昨日10月23日はイベント日和だったのか、Facebookを開けると、アチコチで開催されていたイベントに参加した方々の投稿が次々とあがってました。
・・・そんな週末の2日間、私は
プラブヨガの東京クラスに参加してました。しかも朝から夕方までの2日間クラス+夕方のクラス4つ全て。朝から夜の8時すぎまで1日約9時間半×2。 さすがに昨夜は疲労度が高く、今朝は朝7時までたっぷり寝ましたー。

プラブヨガは日常ではやらない不思議な体勢で動いたり、人間知恵の輪くぐりのような動作を地味にやります。 プラブジ先生が「次はこれです~」とデモをされるのをみて自分で同じことをしようとしても、身体はちっとも動かない(笑)。60年かけて固めてしまった身体がほぐれるまでには、まだまだ時間がかかりますー。
プラブヨガでは「アーサナ/ポーズ」をやることには全然重点が置かれてないので、2日間ヨガをやり続けても、太陽礼拝もしなければ、アーサナやポージングは全く教わりませんー。ワークアウトの1つとして「魚のポーズ」になったりはしましたが、それは過程であって、魚のポーズが目的ではない。
プラブジ先生が「ポーズは追わなくていいからね」という一例として、チナツさんが自身の体験談とデモンストレーションで見せてくました。バッタのポーズ( Salabhasana(シャラバーサナ)/Locust Pose ) です。

横からみたらこんな感じ↓(これは別の会場でやったときのもの)

途中過程はこれです

バッタのポーズをネットで検索すると出てくるのはだいたいこんな感じ。↓ 通常のヨガスタジオで習うバッタのポーズはこれだと思いますー。やってみると分かりますが、ここまで上げるのでさえ普通の人には難しい。私はここまでも上がらない(涙)。

デモのあと、チナツさんがこれが出来るようになった経緯を話してくれました。
今では、重力に逆らって、うつぶせのまま脚を高く持ち上げられるチナツさんでも、初めてバッタのポーズをやったときには、脚は10センチくらいしか上がらなかったらしい。それが、昨年秋からプラブジ先生の通訳として一緒に全国を廻るようになり、毎日生徒さんと一緒にウオーミングアップをしたり動いたりしているうちに、いつの間にか50センチくらいあがるようになっていた。
それでもスゴイと思っていたけれど、札幌のRYTのクラスのときに「私はいつになったらテキストに載っているプラブジ先生のようなバッタのポーズが出来るようになりますかねぇ?」とプラブジ先生に聞いたところ「もう出来ると思うよ」とあっさり言われ、試しにやってみたのが、3枚目、2枚目の画像。特に練習もしてないのに、上級者のバッタのポーズがすんなり出来たんだそうですー。
プラブジ先生曰く「全身の詰まりがとれ、神経系や筋肉が繋がっていき、そのポーズに必要な身体の準備が出来てくれば、ポーズをすることはそんなに難しくない。ポーズを追わなくても、身体の準備ができたらポーズの方からやってくるから、そっちに意識は向けなくていい」と。
私はRYT500を終わったものの、テキストに掲載されているポーズの半分以上はスキップ。数年越しで私の身体の準備が出来るのを待って、身体の準備が出来たらようやくそのポーズをさせてもらえることになってます(笑)。
加速する加齢に逆らって、いくつクリアできるか・・・。いっそ、残りは来世でもいいですけど(笑)。
昨日の最後の時間は、2日間クラス参加者全員がヘッドスタンドをやりましたー。私はハンドスタンドまで。プラブヨガでは、床を蹴り上げずに自力でゆっくり脚を上げるように指導を受けるんですが、私はまだ自力では上がれませんー。

昨日のランチ。トマトカレー。プラブジ先生は、ほぼプラーナで生きているので、自分は朝から水も飲まず何も食べずに教えているのに、2日連続で早朝からカレーを仕込んで鍋ごと持ってきて下さいました。美味しいカレーでした!

プラブヨガ108チャクラ瞑想クラスの修了者に配られた記念Tシャツ

実はこの「道」のTシャツ。以前「プラブヨガはまるで柔道や剣道、書道といった『道』だなぁ」と、こういうTシャツを作ったらどうかと、デザイン案をプラブジ先生に見せたことがあり、それがベースになってます。
その時には習字で書いた「道」の「辶」の最後をずっっっと伸ばして、その上でアニメっぽい虎がヨガをしているデザインを考えたので、もっと可愛らしいデザインだったんですが(笑)。
日本における価値観。哲学とも言われ、一つの物事を通じ、生き方・真理の追究を追求し、自然な完璧な振舞いとなるべく体現を目指しつつ、自己の精神の修練を行う事。「残心」に代表される日本独特の所作や価値観を内包する。
残心(ざんしん)とは
日本の
武道および
芸道において用いられる言葉。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の
美学や
禅と関連する概念でもある。
生活の中では、襖や障子を閉め忘れたり乱暴に扱ったり、また技術職の徒弟で後片付けなどを怠ると「残心がない」や「残心ができていない」といって躾けとして用いられる言葉でもある。仕舞いを「きちっと」することでもある。ちなみに「躾け」とは「美しい」所作が「身」につくことを表した和製漢字である。
と解説されていました。
日本の武道が持つ美学や静けさ、残心にまで到達するには、私のヨガ生活ではあと100年かかりそう。ヨガも武道も、極めた人が到達するのはきっとこの世界なんでしょうね。
追記)blogを書いたあと、プラブジ先生に内容確認のために送ったら「チナツさんと私の写真を一緒に冒頭に置いてほしい」とリクエストが。30歳と60歳がヨガをしている姿を並べたいらしいー(笑)。ということで追加しました。