「森のような経営」
2023年 04月 17日

山藤:最初は恐怖ですね。まずは森に入るとき、もちろん、獣や野生もそうなのですが、何よりも僕にとっては小さなころに絵本で読んだ、怖い森の妖精が潜んでいるような、うっそうとした森に恐怖を感じました。そして誰も来ない森の中で自分の居場所を決め、一人でしばらく過ごす時間がありますよね。初めてのときは、その時間も怖かった。未知の怖さというか・・・。普段の生活では触れることのない、何が起こるかわからない怖さ、ですかね。本当に初めての感覚で、そういうものを強烈に感じたんです。2日目にまた一人で森の中にいたら、鳥の鳴き声が変わった気がしたんです。こちらのすぐ近くまで寄ってくれるようにもなった。それで、これはもう完全に僕の個人的な表現なんですけど、数百メートル先にある葉っぱの動く気配まで、はっきり見えるような感覚になったんです。なんというか、全体を見渡している感じですね。まわりの木々が喜んでいるな、なんて思ったり。本当にそうかなんて、わからないんですけどね。風の吹いているさまが見えている気がしたり。そういうことを感じているうちに、恐怖はなくなっていました。
山田:同じものに遭遇しても、それを何かのサインと信じるか/信じないかで、その後は分かれてしまう。気のせいにするとか、たまたまだとやり過ごせば、それで終わり。けれど、さんちゃんは森に入ったり、いろんな経験をしてきたことで、それを「信じられる」という表現だったけども、そういうふうになってきたということですか?山藤:そうですね。さっき「先を予測してビジョンをつくり、その目標をクリアすることが大丈夫」ではなくて「今あることで大丈夫」と思えるようになったと話しましたよね。そうなったことで、今起こっている出来事に対しても、必ず「どうして今、こうなっているんだろうな」と思えるようになったんです。たとえば仕事が上手くいっていないとか、思わぬハプニング的なことが起きた瞬間に「どうして、こうなっているんだろうな」と思う。まるで自分のことじゃなくて、正面からでもなくて、先ほど言ったようなヨコから見ているような、第三者みたいな場所から「どうして、こんなことが起きているんだろうな」という捉え方をするようになったんです。山田:「ヨコから見ている」を僕の言葉でいうと「目の前の出来事に囚われていない」という感じですかね。他の言い方をすると、出来事を「なんとかしなくちゃ」とコントロールしようという意識があまり働かない状態。「それはそれだね」というふうに見ている。たぶん、そういう状態なんですよね。経営者がこの立ち位置でいるのは、普通なかなか難しい。いわゆる資本主義的な経営では、最初に計画があって、期限までに結果を出せば成功、というふうに捉えます。だから、計画通りに進まないことに対する恐怖がある。恐れですね。その恐れをなんとかするために、できるだけ多くの物事をコントロールしようとする。自分がコントロールできるものはもちろんだけど、経営者の恐れが強いと、できないものまでコントロール下において、とにかく計画通りに進めようとしてしまう。
山藤:夜の森は、木々の揺れる音や、虫、鳥、小動物の気配に満ちている。横になるとアリや何だかわからない虫もくっついてくる。でもその一方で、僕の下には、恐るべき数の生き物の死が溢れている。そういう空間に身を置いているうしに、なんていうのかな・・・。生も死もないんだな、とわかった感じになったんです。もう大きな森の中全部が喜びに満たされているんじゃないかという感覚。良い/悪いとか、意味がある/ないなんて関係なくて、全部喜びじゃないかと。だから、今は何をやっても楽しくて、仲間にも喜びを知ってほしいなぁと思いながら仕事をしているんです。