ゆの里ツアー2日目。心配された雨予報は当日になると午後に少し・・・という予報に変わっていました。朝起きると外は青空。雲が多めの分、それほど暑くならないからかえっていいかも・・・と行楽にはサイコーの天気と相成りました。
高野山が世界遺産に指定されたのは、神社とお寺の融合神仏の地だから。
空海はこのあたり一帯をおさめていた丹生都比売にまずは祈願をし土地を譲り受け、高野山を拓きます。丹生都比売は、ホツマツタエによると天照大神の妹、稚日女命(わかひるめのみこと)。古事記には出てきませんが、丹生都比売がこのあたり一帯をおさめるほどの力をもっていたのも、空海が高野山開闢を祈願したのも肯けます。
そして高野山でも子どものお宮参りを受入れ、僧侶が祈祷をすることもあるんだとか。神職と僧侶が互いに相反しておらず、お互いを尊重しあってこの地を護っています。
以前は、丹生都比売神社があるあたりは何人とも住むことを許されず、神職でさえ麓に済み、毎日の通いが必要だったという隠れ里でしたから、この土地に近づくと途中から気が変わったのが体感されるかもしれませんー。

丹生都比売神社。いつも本殿だけお詣りして戻っていましたが、参拝に行かれたら、本殿横の佐波神社さんにも是非。神社の数を減らすために、このあたりの神社を融合させて1つの神社にしたそうです。藤堂さんは、まず佐波神社の神様に呼ばれたそうですよー。また16日には神馬ならぬ神犬もいるそうですー。神犬についてはネットでご確認を。
かわいい写真がたくさん!

藤堂ヒロミさんとの2ショット。お互い鮮やかな色が好きなので、この日は赤と青チームに。私が誰かと並んでふっくらに見えるのは希有なことですが、単なる目の錯覚かも(笑)。
丹生都比売大神さまにご挨拶をしたら、一路高野山へ。
高野山が開かれたときの逸話はこう書かれています(
公式サイトよりコピペ)
弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。
それは、弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。
弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師にあった。
手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。
そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されました。
空海が中国で投げた三鈷はこの木に引っかかっていたと伝えられており、松の葉が2つではなく、3つの分かれているのが見つかります。この木は「三鈷の松」と言われています。


一周回すと1回お経を唱えただけの功徳があるそうー。
高野山は現地ガイドさんとともに、駆け足でしたが主要な場所はすべて回りました。今回は高野山ははじめてで「いつかは高野山にあがりたい」と思っていた方が多かったので、ガイドさんのご案内を楽しまれたと思いますー。

スタッフが、この写真はこうやくんに似ていることを発見。たしかにー。

この奥が奥ノ院。弘法大師空海が御入定されている聖地です。
奥ノ院までの道は、左右に歴史上の人物や会社の慰霊塔など、数多くの墓所になっています。
実は、10月にも週末を利用した《ゆの里ー丹生都比売神社、高野山ツアー》の日程をおさえています。まだ詳細は決まっていませんが、8月頃にはお知らせがご案内できるかも。
今回、タイミングが合わなかった方は、10月のツアーで是非。