土曜日は日本エドガー・ケイシーセンター設立30周年記念講演会でした。
テンプルは、事前の案内に気がつかず、うっかりご来店下さる方がいらっしゃるかも・・・と、お留守番役で会社に残った1人を除いて、社員総出で会場に駆けつけていました。そのおかげで、会場で、たくさんのお客様にもお会いできたようです。
当たり前ですが、30年続いた人(会社や団体)だけが30周年をお祝いしてもらえます。ケイシーセンターを始めたときには、5年後、10年後のことすら考えられなかったですが、本当によく、30年続きました。
ケイシーセンター30年の歩みとして、設立総会とパーティのときの写真もスライドでシェアされてました。私は設立準備委員会と、最初の5年間だけスタッフとしてセンターで仕事をしていました。
当時、一緒にセンターを創っていったメンバー、その後、どうしているかなーと思いながら、その写真を見てたんですが、結局、30年あいも変わらずケイシーを伝えることを仕事にしているのは、兄と私と、福田高則先生だけかもー。
たくさんのお祝いのお花が会場を華やかにしてくれていました。
まずは、韮沢たま出版社長のお話から。1992年、アメリカのARE(エドガー・ケイシーの本部)に行ったときに現地で聞いたUFO話などをシェア下さいました。韮沢社長とお会いしたのも1992年。韮沢社長も若かった。
白鳥監督が『リーディング』の映画を撮影して下さったおかげで、ケイシーの情報が日本のすみずみまで届くようになりました。白鳥監督のもとには、ケイシー療法で健康を取り戻した方々からのお礼が、今でも届くそうです。
兄からは、エドガー・ケイシーの人生、ケイシーセンター30周年の歩み、思い出話などが語られました。
元AREの最高経営責任者だったケビン・トデッシー氏からはお祝いメッセージが。ケビンと会ったのは1992年からですから、もう31年のおつきあいになります。
最後は2人の鼎談タイム。
白鳥監督が、最新映画について、そして憂うべき今の日本の現状と希望について熱く語って下さいました。
思いがけず、最後は私も壇上にあがり、30年の功績に・・・と花束をいただきました(私の隣は、作詞家で、妻として兄を27年間支えてきた吉元由美さん)。これから始まる大きなプロジェクトの紹介もありました(WEBが完成したら、あらためてご紹介しますー)。
*私自身のケイシーセンター設立当時の思い出はこちら
*開業当時の思い出は去年、インタビューで話してます。
本当に30年はあっという間すぎます。年を取ったら1年はさらにあっという間よ~と、先輩たちから言われていますから、ボヤボヤしていたら、ただ年老いていくだけの次の30年になってしまいます。
1日1日を大事にしなければ・・・と心が引き締まります。
今回、はじめてお会いしました!西田晋さんと田宮陽子さん。
お二人のおかげで、エドガー・ケイシーを知ったという方が日本はもとより世界で続出中。こういった影響力のある方々がケイシーを紹介して下さるのも、30年間やってきたお祝いです。
当日の私のいでたち。花柄のワンピースに柄の春コート、花柄のバッグ2つに本物の花束という賑やかさで街を歩いておりました(笑)。
ご存じ、雑誌「ムー」の三上編集長。兄とも30年のつき合いだそうです。
気さくでお喋りな楽しい方でした。
当日、何人かの方と並んで写真を撮ったんですが、自分のスマホでは1枚も撮影しておらず(笑)。私と一緒に写真を写した方、写真、テンプルあてに送って下さいませー!