イスラエル到着4月6日ー7日
2008年 04月 08日
今回は、スイス航空で、チューリッヒ経由でイスラエル到着。
前回は、バンコク経由でエリアル航空でイスラエルに来たんですが、前回の、あの厳しい身元チェックと長時間にわたる尋問は何だったの?というくらい、あっさりとイスラエル入り。
前回は、スーツケースの鍵を預け、全員の荷物検査があったのに、それもなし。
通関でも何も聞かれず、かえって拍子抜けしたくらい。
スイス航空はなかなか良かったです。
特に、私の席のキャビンアテンダントさんが、若くてハンサムな男性。
ベッカム系の甘いマスクのお兄ちゃんだったから、それだけでかなり点は甘くなる・・・。
これまで、ずっと外国の航空会社のアテンダントさんのサービスのひどさと人間性の低さに呆れ果ててしまうことが多かったんですが、スイス航空は全体的に良かったです。
スタッフに品があったし、ちゃんとした社員教育を受けている感じでした。
さて、今回の移動は、成田空港を日曜日の朝8時に集合して11時前に離陸。12時間の飛行のあと、チューリッヒでの6時間にわたる待ち合わせがあり、結局、イスラエルのテルアビブ空港に到着したのは、明け方3時半すぎ。
さらにホテルに到着したのは、5時すぎというハードなもの。
ホテルに到着したときには、肉体的にも精神的にも疲労の極地。
でも、ホテルで3時間だけでも横になって眠れたので、かなり回復した感じでした。
旅の最初の目的地は、テルアビブでイスラエルの独立宣言が行われた元美術館。
1948年の5月14日、ここから、イスラエルという国家は誕生した。
前回のイスラエル旅行は、旅のスタートが、イスラエルの人々の生活用水を供給するための貯水地をたずね、さらに、イスラエルの初代首相、ベングリオンの墓参りだったけど、今回は、そのベングリオンが独立宣言をした場所を訪れたわけだ。
予定では、ここで40分ほど過ごすハズだったけど、ガイドして下さったここの案内の男性の話が止まらず、結局ここで過ごしたのはなんと2時間。
私たちは、2時間ずっと、イスラエル建国にまつわる様々な裏話や歴史を聞いていたことになる。
でも、日本では聞くことのできない話を、その現場で聞いているわけで、それは旅の醍醐味でもあり、感動です。時間がかかったので、今日予定されていた他の場所にはほとんど行くことができなかったけど、フレキシブルな私たちの旅は、その日、その日の流れで行く場所が決まる。
(他に行ったのは、カイザリアの海辺。カイザーが作った街で、パウロも、ペテロもここから伝道に旅たちました)
さて、今回も前回に引き続き、イスラエルの旅のガイドは榊原茂さん、通称バラさん。
イスラエル一番の日本人ガイドだと言われている。
そのバラさん。37年前に生きていく意味を見失い、ほとんどノイローゼ気味だったとき、銀座の松屋デパートの前にあった本屋で「イスラエルは希望だ」という内なる声というか、メッセージを聞き、その言葉に従って、イスラエル国籍の貨物船に乗って、何もわからず、何も知らず、イスラエルに来たという人。
以後37年間、このイスラエルに住みながらも自分は日本人だし、この国の異邦人として生きたいと、チャンスはあっても、イスラエル国籍を取得しないでいるそうです。
そのバラさん。ガイドをしているのに、この独立宣言の場に来たのは初めてだったそうで、
「なんで、これまで何十年も来なかったんですか?」って聞いたら、
「きっと、これまではその時ではなかったんでしょうね。今、ようやくその時が満ちたんですよ」って。
面白いことに、年は違うけど、バラさんがイスラエルに到着したのは5月13日。
独立宣言の場に要人を招待するために秘密裏に書かれた招待券の日にちが5月13日。
バラさん。
他の人にはわからないでしょうが、この日、自分もイスラエルに招待を受けたんでしょうね、
っておっしゃっていました。
この日にちのシンクロニシティは、とても興味深いです。
この旅のコーディネイトをしてきた赤塚さんが、
「今回の旅は、お金があっても、時間があっても、イスラエルから見えない招待を受けてない人は来られなかったんですよ」なんておっしゃってましたが、はてさて、どんな旅になりますことやら。

イスラエルの独立宣言が発せられた場所。当時のまま

テルアビブという街をつくるために集まった人たちの写真。
テルアビブは、ここに集まった60名に、土地がくじ引きで分けられ、まさに、写真のこの人たちが街を建設しはじめました。
街ができる前は、ここは単なる砂地。なーんにもない乾いた場所。
なので、遠くに一人ぽつんといる男性は
「こんなこと、ばかばかしい。そんな街なんてできるはずないよ」って叫んでいる人です。

紫の小さな花びらの中から、白い花が・・・。この花はなに??