『スタンフォード大学マインドフルネス教室』
2024年 11月 01日
(スタンフォード大学の学生は)何もかもうまく処理してこの上なく満足げだが、内側ではなんとか生き延びようと苦闘しているかもしれない。自信、自制、自立を装ってリスクを避けながら自分を守ることで、好印象を与え、安全を感じているのだ。(中略) 私が教えるのは、今まで自分の業績を称えられてきた若者たちだ。失敗の経験はほとんどないという者ばかりだ。そのため、失敗や間違いを犯すことを恐れている。間違いが許される立場にないと感じているのである。
第6章の「受容」という章で、重松教授はこう述べていました。
前にも述べたが、ハーバード大学の学生時代、私はキヨ・モリモトという名の教授と出会った。彼の両親は和歌山からより良い生活を求めてアメリカにやってきていたという。彼自身はアイダホ州のジャガイモ農場で育ったのだが、太平洋戦争が勃発すると24歳でアメリカ陸軍に入隊し、ヨーロッパで名高い第442連隊に加わることとなった。
(中略)
この戦争にたいし、キヨがとったのは母国のために戦いにコミットするという方法だった。だがその一方で、日系一世の年長者だちが、アメリカ政府に強制収容所に送られるというような事態になっても「仕方がない」とそれを受け入れる道を選んだのが理解できず苦しんだという。
(中略)
しかし、年を重ねるにつれて彼はそれを違った意味に捉えるようになった。「仕方がない」は変えようもない人生の側面に対処するひとつの方法だということを理解したのだ。
(中略)
キヨはまた、当時の人々は「仕方がない」という姿勢を持つことで、創造的かつ生産的活動へと向ける新たなエネルギーを感じるようになり、恨みや後悔よりも感謝とともに生きることができたと語った。
「自分の置かれた場所を認識し、受け入れることで、私たちは自分が置かれた状況の限度内において新たな可能性と自由を発見するのです。一世たちの場合、自分たちが無力であることを認めてそれを尊重したからこそ、収容所の柵の中で、美しい花畑や菜園を育てることや力強い詩を書くこと、見事な芸術作品を生みだすことに自分のエネルギーを向けることができました。彼らは毎日が人生の贈り物なのだと知っていたのです。命こそが神から私たちへの贈り物なのだから、威厳と愛をもって人生を生きるべきなのです」
(中略)
三世であるリュウタ・フルモト師の場合は「仕方がない」を、あるがままの状況を受け入れ、それを最大限に活かそうとするレジリエンス(回復力)だと考えている。強制収容所にあって、人々は不毛の土地を耕し、子どもに教育を与え、日本庭園を造り出したり池を造ったりした。収容所から解放された時には全財産を失ったと知ったが、生活の再建に乗り出し、子どもたちが社会で成功を収めて責任ある一員となれるよう導いていった。
(中略)
フルモト師は話す。「私たちはこうした状態を避けて通ることはできません。人生は苦しいものだというと大変悲観的に聞こえますが、人生の真実をはっきりさせるのは実に貴重な、思いやり深い行為です。もし教えが人生は楽しいとばかり強調するなら、そうでないことに私たちは絶望するでしょう。それは自分たちではどうにもできない状況下で生じる日常体験において不親切な行為です。仕方がないと言うより他ないような人生の困難や、思い通りにならない無力感を真に受け入れる心があって、平和で穏やかな人生を送ることができるのです」