最近は本屋に寄るということが、めっきりなくなりましたが、先日、電車の時間調整で立ち寄った本屋で目に留まったのが、NHK100分de名著の
『百人一首』のテキスト。
番組のテキストなので700円と廉価にもかかわらず、これがなかなか面白い。電車の中で読み始めた延長で、自宅に戻って、
オンデマンドで該当の4番組を全て観てしまいました。
講師はアイルランド出身の作家で翻訳家のピーター・マクミラン氏。百人一首や日本の古典の翻訳本が何冊かある方です。
百人一首を海外の方が解説する、という設定も興味深かったですし、西洋の詩との感覚の違いなど、私には初めて触れる内容も多く、テキスト、番組ともども楽しめました。NHKの番組では、司会の伊集院光さんの当意即妙な感想や返答に感心することが多く、頭のいい方だなぁと、毎回思いますー。
この番組では、作家や作品を4回に分けて紹介するので、どれもが4回シリーズになるんですが、「百人一首」シリーズでは、個人的には第3回の「百人一首のリメイク」が興味深かったです。
江戸時代、人々は百人一首を狂歌や俳句に置き換え、それを楽しんでいたそうなのですが、庶民レベルの人々が百人一首のパロディを楽しめるということは、いかに庶民の識字率が高く、そして百人一首や和歌といった日本文学に対する教養が高かったか、ということでもあります。戦国武将社会では能楽が教養の1つだったそうですが、庶民も古典文学を楽しんでいたんですねぇ。
テキストに載っている狂歌を1つご紹介すると・・・
(狂歌) 質蔵にかけし赤地のむしぼしはながれもあへぬ紅葉なりけり
(百人一首) 山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
うまい!
マクミラン氏は、「下の句をそのまま使って、「流れ」という言葉に質流れをかけ、赤い着物を元の歌の赤い紅葉に見立てるという凝った表現をしています。流れずにとどまっている美しい紅葉と、質に入れた着物という、江戸時代の生活感あふれる俗っぽいものとのギャップが面白い狂歌です」と解説していますが、まさに!
これを江戸の方々が歌った楽しんでいた、というのも粋です。
以前、
紀元2600年の式典の原稿を紹介したことがありますが、今の私たちの日本語力と漢字力では、その時のお言葉は全く分かりませんー。でも当時の人たちは、これを有り難く聴くことができたんですよね。
この時のblogにも書いていますが、「以前、明治生まれの作家の自伝小説を読んでいたら、かつて自分が大学生だったときには、ロシア文学がまだ日本語に翻訳されていなかったので、英語でロシア文学を読んだ、と書かれており、当時の大学生の知的レベルの高さに驚愕したことがあります」
私たちは時代を経るに従って、科学も文明も発展し続けているように思っていますが、文化的な教養に関していえば、私たち日本人はずいぶん衰えていっていると言わざるを得ませんねぇー。雑多な情報に埋もれて、質の高い文学を楽しむ心の余裕や時間を無くしてしまっているとも言えます。お粥本ばかり読んでいては、魂の栄養にはなりませぬ。
百人一首には、時代や人種を越えた、普遍的な心情、恋心や悲しみ、寂しさが描かれています。短いし覚えやすい。
子どもの頃、お正月は、どこにも行くところもなかったこともあり、百人一首のカルタを家族で楽しんでいました。それもあって、まだ覚えている和歌がいくつもあります。SNSを閉じて、百人一首の世界に入ってみる、というのも今年はいい時間になりそうです。