「覚醒」して生きるー「神の探求」の神髄に触れる2日間
2022年 02月 19日
「私は覚醒した」あるいは「こうすれば覚醒する」という内容の本やyoutube番組も検索するとたくさん出てきます。
では、「覚醒」とは何なのか・・・。
フランス人の友人、ジュリアンが体験したような「ワンネス体験」が覚醒である、あるいは「サイキック能力の開花」が覚醒である、と表現している方もいるかもしれません。
*ジュリアンの本『ワンネスの扉』はこんな本です。
ちなみに、ウィキペディアでは覚醒について、こう書かれています。
「睡眠等から覚めること。または、覚醒し意識のある状態(覚醒状態)。 比喩的に、あることを意識すること」
ともかくも、何かから目覚めた状態が「覚醒」であると言えます。
しかし、わざわざ「覚醒したい」「覚醒を求めている」ということは、朝起きて仕事をし、人と関わり合いながら日常生活を送っている普段のわたし達は、「覚醒していない」ということになりますね(涙)。
さて、
エドガー・ケイシーがいう「覚醒」とはどういった状態だったのでしょうか。
『神の探求(上巻)』の第2課から少し引用してみます。
~神の探求 第2課 68頁~
わたし達が、自己の内なる霊と外の霊を調和させられることに気づき----つまり魂が真に望んでいることが神の願いに等しいことを悟り----また、内なる霊と外なる霊が1つであり、神という同じ源から出ていることを知るに至った時、わたし達は霊的に覚醒したことになります。
このことは人々の間を歩まれたイエスの生涯に見事に表わされています。
わたし達が《あらゆる善の源である神》に常に心を同調させ、神の霊をもって自らの証人とすることができるように心がけるならば、自然に覚醒に至ります。
その時、わたし達は、自分達が真実、神の子であることを知るようになります。
わたし達が霊的に覚醒したことの証は、わたし達の忍耐と寛容と辛抱によって、また人の苦しみを望まず、すべての人が《真理》に至ることを望むところによって表わされます。
これらの徳を日々の生活で実践する時、わたし達は人々を導く者となります。
~以上 引用おわり~
『神の探求』は、わたし達が霊的世界観に目覚め、この物質的世界で肉体を持ちながらも霊的な意識で生きていく。その生き方を学ぶテキストブックです。
第1課で、わたし達は早々に「自分の意志ではなく、神の御意(みこころ)を自分の肉体を使って表現し、生きていく」その生き方を学んでいきます。
そして、常に神に心をあわせ、神の御意の表現者として生きようと努めていくならば、自然にわたし達は覚醒に導かれていくとケイシーは述べています。
また、わたし達が覚醒したかどうかは、
・わたし達が日々忍耐と寛容と辛抱を持って生きているかどうか
・人が苦しむことを望まず、すべての人が《真理》に至ることを望んでいるかどうか
にあると、ここには書かれています。
いかがでしょうか?
わたし達が想像し、期待していた「覚醒」とは、全く違っていませんでしたか? 何か特別な体験をすることでも、サイキック能力が目覚めるということでも、どうやらなさそうです。
では、霊的な目覚め、霊的な覚醒を促すために、わたし達はどのように生きていけばいいのでしょうか。
ケイシーリーディングには「霊の実」「霊の果実」という言葉が何度も登場します。
『魂がその経験において、普遍的、宇宙的な神、つまり創造的諸力との関わりにどのように気付き、目覚めるようになるかについて言えば、「食物」を与えることによってである。その食べ物とはつまり、果実、霊の結果である果実である。
・・・それは神の、命の、実在の果実であり、それは、愛であり、希望、親切、優しさ、兄弟愛、忍耐である。これらが、魂の創造的力との関係において、目覚めをもたらすのである』378-14
『あなた自身の意識に敏感であれ。自分に対して真実であれ。『霊の実』を結ぶ活動に向かうようにせよ。すなわち、理屈なく親切であれ、優しくあれ、忍耐強くあれ、友情深くあれ、兄弟愛に篤くあれ。同胞に対するあなたの歩み、行い、理解を証しせよ」216-15
「霊の果実」をわたし達はどれだけ食しているでしょうか?
3月20日(日)、21日(月)の2日間をかけて、テンプルでは『神の探求(下巻)』の12課を読み通すという講座を開催します。
本来であれば、1課、1課を2~3ヶ月かけて実践しながら12課に進んでいくのが理想です。
とはいえ、なかなか一人で読み進めるにはハードルが高い。
肉体を持ってこの地球に生きているわたし達に神はどのような人生を望まれているのかケイシーが述べる「霊的な道」とはどういう道なのか。
まずは、わたし達がどのような道を歩もうとしているのかその全体像を知り、この道を歩むための確信を持っていただければと願っています。
私のお気に入りのリーディングにこのようなリーディングがあります。
『汝がこの世にあって、しかもこの世に属するとき、汝はこの世のものである。 しかし、汝がこの世にあって、しかも主に属する者であるなら、汝は主のものである。それゆえ、これらの源、これらの経路(ケイシー)を通して汝に示されたところの信条、真理、生命、光、理解を、自分の人生に具体的に適用し、汝らがそれらを堅く守るなら、汝はこの世に属する者ではない――この世にいるだけだ』(262-83)
これからの残りの人生、自分の命をどのように使って生きるのか。
物理的世界の中でエゴと欲の中で右往左往するのを楽しみたい方は今のままで(笑)。
そうではなく、霊的な生き方にシフトしたい方は、ケイシーの遺した『神の探求』のテキストを使って、一歩ずつでも歩み始めてみませんか。
「『神の探求』下巻エッセンス編」は、3月20日(日)、21日(月)、2日間かけて行うオンラインのライブ配信です。
*ライブで視聴できなかった方は後日配信期間にて(視聴期間は5月23日(月)10時まで)
なお、この講座は「下巻」のエッセンス編ですから、上巻を読んでいる、あるいは実践していることが前提で講座は進行していきます。
「上巻」は未読である、内容を知らないという方、復習して参加したいという方のために昨年開催した『神の探求 上巻エッセンス編」を、3月9日(水)~19日(土)までの11日間、アーカイブ配信することにしました。
10時間ある内容なので、1日1時間視聴しても10日かかります。
でも集中的に視聴することで「神の探求」の世界観に浸ったまま、「下巻」に進んでいただけると思いますよ。
3月は、魂の滋養と意識変革の時期にしてください・・・。
すでに『神の探求 下巻エッセンス編』にお申し込みの方は、別途2,200円で上巻をご視聴いただけます。
1)『神の探求 下巻エッセンス編』参加前に「上巻」を視聴 15,000円
2)『神の探求 下巻エッセンス編』のみ参加 12,800円
《神の探求 下巻エッセンス編 オンライン講座》
「この世にあって、この世に属さない」霊的成長と進化の道を歩み始めた方に。ZOOMを使ってのライブ配信講座です。ご自宅からご参加下さい。(後日配信の視聴期間 5月23日(月)10時まで)
日 時:2022年3月20日(日)10:00-16:30
2022年3月21日(祝)10:00-16:30
講 師:光田秀さん(NPO法人 日本エドガー・ケイシーセンター会長)
参加費:
1)『神の探求 下巻エッセンス編』参加前に「上巻」を視聴 15,000円
2)『神の探求 下巻エッセンス編』のみ参加 12,800円
3)『神の探求 下巻エッセンス編』申込済み。
上巻視聴(11日間限定)を別途希望 2,200円
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