一昨日の21日の夜から京都に2泊してました。
本来の目的は、22日の夜に企画された16年前のイスラエル旅行の同窓会。津の赤塚高仁さんのログハウスが会場で、集合は17時。木曜日はテンプルの定休日だし、せっかくなら同窓会に行く前にどこか神社巡りでも~と思っていたところ、友人との長電話の話題が何故か箸墓古墳に。知らない古墳ながら「あ、そこに行こう!」と、箸墓古墳に行くことにしました。津までは近鉄に乗り継いで行けますし。
最初は、バスと徒歩で箸墓古墳と大神神社に・・・くらいの予定でいましたが、桜井市の地図をみると、天皇陵がいくつも。天皇陵巡りは、私の数少ない「ひそかな趣味」。それならばと前日になって「観光タクシーを奮発しよう(笑)」と、3時間ほどタクシーも予約しました。
というわけで、昨日は大神神社と桧原神社さんにお詣り。そして、箸墓古墳ー景行天皇陵ー崇神天皇陵ー舒明天皇陵ー崇峻天皇陵を巡ってきました。
箸墓古墳は不思議な古墳です。実際は誰が眠られているのか不明らしい。
不明と分かっていながら、宮内庁の管轄となってます。分からないのに、何故か、第7代の孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の墓となっています。
日本書紀では、倭迹迹日百襲姫命は大物主神(三輪山の神、大神神社祭神)の妻と記されているそうですが、天皇になったわけでもないのに、今回巡ったどの天皇陵よりサイズが大きい。全長272mの前方後円墳です。
10代の
崇神天皇のWikiを読んでいくと、どうやらこの倭迹迹日百襲姫命はシャーマン的な人物だったらしく(
「すると倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣した」)、もしかしたら、歴代天皇のいわゆるお抱え巫女、お抱えサイキックだったのかも(箸墓古墳は卑弥呼の墓だという説あり)。そして、姫命はあまりにその呪詛の力やサイキック的な力が強かったゆえに、亡くなったあと、権力者たちはその力の復活や伝承を怖れ、巨大な古墳に祀って、姫命の力を封印しようとしたのかも??(推測です)。
ということで謎の多い箸墓古墳。こういうとき、タイムトラベラーになって過去への旅をしたくなりますー。
箸墓古墳(前方後円墳)
景行天皇陵(日本武尊の父)
崇神天皇陵(第10代)
舒明天皇陵(34代、天智、天武の父親)
崇峻天皇陵(第32代)
崇峻天皇陵は比較的小ぶりで、林を横に見ながら裏まで歩いて廻れました。
写真でも分かりますが、どこに行っても、誰もいませんー。禁足地になっていることもあり、中には入れませんー。そしていつ行っても、どの天皇陵に行っても、雑草1つなく、常に掃き清められています。神社ではないので賽銭箱もなく、何か花やお酒が供えられている、ということもなく、小さな案内板があるだけ。
ピラミッドや各地の遺跡のように盗掘もなく(過去はあったとは思いますが)、立ち入り禁止の札だけで誰も入らない。天皇陵は独特で特別な場所ですー(光の加減なのか、天皇陵をスマホで撮すと、全体の色合いが他の写真と違って映ります)
blogで時々書いているだけで、これまで「どこに行ったか」を記録してこなかったので、2023年は「どこを巡ったか」を整理して、せっかくなので、今回の人生のうちに全制覇したいものですー(全部廻っても特典もご褒美もありませんが(笑))。
それにしても、日本各地にある天皇陵を管轄し、整備している宮内庁ってすごいところだとあらためて思いますー。