き入れる」パートⅡの講演会を開催。
シリーズ2回目だったこの講演会。参加者の方々からとても好評で、ぜひ3回目をという声をいくつか頂いた中で、私は赤塚さんにこう言ったらしい。
「この講演会は全部で3部作にする。その3部作の最終バージョンは、イスラエルのエルサレムで行うわ」って。
この発言。言った本人は「実現しないか、実現しても遙か遠くの未来のこと」って思っていたけれど、こんなに早く、そして最高の形で実現するとは・・・!
赤塚さんに「ほんまに、3部作がイスラエルで完結したなあ。あんたはスゴイなあ」って言われたけど、私はただポロリと言っただけで、ツアーを実現させたのは小林正樹先生と赤塚さんのお二人の力。
でも、私が言った一言でこの企画が神様の世界で動きはじめ、7月7日の飲み会へと結びついたのなら、私の無責任なポロリ発言も意味を持ってくる気がする。
2006年9月30日
赤塚&光田秀のコンビで「人生にイエスを招き入れる」講演会開催。
この日、静岡から彰子さん参加。この彰子さんに起こったことも不思議。
7月22日(私たちがイスラエル旅行に出発した日)「あなたは9月30日に額にダビデの紋章のある人に会う」ってメッセージを受けとっていたそう。
彼女は数年間暮らしたアメリカから日本に帰国したばかり。アメリカでは、エドガー・ケイシー財団併設のアトランティック大学でマーク・サーストンの指導の元に学んでいて、帰国直前にマークに「日本に戻ったらぜひ光田秀の講演を聴くように」と言われていたので、何も知らず講演会に参加。
私はこの日以来、すっかり彰子さんと仲良くなって今もおつきあいが続き、彰子さんと赤塚さんもこの日以来の友情が続いているので、きっと私たちには、過去からの魂の結びつきがあるんでしょうね。
でも。彰子さんにすでに日にち入りのメッセージが入っていたってことは、見えない世界では、7月22日の時点で、9月30日の講演会が企画されていたってこと?
2006年7月22日
小林正樹さん主催の「山元加津子さんといくイスラエル旅行」出発。
私は山元加津子さんのお名前は冊子は小林先生から何度も聞いたり読んだりしていたので、
知ってはいたけど、実際にお会いするのは初めて。
20代初めの頃、パレスチナ問題をかなり突っ込んで勉強したことがあって、イスラエルはいつか行きたいと思っていた国だったけど、大手の旅行会社のツアーで行ってもつまらない。だから小林先生が企画されたご縁に、はじめて山元ツアーに参加した。
この旅自体もとても素晴らしく奇跡が続いた旅だったけど、ホントのことを言えば、パレスチナ問題やケイシーのイエスの話を知りかじっていた私には、なんだか欲求不満と未消化が残る旅。旅行は面白かったけど、深いところで求めていたものが何も満たされない思いでずっといた。
だけど、旅行中に聞いた赤塚さんのお話に感動して「ここに兄みたいな人、見っけ!この人と兄を組みあわせてイエスのお話をしてもらいたいなあ」って思いが起こり、帰国後、さっそく赤塚さんに電話をして講演依頼の交渉を。
今回、赤塚さんにも言ったんですが、実はこの旅の間、私は赤塚さんとはほとんど喋ってない。おそらく、2~3回しかお話してないと思う。覚えているのはユダについて赤塚さんに質問をしたことくらい。赤塚さんも小林さんも山元加津子さんのお世話に精一杯だったから、なんとなーく話しずらい印象もあったし。まあ、私の場合、徳江さん曰く「旅行中ずっと白けていた」らしいので、赤塚さんだけではなく、他の参加者ともあまり心の交流をもてないまま帰ったんだけど。。。。
だから、私にとって、2006年は旅行中に奇跡があったんではなくて、旅行から帰ってから奇跡が起こり始めた感じです。旅の参加者とも、旅行中ではなくて、旅行が終わってから日本でグググって親しくなったし。
「兄と会わせたら面白いだろうな」「二人からイエスの話を聞きたいなあ」という、いわば好奇心と直感で、大胆にも旅行中、ほとんど口を聞かなかった赤塚さんに講演交渉をしたけれど、奇跡って上から降ってくるものではなく、行動していたら、それが奇跡を起こし始めるのかも。
初めから今回のイスラエル旅行も、12月6日の第2回目の二人の講演会も、最初は全く考えもせず、そして、予想もしておらず、ただ9月30日の講演会1回だけをするつもりだったのに、それが、こんな素晴らしいツアーに結集したわけで、この1年半に起こったことを考えると、本当に不思議な感じです。
・・・もっと遡れば、全ては、赤塚さんが20年前に糸川英夫先生の誘いを受けてお金もないのに、糸川先生のイスラエル旅行に同行したことから始まるのですが。。。。
前回の旅は、1つは、山元加津子さんの「宇宙への約束」という本になり、1つは、東京での講演会や今回のイスラエル旅行へと発展して行った(もう1つ、この時の旅行で、何かが発酵しているハズなんだけど、今の段階では見えてこない)。
きっと今回の旅行でも、これから、目に見える形で何かが起こり発展していくハズ。
それが何かは今は分からないけれど・・・・
書こうと思えば、もっともっとたくさんのエピソードや思いもあるけれど、長くなりそうなので、この辺で。
でも、ホントにホント。
愛と笑いに満ちあふれたすてきな旅行をさせてもらって、言葉に言い表せないほどの喜びと、心から感謝です。ありがとうございました!
これから、私たち参加者は私たちの持ち場で「イスラエル」をしないといけないですね・・・・!