火曜日の夜にインドから戻ったと思ったら、木曜日の早朝の便で今度は鹿児島に来ています。
募集を締め切ってからの申込が相次いだようで、開けてみたら、なんと、私と小林さんを含め35名の大所帯のツアーに! 国内ツアーなのに4泊5日。そして遠方の方はさらに前泊と、ほぼ1週間の旅になっています。
神武天皇以前のニニギノミコト、ウガヤフキアエズノミコト、ホオリノミコトの3つの御陵とこれらの神々を祀る神社、そして神武天皇を祀る神社を巡るので、地元の運転手さんも初めて行くところばかり・・・という超マニアックな旅。
ここのところ、旅行手配はHISにお願いしているんですが、小林ツアーのマニアックさはHIS社内でも有名らしく(そして、毎回満員御礼になる)、今回の旅も社内で話題になっていた、と言われておりました。
海外だと現地ガイドさんをお願いしますが、今回は内容が内容だけに、付け焼き刃で古事記を学んだようなガイドさんには頼めない。なので、小林さんが分厚い資料を2冊も用意下さり、毎日、小林さんを講師にバスの中で古事記や日本人の宗教観に関する講義があります。
小林さんの日本を思う篤い気持ちとともに旅が進んでいます。
以下の写真はウガヤフキアエズノミコトの御陵吾平山上稜。今回は現地で元気な地元の女性がガイドをして下さっていたんですが、私個人としては、この御陵だけは皆さんに、静かに自然や自分と対話しながら歩いていただきたかった。ここは、言葉を超えた世界です。
御陵や神社の他にも、知覧特攻会館、鹿屋航空基地資料館にも行きました。この2カ所は涙なくしては歩けない場所です。
鹿屋は初めて訪れましたが、
川端康成先生も戦時中しばらくこの鹿屋に滞在して兵士にインタビューをされていた、ということで川端康成先生が特攻隊について書かれた記事も掲示されていました。公には何も語っていないようなので、鹿屋にいらしたら、その記事もぜひ見つけて下さいー。
上の2枚は鹿屋の写真ですが、知覧の特攻会館には、赤塚高仁さんと安藤友治さんが前世で特攻隊員として飛び立つ前の写真も掲示されています。
今回の旅には、もう一人の張本人、安藤さんも参加しているので、安藤さんから直々にその写真にまつわるエピソードや当時のことについて話してもらうという贅沢も。
安藤さんの今回の名前は安藤友治ですが、前世の名前は、安藤康治。赤塚さんの前世の名前は島仁(しまひとし)で、今回は高仁。そして大学時代のニックネームが「シマ」でしたから、没後すぐに生まれ変わった二人は、聞き慣れた名前を呼ばれたくて、縁ある名前を選んで生まれてきたのでしょうか?
ちなみに安藤さんは、子供たちを連れて知覧特攻会館に入り、展示されている写真をみているうちに、途中から、名前をみなくてもそれが誰か分かる、そして当時のことをありありと思い出す、という経験をしたそうです。
安藤康治さんの首には白っぽいマフラーが巻かれていましたが、あれは実は黄色いマフラーで、なでしこ隊の女性からもらったもの。死に逝く彼らはそういうお洒落も許されていたそうです。
知覧に行くことがあったら、ぜひ探してみてください。第51振武隊です。
明日は宮崎に移動。明日も濃い1日になりそうです。