昨日の午前中は、ルーシャさんのグループセッションでした。3人のクライアントさんのセッションを、20名弱の皆さんと観察させていただきました。
前回のセッションは、3人ともペットの相談が含まれていましたが、今回は3人とも人間(笑)のセッション。
セッションの順番は、前日にルーシャさんが決められるんですが、3人がそれぞれ共通のテーマがあり、クライアントさんも、他の2人のセッションを聴きながら「自分にも同じテーマがあった」ことに思い至ったそうです。昨日は織物のように3つのセッションが絡み合っていました。
どのセッションも興味深いものでしたが、お一人のテーマの1つが「強い母親からの解放、母親からの呪縛を解く」というものでした。これは、誰しも大なり小なりあるのではないなかと思います。

先月、出雲に住んでいる友人を訪ねたんですが、彼女はもともと出雲生まれ。結婚のときも、ご主人が大阪での仕事を辞め、出雲に新しい職を見つけての結婚でした。
で、この春、初めて出雲を離れ、心機一転、兵庫県にご夫婦で引っ越すんですが、彼女が車のなかでしみじみ「ようやく、母親の籠から出られる」と言っていたのが印象的でした。
私は母親が亡くなったあと「母親の靴を履いて歩こうとしている」という夢をみたことがあります。サイズがブカブカで足に合ってないのに、何故かそのブカブカで歩きにくい靴に一所懸命自分を合わせようとしている・・・。
私はけっこう自由に生きてきた部類の人間だと思ってきましたが、無意識に母の意に沿う生き方をしようとしている。母はすでに亡くなっているのに、それでもなお、母親の価値観に合わせたり、母親が喜ぶ選択をしようとしていると夢は教えてくれました。
母親の靴を履いて歩いていた自覚が全然なかったこともあり、この夢の内容にいささかショックを受けました(子どもというのは、どんな親であっても、また何歳になっても、無意識に親を喜ばせようとするものなのですよね)。
私の母は、子どもをコントロールしようとする人ではありませんでしたが、そんな私でさえ、無意識に母親の意に沿おうとしていたわけですから、強い母親(もしくは父親)のもとで育った場合には、どれほど強い拘束があり、過去からずっと、どれほど親の意見が優先されてきたことでしょう・・・。
あたかも母親に首輪をはめられている感じなんじゃないかなぁと思います。繋がっている紐は長くても、その首輪の紐をたぐっていくと、そこに母親や実家があるという(← 実は、これは以前、別の女性がみた夢の内容です)。
キャメロン・ディアスが主演した映画に『イン・ハー・シューズ』という映画があります。in their(his/her) shoes というのは、その人の立場になる、という意味合いです。意識的に「その人の立場になって考えてみる」ことは必要でも、ずっと、その人の価値観に合わせて生きていたら、誰の人生を生きているのか、分からなくなりそう。
とっくに成人して自立しているはずなのに、実は、未だに親の靴を履いていた、親に首輪をつけられていた・・・。そして、その靴を脱ぐことも首輪も外せるのに、それを握りしめていたのは実は自分だったってこともあるかもしれません。
自覚があるなら、専門家のサポートを得て、その足かせ、首かせから自由になってみてはいかがでしょうか? きっと新しい空気が深く肺に入ってくる感じがすると思いますよ。