昨年11月末、39度近い高熱を2日ほど出しました。3日目に7度5分になり、4日目には6度8分くらいまで下がりましたが、それから数日は、6度8分~7度あたりの微熱が続きました。完全に熱が下がるまでは少し時間がかかりましたが、熱だけだったので比較的楽にやり過ごせました・・・。
検査してませんが、私もコロナを発症していたと思います。直接会った人はいませんが、12月の1ヶ月間、私の知り合いが次々と高熱を出し、全員が陽性反応が出てたそうですから。
インフルエンザに罹ったときもそうですが、私は高熱を出しても病院には行かず、水分をとってひたすら寝て熱が下がるのを待ちます。今回は自宅に漢方があったので、
板藍根を1日、
麻黄湯を1日飲みました。
数年前にかなり症状の重いインフルエンザに罹ったことがあります。
高熱+激しい咳で、遂には、咳をしすぎて肋骨にヒビが入り、ぎっくり腰で起き上がれず。トイレに行くのも壁づたいにヨロヨロ、キッチンに水を取りに行くのさえ気力を振り絞って立ち上がる必要があるという悲惨な状況。
少し腰痛が治まったなと思っても、大きな咳をすると腰痛と肋骨の痛み復活。一時は、このままずっとベッドから出られないかもーと思うほどでしたが、それでも少しずつ快方に向かい、完全に動けるようになるまで3週間くらいかかりましたが無事、社会復帰出来ました。
ちなみに、このときも、特に病院にも行かず、です。
私が比較的コロナに対して楽観的だったのは、この時のインフルエンザの症状の体験があるから。あの症状の重かったインフルエンザでさえ治っていったので、新しいウイルスで高熱を出しても、日頃元気にしていれば、肺炎にならない限りいつかは熱は下がり、肋骨にヒビが入るほど咳が出ても、いずれは落ち着くだろうと。
野口整体では、せっかく熱を出すなら9度以上の熱を出しておくと浄化力が高まると言われているそうで、今回はギリギリ9度に到達しなかったので少し残念でした。
そんなこんなの12月でしたが、後になって、そういえば・・・と思い出したことがありました。
高熱を出した日の朝、私は印象的な夢をみていました。
(夢のメモ)
ビルの前、重装備をした兵士が三重に並んでいる。ビルの前方の守りは堅いが背後で大爆発が起こる。並んでいた兵士全員がその爆発の火に巻き込まれる。そのシーンを目撃してショックを受ける。見たくないのに、その映像が何度もテレビで放映されて、目を瞑っても思い出してしまう。
町の各ビルに爆破物を仕掛ける人たちが出てくる。それぞれが一人でやっている。どこが安全なのか分からない通りを歩き抜ける。
重装備の兵士は、ちょうどスターウオーズの兵士のようで、建物の前に三重に整列し、前方を護っていました。ところが爆発が起きたのは、その兵士の背後の建物。すでに爆破物は建物に仕掛けられていました。そしてその事件後、個人レベルで、建物に爆破物が仕掛けられていき、どれが安全な建物か分からない街を私は逃げていきます。
この夢、どのように解釈されるでしょうか?
実は高熱を出した前日、私は少し肉体的に負荷のかかった1日を過ごしていました。
どんな1日だったかというと、
朝7時~:ミーティング
朝9時~:ルーシャさんのセッション
終わってすぐに、友人のお見舞いのために千葉に移動。
2時間ほど滞在して急いで横浜の自宅に戻り、今度は猫を連れて、東京の動物病院にタクシーで移動。
動物病院終了後はタクシーが見つからず、雨のなか30分ほどバスを待つ。電車に乗り換え、トータル1時間、猫の入ったキャリーを下げたまま立ちっぱなしで帰宅。疲れました。
お見舞いに行った友人宅が、いわゆる汚部屋。本人は脳梗塞で倒れて家の中のことは何も出来なくなったので、数年分の埃とモノに溢れ、足の踏み場もない場所での見舞いでした。
数年分の埃を吸い、千葉の往復と東京までの往復。しかも夕方冷たい雨の中、重い猫のキャリーを肩に掛け、なかなか来ないバスを待っていました。雨で身体も冷えました。
この翌日、私は高熱を出したわけです。
後からの解釈になりますが、こんなふうにこの日の夢を解釈しています。
ウイルスはすでに身体の中に入っていた。元気であれば、免疫系はしっかり私を護っていたので、そのウイルスが爆発することはなかったが、私が肉体的に疲労し、埃を吸い込んでしまったことで、身体にしかけられていたウイルスが爆発しまった。大きな爆発は1回だけなのに、情報や映像が身体を弱めてしまい、ウイルスが増殖。アチコチに散らばった。
その日、ちゃんと夢解釈が出来ていれば、体力を消耗しないよう、余分にお金がかかってもアプリでタクシーを呼んだり、電車でも座って帰ったかもしれません。
後の祭りですがー。
夢解釈や風水では、建物や家は自分の肉体を顕わします。スターウオーズ似の鉄壁の兵士も、建物自体が弱ってしまったら、護りきれないってことなんでしょうねぇ。