名前の不思議
2007年 09月 11日
毎週メルマガを書いたり、ニュースレターを書いたり、カタログやチラシの原稿を書いたり、そしてこのブログを書いたり・・・。私のテンプルでの役割は「書く」ってことが大部分になりました。
それなのに、あまりにも自己流でやってきて、これまでちゃんとニュースレターの書き方とか、文章の書き方、とか、書くことについて習ったことがないので、ここで書くことについて、専門家の講義を受けておこうかなあと。
小説家や記者だけでなく、芸術家も、音楽家も、ビジネスマンも、ビジネスウーマンも、全て文章を通じて世界を広げ、人に認知されています。
アーティストが世に出した作品も、こんな芸術家がいるよ、とかこんな音楽をやっている人がいるよ、ってことを誰かが文章で紹介してくれるから、私たちは、その人の存在やアートを知ったりします。
私もケイシーやケイシーの言っていることを、文章を通じて人に伝えたりしています。
でも、はたして、ちゃんと心に思っていることや感じていることが、人に伝わるように書けているかっていうと、まだまだ私は文章はお粗末。私は自分の日本語の語彙の少なさには、ホトホト嫌気がさしています。
古い日本の文学を読むと、日本語のなんと美しいことか。そして言葉の豊富なこと。でも、そんな、文学の中でしか存在しない言葉って、日頃全然使わないので、結局は、すぐに記憶の倉庫の奥深くに眠ってしまうんですよね。
せっかく、目を通じて感じることができる活字を言葉の媒体として使うんですから、私の日本語力をあげたいと思いつつ、これがなかなか難しいって感じてます。。。。
さて、そんなライティングのセミナーの中で、今日やった演習で面白かったのが1つ。
それは自分の名前の漢字を、自分の仕事に関連して意味づけることができるってこと。
ほとんどの人の名前は、生まれた時に付けられますが、それを1つ1つ分解して、意味を考えていくと、今の仕事の内容とリンクづけすることができるんです。
私の名前「光田菜穂子」を1つ1つ分解して、その意味を考えていきます。
光・・・「ひかり」「何かを照らすもの」「希望」「明かり」「光合成で栄養を生むもの」.....
田・・・「土」「育てる土壌」「口の中に十字架-神の言葉を伝えるもの」
菜・・・「菜の花」「春」「野菜」「葉っぱ」「土の上の植物」「太陽に当たっている葉っぱ」
穂・・・「稲」「恵み」「秋」「実り」「満たすもの」「豊穣」
子・・・「こども」「弟子」幼いもの」
私は、自分の名前全体は、名字と名前がマッチしすぎているって思うほど、名字を名前がサポートしているように昔から感じてました。
春は菜の花で、秋は稲穂で黄金色に光っている田圃っていうイメージです。
名前は、実は、母が高校の時に読んだ堀辰雄の「菜穂子」という小説の主人公からつけられたもの。堀辰雄の小説は肺結核の病弱な女性が主人公で、たしか、この菜穂子もサナトリウムが舞台だった記憶があるのですが。。。。
どうもこの名前、字画が多いのと、漢字を人に説明するときにあまり美しい説明ができないので(たとえば久美子だったら「久しく美しい」、恵美子だったら「恵みに美しい」って言えるのに、私は「野菜のサイに稲穂のホ」って、説明が全然美しくない・・・・!)、面倒なときにはひらがなを使ってたりしました。
でも、自分の名前の漢字からわき上がるイメージを1つ1つを関連づけて考えると、私の仕事は「食べること」に関連しているようです。トータルには、土の上で太陽をさんさんと浴びて育った野菜や果物などの植物を食べることの大切さを人に伝えること。食べることの大切さを伝えることで、廻りの人の人生に希望を与え、豊かにするのが仕事なのかもって思います。
いかがでしょうか?