瞑想指南、本番はこれから
2021年 11月 29日
今回の瞑想メンバー、瞑想を始めたばかりという方も多いなか、どなたも「毎回寝てしまう」とか、「20分の瞑想が長すぎて、途中で「早く終わらないかなぁ」とそればかり考えてしまう」といった方もおらず、皆さん真剣に瞑想に取り組まれていました。
瞑想合宿のメリットは、その場に、講師や何年も瞑想をしている人が一緒にいること。そういう人が同じ場にいることで、初心者の意識を「ここからが瞑想の本番」といった入り口まで連れていってくれます。
合宿中は強制的に瞑想をさせられる、という場面設定が出来上がっていますが、本番はこれから。なんせ、自宅で瞑想をしようとすると、いろんなハードル、誘惑が待っていますから、
まず、1日20分だけだとしても、決まった時間に坐り続けるということが、なかなか出来ませんー。
私はOL時代、23時から瞑想をする、ということをしばらく続けていました。OL時代は、ルーティーンで生活していたので、割と続いていましたが、会社員を辞めたとたんに、出来ない・・・。というよりやらない。生活が夜型になり、23時はまだ「夜は序の口」」の時間帯。誘惑だらけですぐに瞑想は生活から消えてしまいましたー。
寝る前・・・と緩く変更すると、今度はねむすぎてやらない。朝に変更すると、朝はギリギリまで寝ていたいので、やっぱりやらない。
私の日々の生活のルーティーンから瞑想が消えて、それを戻すまで、私の場合、実に30年以上かかったことになります! しかも、他の皆さんを巻き込んでようやく(笑)。どこまで意思が弱いんだか。
だから、一人でたんたんと、粛々と瞑想を続けられている人、私は心から尊敬です。
そんな意志薄弱の私が、日々の瞑想を10ヶ月続けられたのは、朝瞑想のメンバーの皆さんが一緒に参加してくださったから。
そして、心の変化を自分で実感したから。
この短い間でも、人生の優先順位はずいぶん変わってきました。
先週のメルマガでもご紹介したリーディングですが、以下は、ケイシーが「瞑想とは何か」を問われて答えたリーディングの一部。
『汝の願いは、明日食べられるだろうか、何を着ればよいのだろうか、ということだけに置かれているのだろうか? そのようなことを汝自身の意識の一大事にしてしまうとは、なんと信仰薄き者、希望薄き者であろうか! 汝らは、神のものであることを知らぬのか? 汝らは、神によって造られたるものなのだ』(281-41)
『かつて主が与えられた「他の人々はするままに任せておこう。しかし私は礼拝する。そう、私は生ける神に仕える」という言葉を自らの内に語り聞かせ、それを生きよ』(281-41)
瞑想、別にやらなくても全く困りませんが、やっていると、今の不安と恐怖で出来ている世の中から一抜けして、右往左往している社会とは別の意識で生きていけます。
それに、元手はタダ。身体と座布団があれば何処でも出来ます。
アチコチ観光に行ったり、遊園地に行かずとも、そしてNetflixやアマゾンプライムがなくても、自分自身を楽しめます。そして身体が動かなくなっても、目や耳が不自由になっても、死ぬ直前まで、出来るものはそうありませんねー。
私は、たった10ヶ月続けただけの初心者の分際なので、まだ瞑想をしたことがないといった人とは、実は、五十歩百歩。
ということで、瞑想、始めたいなぁと思われた方は、「どうやったら自分が続けられるか」を試行錯誤しながら、とりあえず1日20分坐ってみる。
ぜひ、始めてみてくださいー。