酒井阿闍梨 その2
2007年 11月 01日
Have plenty of nuts, as a portion of the meal; rather than so much meats-and never any fried meats.
by Edgar Cayce reading 1303-1
酒井阿闍梨から聞いたお話
つい最近、32歳の男性が千日回峰行の中でもクライマックスとも言える9日間の堂入りを終えたというのがニュースでありました。
32歳の若さで回峰行に入っているということは、20代の早いうちから仏門に入ったということになります。どんなバックグラウンドの方なのか私は存じ上げないんですが、「こんなに若くして」と、多くの方が驚いたようです。
私は反対に、どうして歴代47人しか千日回峰行を成し遂げた人がいないのかのほうが、実は不思議でした。昭和に入ってからは12名の方が満行したそうですが、比叡山が開山してたった47名というのはあまりにも少ない気がして。。。。
修行の途中で亡くなった人もいたでしょうが、それにしても、なんで47人しか、いないんだろう?というのが、とても疑問でした。
その謎が、酒井阿闍梨のお話で1つ溶けました。
阿闍梨のお話によると、今とちがって、酒井阿闍梨が修行の道に入られた頃は、行者というのは、仏教界の中でも格下と見られ、褒められるどころか、馬鹿にされる対象だった。道ですれ違っても、同じ仏門の人からも「なんだ行者か」と言われるような立場だった。
まして、一般の人には「阿闍梨」がどんな人か、ほとんど知られて無かった。
今は、情報が日本の隅々まで行き渡っているし、テレビのニュースでもやっていますが、阿闍梨の地位そのものが低いうえに、阿闍梨になったからといって、仏教界でそれほど尊敬される立場になるわけでもない。それなのに、あえて命をかけてやろうとする人は、よほど変人だったに違いありません。
そんな環境の中、阿闍梨はたった一人「行」を始められた。
「自分に残されたのは行の道しか無かったから」と酒井阿闍梨はおっしゃっていましたが、「それしかない」と言いながら、誰からも褒められもせず、サポートも受けず、そんな環境の中、たった一人「行」の道を何年間も続ける、いうのは、並々ならぬ決心と精神力が必要だったと思います。
その精神力に脱帽です。
おそらく、これからも千日回峰行を始められる人は、増え続けんじゃないかと思います。酒井阿闍梨のようになりたい。そんな憧れの気持ちから回峰行に入る人も出てくるんじゃないでしょうか?
死を覚悟するほど厳しい修行であることは間違いありませんが、今は阿闍梨の立場があがり、修行中、サポートする人が大勢います。雪深かった比叡山も、ここ数年は雪が少なくなり修行がしやすくなったそうです。また、一番重要なことに、修行さえすれば、人から尊敬を受ける立場になる。仏教界でも、阿闍梨は、飛び抜けて人にあがめられる立場になりました。
私の廻りにも、ヒーラー予備軍というか、ヒーラーになりたい症候群の人がたくさんいます。
そんなノリで、これから回峰行者は、もっと増えるような気がします。