昨日は午前中、午後とハードなヨガが続きました。今日もまたハードな1日になりそうです。
昨日の午前中のヨガは、1回始めたら15分間、止めることができないシークエンスだったと書きましたが、午後にはさらにヨガの動きが追加され、トータル30分近くのものになりました。昨日はこの30分ものを3つに分けて練習して、それでもけっこうハードでしたが、今日は、これからそれを一気に続けてやる必要があります。1呼吸1動作なので、息をしているのに、途中で息切れしそうですー。
朝起きてみたら、予想していたより筋肉痛はなかったものの、動かすと、身体の奥の筋肉が痛いですー。肘はすっかり紫色ですー(昨日はヨガをしながら匍匐前進したのでー)。
他の人には簡単に出来るものでも、私には拷問のポーズだったりするので、第2部は第1部よりも肉体的にハードです~。

昨日の夕方のわたしを隠し撮りされてました(笑)。力尽きてますー。
さて、
瞑想中のフォーカスについて、1つ、書き残しておきますー。
瞑想中、どこに意識を向けるか、どこに視線を向けるか(目を瞑っていながら)・・・という命題がありますよね。バガヴァッド・ギーターでは、意識と視線を第3の目に向けるようにと書かれています。
「108チャクラ瞑想」のクラスでも、第3の目に意識と視線を向けるよう指示される瞑想がありますが、一昨日の瞑想の時間、サティシュジ先生から、長く瞑想をする人、特に、瞑想初心者は「鼻先」を観るようにと指示がありました。鼻先はナディーが集まる終着地点なので、ここも重要ポイントです。
第3の目に視線と意識を向ける瞑想はそれなりにパワフルなために、厭世的になり、地上の人生や生活がおそろかになったり、人間関係が難しくなってしまう可能生が高くなるんだとか。
第3の目に意識を向ける瞑想法は、バクティヨーガ(神への信愛、神への献身)の人生を送ると決心したあとでやるようにとのことでした。
そしてその前に、大事なことは、自分自身の身心をクレンジングしておくこと。
*肉体的なクレンジング(ベジタリアン食、デトックスを心がける、化学物質を取り入れないなど)
*精神的なクレンジング(感情的なシコリがある記憶をクレンジングし、新しいカルマを作るような生活をしない)
を十分行ってから始めないと、横道に逸れてしまう可能生があるそうですー。
タバコを吸ってアルコールを飲んで、ステーキを食べながらの瞑想は、良い瞑想にならない、ということです。
そして瞑想をすることで特別な人になりたい、特別な経験をしたいというのも「欲」ですから、その欲に基づいた瞑想も危険です。
単に目を瞑ってリラックスする程度の瞑想、あるいは10分程度の瞑想であれば、特にクレンジングは必要ないかもしれませんが、本格的に霊的探求の道に行きたいのなら、身心のクレンジングはマストですー。
ちなみに、参加している「108チャクラ瞑想」クラスは、いわゆるリラクゼーション的な瞑想クラスでは全然ありませんー。
肉体的にも精神的にも、自分が持っている潜在能力がさらに高まり、ケイシーの言葉を借りると「この世に属しながら、この世に属さず」悠々と今回の人生を生きていけるようになるための瞑想クラスと言えるかもしれません(現時点での感想です~)。
・・・と書きつつ、1年後、自分がそうなっているかどうかは全く心許ない状況ではあります~。
今はまだ、108つのチャクラを左脳で学んでいる状態。
サティシュジ先生の講義や指導の表面をなぞるのが精一杯です。インド4万年の叡智は計り知れないほど大きい。その叡智を理解し吸収出来るまでには、まだまだ自分の心も身体も間に合っていませんー。準備が出来るまで来世までかかるかもー。ともかくもその第一歩を歩み始めたので、頑張りますー!
