テンプル晩秋の定番講座となった『バガヴァッド・ギーター講座』、熱く盛り上がり、大盛況のうちに終了しました。
ここ数年、会場定員の半分までしかご参加いただけなかったので、定員70名、定員80名という感じで開催していましたが、今年はようやく定員の縛りもなくなり、全国から110名の方が集って下さいました。北海道、青森、福岡・・・と本当に全国各地から。
ギーター講座に70名参加される、ということだけでもスゴイと思ってましたが、今年は110名!しかも今年は当日のドタキャンなし。いかに皆さんがギーター講座を楽しみにして下さっていたかが分かります。
飛行機に乗って、ホテル代払っても「参加した甲斐があった」「魂が震えた!」と言っていただける熱い講座でした。講師の光田秀は、毎回、興奮しながらギーターを読んでいます(笑)。講座終了後も、質問や感想を講師に伝えたい人の長い列が出来ていました。
ギーター講座の内容とは関係ありませんが、今回、個人的に興味深かったのは、講座中に友人から「ビリオネアになった人の投資講座があるから行かない?」とお誘いメッセージがあったこと。誘ってくれた友人も私も、ビリオネア(純資産10億円以上を持つ人)とも投資とも遙か遠い世界で生きているので、誘われたこと自体に驚きましたが、ギーター講座をやっているこのタイミングでのお誘い。
あなたは、どちらの道を歩きたいですか?という神様から問われたよう。
友人には「肉の欲求、物質的な欲求から離れよというギーター講座開催中~」とお返事したんですが、実際、今回の地球滞在時間もそんなに長くは残されてないから(現役でいられるのは、せいぜいあと15年くらい?)、自分の命を使って何をしたいか?と問われたとき、お金持ちになる、いい車に乗ること、ではないのは確か。
*別に、経済的に豊かになることを否定しているのではなく、それを追い求めない、優先順位の上位ではない、ということです。
きっと昨日一緒にギーター講座を受けられた方は、うんうん と思って下さるのではないでしょうか?
さて、
ギーターは、「マハーバーラタ」という壮大な古代インドの叙事詩。聖書の何倍ものページ数があります。その中の、ほんの一部。読めば18章の短い内容です。舞台は戦場。これから戦いの火蓋が落とされる、そのタイミングで語られるアルジュナとクリシュナの問答がギーターなのです。
戦いの直前、アルジュナは、元は親戚縁者で幼い頃一緒に育った人たち、そして自分を育ててくれた師と敵味方となって戦うのは嫌だと嘆き「こんな戦いはしたくない、彼らを殺して生き長らえるより乞食になった方がまし、自分が死んだ方がマシ」と、弓矢を捨て、クリシュナに向かって戦う意義を問っていきます。その問いは、まさに私たちが神に問いたいと思うようなことばかり。
それに対し神の化身クリシュナは、それでも戦え、相手を殺すのがあなたの本分と、宇宙原理、生命原理を解説しながら蕩々とアルジュナに語るのです。
この物語をケイシーは「もっとも普遍的真理に近い偉大な教え」と述べていたわけですから、驚きます。
ギーターでどんなことが語られているか。
ネットで見つけたギーターの13章の翻訳の一部をコピペします。私たちが使っているギーターの翻訳文はご紹介できないので、こちらを使います(比較的分かりやすい翻訳だと思います)。そして、13章は比較的読んで分かりやすいから・・・と解説もサラリと終わったところです。
『謙遜、虚栄(みえ)を捨てること。非暴力、寛容、正直、正統なグルに近づくこと、清潔、堅忍不抜の精神、自制、感覚満足の対象から心を引き離すこと、偽我識を捨てること、生老病死を苦厄とみなすこと、無執着、妻子家庭に愛着しないこと、快・不快の事にあたって冷静で、至上主(わたし)に対する不動の献身的態度をもち、世俗を離れた静かな地に独居を望み、世間の人々との無益な交際をしないこと、自己の本性を悟ることの重要性を知り絶対真理を哲学的に探究する――以上のことが知識の本質でありこれに反することが無知であるとわたしは明言する』
『あらゆるところに主の手、足、目、頭、顔、耳を持つ。あらゆるところに浸透している至高の魂が存在する』
『動くもの動かぬもの全ての生命体の、内にも外にも至上真理は存在している。至上真理は精妙なので、物質的感覚で見ることも理解することもできない。はるか遠くに存在しまた全てのものの近くにもいる』
『主は全ての光るものの光の源であり、物質性の闇を超え、不顕現である。主は知識、知識の対象、知識の目的で、各自のハートに住んでいる』
『ひとつの太陽がこの全世界を照らしているように、魂は肉体のなかに在って体のすべてを意識で照らしている。 知識の眼をもち、肉体とその認識者との違いを知る者は、物質自然の鎖から脱出する方法も知り至上の目的地に到達する』
再度書きますが、これが語られているのは戦場。え? 今ここで、非暴力や寛容、住む処のことをいうの?と思ってしまいます(笑)。
そして、全てに神が宿る、お天道様が見ているよ、という神道の教えが息づいている日本人には比較的理解しやすいクリシュナの言葉です。
御者がクリシュナ、弓をひいているのがアルジュナ
講座が始まる1時間も前から並んで下さった方も。いつもより、男性参加率も高かったです(それでも1割くらい。ギーターは比較的男性的な内容だと思うのに、男性陣はギーター、興味ないんですかね?)。
実は私は、ギーターの18章を読み終わった後で解説されるマハーバーラタの残りの物語。カウラヴァ軍とパンドゥ軍との戦いの様子、最後に生き残ったパンドゥ軍の5人兄弟のその後の話を聞くのが好きです(何十万人もの兵士が全て死に絶え、生き残ったのは5人だけ、というのも凄まじい)。壮絶な戦いのあとの静けさ、そして一人ずつ亡くなっていくその最期。
結局人は、どんなに栄華を誇っても、肉体は滅び、死んでいく運命なんですよねぇ。
ギーターを読み始める前には、マハーバーラタの前半の物語と登場人物の解説があり、ギーターを読み終わったあとに、マハーバーラタ後半の物語を知ることになるので、ざっくりですが、講座に参加して下さった方は、今生で壮大な「マハーバーラタ」の全容を知ることができました。
この壮大な神の物語を2500年前に書いたインドの知力に毎回感嘆。インド、やっぱりスゴイわ。
過去のblogを読んでいたら、去年は、ギーター講座のあとでNetflixを解約しました(blogは
こちら)。
2021年は家の片付けを始めました(笑)。マハーバーラタ全訳を読み始めた年もありました(あまりに荒唐無稽な物語が続くので、途中で挫折してます)。
今年は物理的に忙しいこともあり、まだ何も行動には移していませんが、まずは、全てに神が宿るを意識し、バクティとヤグニャを心の軸に。
来年の秋もギーター講座は開催します。
毎年「日程が合わないから、また来年」と言われる人も多いですが(笑)、いつまでも「また来年」があると思わないで下さいねー。そして再受講もお勧めですー。