この映画の原作『収容所(ラーゲリー)から来た遺書』が書かれたのが1989年。33年も経って、何故いま、東宝さんは、このシベリア抑留者をテーマにした物語を映画化しようと思われたのか。この映画のポスターを初めて見たとき、その意外さに驚きを感じました。
父は、小学校卒業前に満蒙開拓少年義勇軍として満州に渡り、終戦直前にソ連の捕虜となり、まさに、酷寒のシベリアでの収容所(ラーゲリー)での生活を体験した一人でしたから。
この本が発刊された当時、我が家には、この本が高く積み上がってました。その頃、我が家にやって来た人は、本人が読書好きか否かに関わらず、もれなくこの本が父から手渡され、この本を読むよう勧められたはずです(笑)。私も実家に戻ったときに手渡され、読み始めるまで、確か1年くらいほったらかしていたと記憶してますが、読了してます。
読んで32年は経っていますし、1回しか読んでいませんが、それでも、この本を読んだときの感動は覚えています。しかも内容はノンフィクション。実在の男性がモデルとなっています。
飢餓と寒さと重労働と仲間の死・・・。そんな生きる希望の薄い極限の地でも人が人として生きることが出来たのは何故なのか・・・。 フランクル先生の『夜と霧』を生きた、一人の日本人の物語だと言えるのではないでしょうか。
近所の本屋さんに行って探してみたら、映画化になったことで、映画のノベライズ版が平積みになってましたが、肝心の原作は見当たりませんでした。
でも、読んでいただきたいのは、やはり原作。シベリア抑留のノンフィクションなので、なかなかハードな内容ですが、読む価値のある1冊ですー。
シベリア抑留中に死んだ仲間の遺書を、厳しい監視網をかい潜り、驚嘆すべき方法で日本へ持ち帰った男たちがいた。勇気と知性の物語。
「ダモイ(帰国)の日は必ず来ます」元一等兵、山本幡男はシベリアの強制収容所(ラーゲリ)で死と隣り合わせの日々を送りながらも希望を捨てず、仲間を励まし続けました。
しかし、過酷な捕虜生活が山本の体を蝕みます。死期を悟った山本は4通の遺書を記し、日本の家族に届けるようにと遺言し、息を引き取ります。
ラーゲリでは、文字を書き残すことはスパイ行為として厳禁され、帰国する時も紙一枚持ち出すことは許されませんでした。しかし、仲間たちは驚くべき方法で山本の遺書を日本へと持ち帰り、終戦から12年後に遺族のもとへと届けたのです。一体、どうやって……!?
*これはコミック版の解説です。

本を読むのが苦手な方は、映画を是非ー。
映画は、現実より、キレイに作られすぎていますが(俳優さんも21世紀の若者の顔だし)、きっと映画を見終わったあと、誰かと語りたくなるはずですー。