先週末の周生塾にまた話題が戻ります。
釜石に行く1週間前、私は左手の中指にちょっとした突き指をしておりました。腫れて熱を帯びるほどではなかったものの、家事やバッグを持つといった、ちょっとした動作の度に痛い。中指を出来るだけ使わず他の指でリカバーしていたら、今度は他の指まで痛くなり、週末はシーカヤックでパドルを握るのにーと、ちょっと途方に暮れてました。
アドラー心理学の本を読んだことがある人はご存知のように、アドラー心理学では、例えば、「過去の辛い経験やトラウマの影響で、今、引きこもりになっている」とはとらえず、『「外に出ない(出たくない)」という「現在の目的」のために、不安や恐怖心を創り出しているのだ』ととらえます。
あるいは、『敗北を避けるために、ときには人は自ら病気になる。「病気でなければできたのに」と言い訳して安全地帯に逃げ込み、楽をするのだ』という名言もあります。
今年の3月は、プラブヨガの東京クラスの
1週間前に腰痛発症ということがありました。ヨガクラス前日も、前屈するとまだ痛い。2日間のクラスは見学が多くなるかもーと直前までは思ってました。
もちろん、腰痛発症後は回復のためのあらゆる手立てを施し、腰痛があってもヨガクラスには行きました。突き指の時も数日間、指にテーピングをしていたんですが、ヨガのときもシーカヤックのときも、その1週間前に何かしでかす、万全とはいえない身体の状況を作り出したのは同じ。
これは、私の逃げのパターンなのかもしれないと、突き指をしたときに思いました。突き指なんて、前回いつやったか覚えてないくらいしてないのに、指に過重をかける必要がある直前に、やってしまったわけですからー。
顕在意識では、そんな痛みを伴うことはこれっぽっちも望んでませんが、無意識が望んでしまっている。そして無意識がその状況を生みだし、その世界を創り出してしまう。「やることはやるけど、うまく出来ないのは仕方がない」と誰もが思う状況を生みだしている。
腰痛のときも、突き指のときも、わざわざそういう状況を作ろうとしたわけではなく、「うっかり」腰痛になり、「うっかり」突き指をしてしまったわけですが、無意識の世界創造力は半端ない。運動は苦手だー、出来たらやりたくないーという「現在の無意識の思い」が、こんな現実を創り出したんでしょうねぇ。
気づいたからといって、すぐにどうなる、ということではありませんが、こんな「逃げ」と「言い訳」になるようなこと。運動だけじゃなく、人生や日常のアチラコチラで創り出してないか、自分の心のパトロールをしていかないと。
そんなことを思った出来事でした。
『嫌われる勇気』はもう10年も前に発刊された本ですが、読んでない方はお勧めです。私は目から鱗がいくつも剥がれました。