私は相変わらず、テレビも雑誌も新聞もみない生活をしているので、ウクライナとロシアの戦いのニュースは、ほとんど目にしていないのですが、それでも毎日、FacebookやTwitterに、このニュースがあがってきます。
ウクライナで起きた虐殺も、あれはロシア兵ではなくウクライナのアゾフ軍だという人もいれば、いや、あれはやはりロシア軍なのだという投稿もあります。報道されていることだけではなく、この戦いの背後にあるもの、長年の関係性などを説く人の解説などをみると、一方的にロシアが悪で、ウクライナが被害者であるという報道は偏りがありすぎるように感じます。もしかしたら、3年後、5年後になって、ようやく全体像がみえてくるのかもしれません。
さて、
自宅の状態は、住んでいる私たちの心の顕れ。棚の中、引出しの中も含め、すべてが自分の有り様、人生の反映である、というのがコンテンポラリー風水の原則です。
これを日本全体、地球規模に広げると、今の日本や地球の様子は、ウクライナの戦争も含め、地球に生きる私たちひとり一人の心の顕れ。一人ひとりの中にある他と争う心、自己中心性が、自然破壊や政治腐敗、そして地球の状態となって顕れているだけだ、とも言えます。
ホ・オポノポノを長年普及されて来られたヒューレン博士は、戦争すらも、私たち一人ひとりが記憶をクリーニングし続けることが大事と述べられています(インタビューは
こちら)
今起きている経済問題も、お金の問題ではないんですよ。同じ物語が繰り返し繰り返し再生されている。これは初めて起きる問題ではないのです。不況も戦争も何度も繰り返されていますよね。その記憶を、完全に消去してゼロに戻したいのです。大勢の人たちがクリーニングする方法を学べば、それだけ早く、みんな一緒に因縁のもつれから開放されることになります。「体験することはすべて自分の責任だ」という立場を取る人たちが増えれば増えるほど、楽になるわけですよね。
同様のことは、ケイシーも述べています。
以下に紹介するリーディングは、すでに2月に配信したメルマガでご紹介したものですが、blogにもアップしておきます。
Q)『今後5年以内に合衆国が戦争に引き込まれたり、戦争に向かうことがあるでしょうか。もしそうなら、どの国との間に、あるいはどのような事柄に関して紛争が生じるのでしょうか。
A)『 そのようなことが生じるか否かについては、神の目から見て正しい事柄に自分を一致させる充分な数の人々が現れ、彼らの心と魂と精神の中に湧き上がるか否かにかかる!』 (3976-8)
Q)『ヨーロッパにおける政治的および経済的な状況に関して、どのような流れの出来事が生じると期待されますか?』
A)『…祈ることができる者達の祈りと嘆願があれば、それを免れるだろう。
まさしくアブラム、つまりアブラハムが祈ったように――「もし50人の良い人がいたら、その罪を赦して下さいますか?」「ああ、もし10人の忠実なる者がいたら、罪を赦して下さいますか?」とするなら、ヨーロッパの希望はまさにあなたがたにかかっている! 今日この日の自らの家庭におけるあなた方に! 』 (3976-8)
『地上の、諸国家の活動として、戦争を非合法化しようとする戦いがあって以来、平和を求める願望、目的がますます育ってきた。 いかなる犠牲を払ってでも平和を達成するというのではなく、人間の本質、人間の目的と両立し得る平和である』(3976-22)
Q)『何がそのような戦争を引き起こすのですか?
A)『自己中心性、である! 』 (3976-17)
地震や大雨、洪水も、実は、我々の意識が影響していると言われています。人が日々心に思う様々なネガティブな感情が地下に下り、溜まり続け、ある一定量を超えたときに、それを発散するために地球は地面を揺らしているのだと言っていた人もいました。
火星の位置関係によっては、地球に住む人の怒りの感情を増大させてしまうように、私たちの中の怒りもまた火星に影響を与え、火星の影響力を強めているかもしれません。
「神の目から見て正しい事柄に自分を一致させる充分な数の人々が現れ、彼らの心と魂と精神の中に湧き上がるか否かにかかる!」
「「もし50人の良い人がいたら、その罪を赦して下さいますか?」「ああ、もし10人の忠実なる者がいたら、罪を赦して下さいますか?」とするなら、ヨーロッパの希望はまさにあなたがたにかかっている! 今日この日の自らの家庭におけるあなた方に!」
これが心の底から得心できたなら、政治家が悪い、経済が悪い・・・とは言えなくなっていきますね。
心の平和を私たち一人ひとりが取り戻す。まずは自分から、自分の家族から、自分の人間関係から平和を築いていくことで、世界は調和を取り戻し、いずれは、平和な星となっていくことでしょう。

都心では、街路樹がどんどん切られています。神宮外苑の1000本近い木々も土地の再開発を理由に伐採が決まってしまいました。心にゆとりと潤いを与えている木々を無くして、画一的な直線ばかりのビルを建てていくことで、私たちの心がいつのまにか殺伐としていくことを懸念しています。
誰かにイラっとしたり、ムッとしたら、それは、その人のせい、というよりは、自分の心に平安が足りないからなのかもしれません。
どうすれば自分は幸せを感じられるか。満たされるのか。自分で自分のご機嫌がとれ、自分で幸せになっていく方策を一人ひとりが見つけられるといいのですが。