イスラエル旅行 4月9日分
2008年 04月 10日
今朝、ガリラヤ湖に昇る朝日を見るために、早朝6時に集合。
残念ながら、ちょうど水平線に厚い雲があり、その雲に隠れて太陽は見えなかったけど、
美しい朝焼けを堪能して1日が始まる。
今朝一番の訪問先はハルマゲドンの語源になったメギドの遺跡。
ハル・メギドが訛ってハルマゲドンになったらしい。メギドは、もともとは都市の名前。
それがなぜか、いつのまにか、人類終末の代名詞となってしまったようだ。
確かにイスラエルにハルマゲドンがあるって言われると、大きな戦争がここであるイメージが沸いてしまうけど、空から降ってくる何かではないよう。
とはいえ、これからは、時代の空気の変化をよーく観察しておく必要があるのかも。
ガリラヤ湖からメギドに行く途中、イエスが初めて奇跡を起こしたカナと、イエスの故郷、ナザレを通過した。
今日はイスラエルの南にあるキブツに午前中行くスケジュールがあったため、ガイドさんは、朝、バスの中でドライバーのダビデさんと、カナやナザレに寄るか、それともはそこには寄らないで、メギドに最短で行ける道を取るかどうか、討論していたらしい(ヘブライ語なので、私たちは分からず)。
ドライバーさんとしては、そこに行くかどうかで取る道が違ってくるので、どうするかせしていたんだけど、バラさんは、どうしようかなあと思案しつつ決めかねていたらしい(カナやナザレに寄ると遠回りになって時間に間に合いそうにも無いし、でも寄ってあげたいし・・・って)。
そして、ダビデさんから「さっさと決めろ」と言われたまさにそのとき、私が座席から、呑気にも「メギドの途中、カナやナザレに寄れますか?」ってバラさんに質問したので、「これは行けってことだよね」ってことで、カナとナザレへの道を取ってくれることになった。
このタイミングの良さで、万事解決。私たちはカナやナザレ経由で行くことになった。
めでたし、めでたし。
カナの奇跡があった場所は、バスから「あのあたり」って見ただけだけど、まあ仕方ないですね。
ナザレは今は大きな街になっているので、2000年前の面影は全くないけど、イエスがナザレの人たちの怒りを買い、人々に突き落とされそうになったという崖はばっちり見ることができました。
あたり前だけど、イエスはちゃんと肉体ある人間として、ずっとこの街で生きていたのを実感。
ガリラヤからずっと南下しながら午後訪ねたのは、ユダヤ人がローマ兵に追い詰められ離散し、世界中に散り散りになる中で、最後まで立てこもった要塞、マッサダへ。
ここで約1000人のユダヤ人が3年間、自給自足の生活をしながら最後の抵抗をした。
アメリカのグランドキャニオンや、オーストラリアのエアーズロックといった乾いた高い岩の上で、自給自足をしながら生活をしていたと言ったらイメージしやすいだろうか?
年間約50ミリしか降雨量が無いなか、廻りの山々に降った雨水を貯める水路をつくり、完全に雨水だけで1000人の人の生活用水、畑の水、そして、なんと!共同浴場やプールまで備えた要塞を作り上げていたわけだ。
これは実物を見ないと想像は難しいと思うけど、完全に乾ききった土地、しかも地上から遙かに高いところで年間50ミリしか降らない雨水を貯めて生活ができるような設備を作るなんて、超人技の土木建築です。
最終的に、ユダヤ人は、ローマ兵にその要塞を破られる直前、ほぼ全員が自決し、イスラエルという国が消滅することになったので、ここはイスラエルにとって、象徴的な場所。兵役につく若い人たちの結団式は、毎年ここで行われ、そして「二度とこのマサダの悲劇を繰り返すな」ということが叩き込まれている。
ナザレの街:ちょうど真ん中あたりに岩穴(洞穴?)があり、そこでマリアは生活していたらしい。
ということは、そこにエッセネ派のグループが住んでいたということか・・・?
マッサダにいたイスラエルの若き兵士たち。この国は高校を卒業すると、女性は2年、男性は3年間の兵役がある。
イスラエルの南の景色は、昨日までいた緑豊かな土地ではなく、荒涼とした土地に変わる。
その荒れ地でも緑あるオアシスのような場所はいくつも存在し、そのオアシスには花々が咲き誇っている。日本以上に花の種類が多い気がする。