エジプト旅行記(1月11日分-2/2)
2008年 01月 23日
ようやく、大ピラミッドの王の間に到着し、空の石棺にもたれかかって、乱れた呼吸を整え、痛みのある足の筋肉をさすりながら、みんなの到着を待つ。
ケイシーは、ピラミッドそのものは、アトランティス時代から現代までの、時代の様相を、通路の作り方、上がり下がりで預言している述べている。王の間に入った入り口あたりが、ちょうど、イエスの誕生あたり。そして、部屋の真ん中あたりが、まさに「いま」に当たる。
空の石棺があるため、ここが墓である証拠のようになっているが(遺体は盗まれたことになっている)、エドガー・ケイシーによると、この石棺は最初から空。これはいわば「死は無い」「死を超える」ことの象徴。この石棺に3日3晩はいることで、イエスをはじめとして、多くのエジプトの王はここでイニシエーションを受けてきた。
それほどの力が、ここの間には込められている。
石棺の一部が欠けているのは、多くの観光客が、石棺の石を持ち帰ることで、なんらか御利益を得ようと、石を割って持って帰ってしまったらしい(ダメよ、そんなことをしては。過去から未来まで、全ての人類の遺産なんですもの・・・)。
王の間の上にある五重の塔のようなものは、重力拡散の間とか、重力軽減の間と呼ばれるが、これは、重力拡散の働きのために作ったのではなく、やはり私たちのチャクラの活性化を顕している(上の蓋のようになっている2つの岩は、脳下垂体と松果体をあらわす)。だけど、なぜ、その塔のようなものを、わざわざ王の間の上(しかも真上ではなく、中心から少しずれた上部)
に作ったのは、私には謎。チャクラを顕すだけだったら、女王の間のように、部屋の内部に作ってもいいハズ(ここで常識的に考えても無駄なこととは知りつつ。。。。)
さて、全員がそろったところで、前日習ったチャンティングを始める。と、同時に空の石棺に一人、一人、入ることになる。私は石棺に手をあて、チャンティングをしながら順番を待っていたら、なんだか遅れをとってしまった。
兄が一番最初だったので、えーい、それならいっそのこと、最初と最後を「光田」で締めようって、わざわざ参加者の一番最後に入ろうって思ってずっと順番待ち。(後から、私のあとで佳川奈未さんがこっそり入ったそうなので、私の目論見はちょっと外れてしまったんですが)
石棺は、北に頭を向ければ意識は外に。そして南に向けて横たわれば、意識は内側に向くと言われている。私は、自分の魂に聞きたいことがあったので南に向いて横たわる。
そこは、やはり特別な場所。私は最後ということもあって、おそらく1分も横たわってなかったと思う。だけども深い、深い、外とは違う何か空気感が確かにあった。もし10分でも横たわることができたなら、もっと深く、何かとコンタクトができそうな、そんな予感がする感じ。
1人1分!ってことだったんだけど、入ったり出たりという時間もあり、1分の長さも曖昧で、結局、私が出たのが、終了時間ギリギリ。全員で静かに瞑想をしましょう!ってことだったけど、ずっと石棺入りの順番待ちをして、最後まで立って待っていた私が実際にできた瞑想の時間は、ほんの3分。(うーん。これはかなり残念だぞ。でも、内部システムがおおよそ理解できたので、次回のエジプト旅行のときには、はじめからゆっくり瞑想しよう!って堅く心に誓う!)
瞑想はできなかったけど、王の間は、とても気持ちのいい場所だった。ケイシー曰くの紀元前10390年前に出来た石の建造物とは思えない爽やかさ!
ツタンカーメンの墓を掘り当てたとき、多くの人が変死を遂げたので、それは墓に漂っていた長年のバクテリアのせいではないか?と言われていたが、ここは、そんなことはない。
清らかな空気が漂っている。
あっという間の2時間で、2時間では足りない思いがしたけど、世界の遺産であるピラミッドを、少なくとも36名で独占できたのは、貴重な時間。
多くの人が、ピラミッドに入った後で夢が変わり始めると言われている。
私自身は、ピラミッドに入ったその夜の夢がとても象徴的だった気がする。特に、強烈なビジョンが見えた、ということではなかったものの、夢解釈不要なほどハッキリとしたメッセージ。「生き方をあらためなさい」というメッセージとして届いた。
なんせ、身体の筋肉が痛いので、寝返りを打つたび目が覚める。そして、目が覚めるたびに、違った内容ながら、同じテーマの夢を見ていたんですから。。。。
ピラミッドは、通路や部屋があったとしても、ほとんどは石の固まりで占めている。
しかも、内部は何も書かれていない。
古代エジプトの墓は、柱といわず天井といわず壁と言わず、あらゆるすき間が壁画、レリーフ、古代文字で埋め尽くされている。特に墓であれば、死者の書であるとか、本人の生前の様子であるとか天の様子であるとか、あらゆることが書き尽くされているのに、ピラミッドの内部の、何も無さ感はどうだ! 石の美しさだけが際だっているぞ。
大ピラミッド。それはあまりに美しい建造物だった。
他の場所にたてられたいくつかのピラミッドも見てきたけど、あの3つのピラミッドの美しさに比べたら、他の場所で作られたものは、あまりにもレベルが低く稚拙。
もしかしたら、その他のピラミッドは王の墓目的で造られたのかもしれない。
だけど、あの大ピラミッドをはじめとするピラミッド群は、 明らかに別ものだと思う。
今回は、あまりに観光客だった私の視点。次回、それも数年以内に、またエジプトには行きたいと思う。そのときには、ちゃんと自分なりのテーマを決めて、訪れたいと思う。
それも、ゆっくり時間をかけて。