『武術家、身・心・霊を行ず』
2023年 03月 18日
ユング派精神分析家にして精神科医である著者が,武術の心身論に関心を寄せていたある日,学会で知り合った人物から一つの記録を手渡される。その人物はさる武術の高名な師範で,記録というのは老師範自身の修行体験を克明に綴ったものだった。 身体の訓練,心の鍛錬をへて段階が上がり,過酷かつ精妙なものになるにつれて,行は霊的な次元にまで到る。不可思議な極限状態の詳細な記述,行を見守る謎めいた人物たちとの交流,現実とはにわかに思えないような現象,現代において武術を行うことの意味──。深層心理学の立場から,「行」に生きた武術家の驚くべき体験をひもとき,その意味を解き明かしていく。
滝行の際には、水に入る合間に、O師範やS先達、同行している弟子たちの間で稽古も行われていた。それを見ていた(霊界の)流祖がS先達を通してこう言った。「お前たちがやっているものは、わしのものとは似ても似つかぬことをやっているが、ほんとうにその流祖がわしということになっているのか」。訊かれた師範は答えた。「さようでございます。だから、真伝を求めて行を致しております。真のR先生を求めて行を致しております」。師範の答えを聞いて、流祖は慨嘆しながら言った。「残すのではなかった。それで皆が苦労することになったか・・・。ほんとうにわしが流祖ということになっているなら、わしに責任がある。それでは、わしがやっていたことを伝える」。これをきっかけとして、5年に及ぶ「あらゆる伝授がはじま」った。「まさに文字どおり前代未聞の経緯でした」と師範は述懐する。最初は、霊媒となったS先達を介しての対話による伝授がなされた。ついで、S先達による自動書記、あるいは憑依が溶けてからの筆録も加わり、ついにはS先達に憑依した流祖からの実技指導に発展した。そして、はじめはQ師範のみへの指導だったものが、「徐々に弟子たちを含めての指導に変わ」ってった。あまつさえ、3名の(霊界の)先師も加わっての稽古会の様相を呈するようになる。世に「神伝」と称する流派は多々あれど、ほとんどが霊夢などを通しての伝授である。むろん、それも神伝であることにはちがいはないが、Q師範の場合は、「すべて神仏ないし先師が異能の者に憑依して、ときとして対話をし、また文章で伝え、また実際の動作をもって指導されたもの」である。この直接性が、Q師範の経験した神伝における他に類を見ない特徴の1つになっている。
