『法力とは何か 「今空海」という衝撃』
2023年 03月 09日
和尚は自坊でひたすら拝み続けていた。定められた時刻は迫ってくる。寺から遠く離れた港町では、これからはたして何ごとが起きるのかと固唾を飲んで見守る者たちがいる。すると、そこに驚くべき報せが飛び込んできた。某国空軍の兵士が例の戦闘機を操縦してその町に近い空域に現れた、しかも自衛隊の警戒網をくぐり抜けて接近しつつある、というのである。目的は明らかではない。現地は騒然となった。その頃、和尚は、意中のものに網をかけて手繰り寄せる呪法から、金縛りの呪法に移っていた。そのタイミングは「自分で相手を引っ張り寄せてるんだから、当然わかります」とのことである。「すべてのものとつながることのできる意識の水準というものがあるし、波動は伝わるものだから」とも。こうして兵士は身体の自由を奪われ、みずからの意志とは別に、抗い難い力によってその町の空港に着陸することとなった。
朝も晩も、本堂、護摩堂、弁天堂と順にまわって拝む。それぞれの堂内に蝋燭を灯して香を焚き、祀ってある諸尊を招いては供養し、諸法を聞いてから丁寧に見送る、いわゆる十八道行法にもとづく修法であったり、みずからが仏になる内護摩という護摩修法であったりする。ただし、内部に虚空蔵菩薩が祀られている塔のところでは周回が行われる。(中略)
私たちの身心は、一方で煩悩の源となっているが、他方ではこの内なる大日如来へと至る契機ないし通路としても働く。その際に妨げとなっているのが「自我」である。和尚は言う。「「自我」を行によって退けて無になることができれば、おのずから「すごい力」が現れ出てくることになります」。 (*和尚の「自我」とユング心理学の「自我」は違う)では、無になるにはどうしたらよいか。和尚が実践しやすい方法としてあげてくれたのは、数息観や月輪観といった伝統的な観想法である(*本には、この2つのやり方が簡単に説明してあります)。数息観にしても月輪観にしても、呼吸が要となる。和尚は「内緒の近道」として、次のような呼吸法も教えてくれた。鼻から一気に最大量の息を吸い、それを下腹の底にグッと深くおさめてから、5か6くらい数えるあいだしんぼうし、今度は口から5、6回に分けて細く長く息を吐くのである。これを実践すると、「早ければ数週間、ふつうでも三ヶ月くらいで見えてくる」という。「三摩地」あるいは「三昧」と呼ばれる、仏と一体の境地であろうか。(中略)和尚は言う。「人間が、やっていること、しゃべっていること、思っていることを一致させる。これが三密加持。全身のいろんな役目をしている何十兆もの細胞が1つに揃う。行をしていると、この3つがほんとうにバシーっと揃う瞬間というのがあるんです。そういうときには、臍のあたりがちがってきます」。和尚の言う「臍のあたり」は、いわゆる丹田のことと考えてよい。そのちがいは、断食をしているとわかりやすいそうで、とくに虚空蔵求聞持法を修していた際には顕著だったという。
法力という現象の謎に正面から取り組む試みは、前例がほとんどない。本書は、ユング派の精神分析家である著者が、深層心理学の立場から法力の核心を照らし出そうとする、尖鋭的な研究の成果である。その桁外れの法力ゆえに「今空海」と呼ばれているひとりの高僧の協力を得て、数十回にのぼるインタビュー、関係者への取材、現地調査を行なうとともに、みずからに起きた出来事の考察もまじえて、堅実に事象に切り込む。【目次】はじめに第一章 鉤召第二章 X阿闍梨のこと―青年期まで―第三章 X阿闍梨のこと―青年期以降―第四章 教えと行第五章 ユング心理学に照らして―布置と共時的現象―第六章 治病第七章 透視第八章 浄化第九章 再びユング心理学に照らして―ほんとうの自然―おわりに