書籍『アンナ、イエスの祖母』
2024年 05月 01日
著者のクレア・ハートソングは、物理次元の制約を超えて「オーバーソウル・アンナ」の意識体とチャネリングし、数々の情報やメッセージを受け取り、長期間にわたる熟慮瞑想の末に、この壮大なキリスト物語を織りあげました。序文でバージニア・エッセンが紹介しているように、今日、死海文書の登場によって、その存在が確実になっている原始キリスト教の敬虔な霊的共同体「エッセネ派」が、イエシュアの活動に舞台を提供したことは歴史的事実といえるでしょう。その福音の現場にいた祖母アンナによる迫真のレポートとなっているのが本書です。
「愛する家族と友たちよ、長旅を終えて戻ってきました。私は、今、大人の背丈となり「1なるものの法則」が私の中に眠っています。まだすべてが成就したわけでありません。神がやってきて、永久に宿り、完全な覚醒にいたることを待っています。私はわかりました。御業を行うのは私ではなく、私を動かし、呼吸させる父なる母なる神であると、わかりました。
・・・・おりおり巡礼の旅は父ヨセフとともに歩みました。富める者も貧しい人も、私たちを歓迎してくれました。そして、その人たちとともに、私たちは叡智を伝授するよう招かれたのです。
聖典を読み、叡智の系譜をアトランティスやレムリア、さらにはそれ以前の黄金時代にまでたどりました。叡智は太古のものであり、真理を集め、書物に残した偉大な精神に身震いしました。サンスクリット語の読み書きを学び、話し方を学びました。現地の人々と会話するために、方言もいくつか覚えました。
・・・最愛の父は素晴らしい人でした。幼いころは、父のことを私は十分に理解できませんでした。私の目の前で、父は不可思議な人に見えていました。インドに出発する前に、父はしばしば二重生活を送り、旅の要所要所でナザレからテレポートする予定があると知らせてくれました。見事にガイドとして私たちを導き、さまざまな師匠や熟達者(アデプト)を紹介してくれました。予測不能な父の出現を喜び、父を並外れた模範としてますます高く評価するようになりました。
父が自分の能力を誇ったり、才能を発揮して、小さな自我を誇示するなど想像もできません。外見は穏やかで、控えめで、気取らない雰囲気を常に保っていました。真っ白な顎鬚を蓄えて、にっこり笑うと、人をひきつけるものがありました。口笛を吹いたり、面白い話をしたり、冗談を披露してくれました。学問の話も傷ついた自我の嘆きで重くなった空気を和らげるのも巧みでした。
父は無敵に見えました。どんなことにも動じませんでした。羽目をはずすこともありません。疲労や苛立ちを感じることがあったとしても、私はそれを知る由もありませんでした。父が自分の人間性を受け入れ、人間の状態に同情的であることも、私はわかっていました。
・・・ベナレスでは、音響特性とタントラ高等錬金術のマスターである優秀な音楽家を父は私に紹介してくれました。この賢者は、父のマスターの孫にあたり、父が何年も前にインドにいたころ、信頼できる友人となった人物でした。
・・・ベナレスでのすばらしい1年の間に、私自身も、両親や祖父母がそうであったように、きわめて優雅でパワフル、かつ洗練されたイニシエーション・エネルギーのマスターとして自分を知るようになりました。私たちは、また身体のポーズ、プラナヤーマ(ヨガの呼吸法)、心と体の浄化を学び、実践しました。マントラやムドラを使い、さまざまな形の瞑想を通して、さまざまなレベルのサマーディ(三昧)に到達する方法を経験しました。
・・・というわけで、父ヨセフは、昔、自分が父になる準備をしていたときに踏んだ道を、私たちが歩けるように援助してくれたのです。しかし、彼が若い頃にインドに行ったのは、父になるためだけではありません。明らかに人類に最大の奉仕をできるように、マスタリーを成し遂げるためでした。