『天からのダイヤモンド』クリストファー・ベイシュ著
2023年 02月 13日
著者は20年間に渡り、慎重に計画された治療的セッティングの元で、LSDを73回摂取しました。それは純粋に個人の意識、そして宇宙の意識を、できる限り深く、体系的に探究するためです。
体を張った73回の「セッション」から生まれた宇宙探訪記がついに刊行、内的宇宙への興味が高まる現代に光を投げかけます。(中略)
本書の主たる内容は、前人未到の深遠なる「内的宇宙」を巡るスピリチュアルな冒険旅行記であり、その道中で目の当たりにした「人類の将来」に関するヴィジョンなのである。そして、外的宇宙を旅するためには強靭な機材と強力な燃料が必要であるのと同様に、内的宇宙の旅にも強靭な身体システムと強力な燃料が必要で、その燃料が「LSD」だったのである。」(訳者あとがきより)
296ページ~(引用は全文ではありません/少し長めの引用になってしまいました。出版社の方すみませんー)本書の中で報告している様々な体験は、私の自宅というプライベートな環境で起こったものだが、この物語にはもう1つの側面があり、それは私が勤務する大学で起こったことであった。これらの体験を理解し、それが暗示していることを完全に把握するまでには何年も掛かった。言うまでもない法的な理由のため、私が学生たちに自分の幻覚剤ワークについて話すことは一切なかった。幻覚剤研究を含むトランスパーソナル心理学のコースを教えている時も、私自身がその研究を行っていることには決して触れなかった。それなのに、この厳格な区画化にもかかわらず、宇宙は、私が慎重に引いた境界線を尊重してくれなかった。あたかも、意識には境界線がないという真実を立証するかのように、私の幻覚剤プラクティスの効果は溢れ出て、学生たちの人生にも影響を及ぼし始めたのである。教壇に立ち始めて5年、幻覚剤ワークを始めてから4年ほど経った頃、講義の終了後、学生たちが私のところにひそかにやってきて、講義の中で私が挙げた例が、彼らの身の上に最近起きた個人的な出来事とそっくりだと報告するようになった。私にしてみれば、分かり易く説明するために、ただ思いつくまま適当な例を挙げただけのつもりだったのだが、彼らの側からすると、それが彼らの生活の詳細を、きわめて正確に表現しているというのであった。講義の内容と彼らの実生活上の出来事とがあまりに正確に一致し、なおかつ、それがあまりにも多くなってきたので、私もとうとう、ここには偶然以上の何かがあると認めざるを得なくなった。私のマインドと学生たちのマインドとが、お互いに浸透性を持つようになっていたのだ。このパターンは、年々強まっていった。幻覚剤ワークの中で、私がより深い意識レベルに進んでいくにつれて、これらの共時性はますます頻繁になったばかりではく、学生たちの人生の、より敏感で繊細な部分を標的とするようになってきた。この期間中に私の講義を受講した学生たちの中には、人生を変えるほどの変容を遂げる結果となった者も少なくなかった。私からの特別の助言もなしに、である。それはあたかも、私たちが教室に集まり、ともに過ごしたこと自体が、彼らの人生におけるてこ入れとなったかのようであった。このような結果をもたらしているのは講義内容ではなく、何かもっと深いものであるようだった。これらの反応の引き金となっていたのは、私が「やっていた」ことではなく、私が幻覚剤プラクティスを通して「なっていた」ものであった。このワークのせいで、私のコアとなるエネルギーが変化していたのだ。何人かの学生たちは、この真理と関連した強力なスピリチュアルな啓示を経験し始めたのだ。それは例えば、無常、相互依存、ワンネス、無我、内なる神などで、彼らの無意識中に長いこと眠っていた洞察が、突然活気づいたのだ。クラス中で、チャクラの開眼やクンダリーニの目覚めなどの兆しが現われ始めた。学生たちは、自分たちのエネルギーが突然、意識のより高い部分へと移行したのを感じたが、多くの場合、それをこのように表現する語彙さえも持っていなかったのである。学生たちがこういったことを報告しに来るようになって、彼らがいかに深く、私たちの間に発生した神秘的な錬金術の影響を受けているかが分かり、私は少なからず動揺した。私の学生たちの体験は、意識に関する単純な真実を証明していた。すなわち、意識とは開かれたフィールドであり、そのフィールドの中では、意識の状態というものは感染するということだ。私たちのスピリチュアルな生態学は、プライベートな覚醒を許さない。意識の生態学とは、本質的に集合的な生態学なのである。