私は中村先生の活動を支援する「ベシャワールの会」に寄付をしたことがあり、ずっと会報を送っていただいていました。でも、遠くの国で起こっている遠い出来事として読んでいた気がします。会報を閉じてしまえばそのまま忘れてしまうような・・・。
先生がお元気だった時に、帰国のたびに開かれていた講演会に1度でも足を運んでおけばよかった・・・。映画をみながらかなり悔やんでいます。
そして、私は先生の活動を用水路建設を開始された頃に知ったこともあり、医師としての活動はあまり存じ上げていませんでした。
中村先生がパキスタンやアフガニスタンで診療にあたっていたのは、ハンセン病患者。先進国ではすでに撲滅したはずのハンセン病は、まだ彼の地では多くの方が罹患していました。手足を無くし、血だらけになって診療所にたどり着く患者の多さ。さらに中村先生は、拠点としていた病院以外でも、医療活動がほとんどなされていなかったパキスタンやアフガニスタンの山岳の僻地を何日もかけて巡り、診療もされていました。
その状況を知ってしまったら、出会ってしまったら捨ておいてはおけない、助けずにはいられない・・・。
家族と離れ、治安も環境も悪い彼の地にたった一人で降り立ち、医療活動をする。どれほどの勇気と決意と胆力があった方か。中村先生はクリスチャンでしたが、その信仰の力が先生を支えていたのでしょうか。すでに中村医師が亡くなっていることを知りながらこの映画をみると、どれほどの大きな魂を私たちはこの地上から失ってしまったのかと愕然とする思いです。
9.11後、アメリカがタリバン政権打倒のために開始した対テロ戦争。アメリカ軍のヘリコプターや戦闘機が飛ぶその空の下で、中村先生は、現地の人たちと用水路建設を進めていました。
当時のアフガニスタンは大干魃が襲い、大地は乾ききっていました。農作物は育たず、食べるものも飲み水さえなくなり、国全体が瀕死の状態でした。そんな国に大量の爆撃機が果たして必要だったのか・・・。
映画の中で、中村先生が「彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る」と言われていました。中村医師が作った用水路は、見渡す限り乾いた大地しかなかった土地を緑に変え、65万人もの人々の生活を支えるほどになっています。
東京では7月から上映が始まっており、東中野のポレポレでは、3ヶ月のロングラン上映中。私は逗子・葉山の小さな映画館で観てきました。
すでに上映が終わっているところもありますが、まだ上映中の映画館があったら、是非とも。自分のなまっちょろい日々に喝が入りますよ。