今週の火曜日から青森ー秋田ー岩手の3県の縄文遺跡と博物館を巡るツアーに参加してきました。この旅の言い出しっぺは、マミーズファミリーのビッグママこと
増田かおりさん。
ビッグママは、ときどき「かおりんのやりたい放題」と銘打って、自分がやりたいことをイベントにしてます。お寿司を食べに行ったり、お話会を開いたり・・・。
で、今回は「写真家の野村哲也くんと伊勢の○○さんが出会ったら何かがスパークしそう。お二人をガイドにして北東北の縄文遺跡を巡りたい」という、そんな旅でした。
旅の案内が届いたとき「青森」「縄文」のキーワードにすぐに申し込みました。青森も縄文も大好きなんです。青森は10回くらい旅行しているかも(そして、そのうち5回くらい『イエスの墓』にも行っている・・・(笑))。
あまり旅の行程を気にせずにいたら、ホントに3日間ずっと縄文遺跡と博物館しか巡らない旅だった!徹底しております。
今回巡ったのは、こちらです。
三内丸山遺跡→小牧野遺跡→鹿角大湯環状列石→伊勢堂岱遺跡→御所野遺跡→八戸是川縄文館
今回の博物館巡りで個人的に驚いたのは、縄文時代、すでに漆器が作られていたこと、そして、各地で遮光器土偶が出土していたこと。
縄文の土偶といえば
遮光器土偶というくらい印象的な土偶ですが、あの土偶と同じデザインのものが各地で作れていました。 同じ北東北といえども、どの場所もバスで行く距離ですから、そんなに近くはありませんー。
山を越え、川を越えして何日も何時間も歩かなければ行けない距離。GPSも通信機器もない時代、どうやってお互い通信しあい、その場所を特定できたのでしょう・・・。
出雲からも東北からも糸魚川の翡翠が出土しているので、縄文時代の人は広く交易があったことが判明しています。土地によって言葉も古代文字も違っていたであろう13,000年前に、その交流方法は、現代のものとは大きく違っているはず。
各地で似たような土偶が出土しているということは共通の認識を持っていた、ということですよね。
同じ人が各地で指導したのか、あるいは土偶(祈りをこめて使うもの)として、パワフルな威力を持つ土偶だったと評判になって人々が同じものを作ったのか・・・。想像は尽きません・・・。
そして、わたし達が知っている縄文時代の想像図は、竪穴式住居に住んで、狩猟と採取の食で・・・というイメージですが、果たして本当にそうだったのか・・・。少なくとも競争も争いもない、平和な心を持った人だったことは分かっています。
ケイシーによれば12,000年前、すでにエジプトではピラミッドとスフィンクスが作られていますし、それより前のアトランティス文明は知的な科学技術を駆使した文化的な生活を送っていました。アトランティスやレムリア時代の遺跡がでないからといって、その時代が無かった、ということではないように、目に見える痕跡はなくても、そこには高い知性と創造性を持つ人たちの暮らしがあったはずです。
環太平洋ではレムリア、ムーの時代があり、その人たちとの交流もあったでしょうから、縄文時代の出土品が石と木と土器だからといって、はじめ人間ギャートルズのような生活だったに違いないと短絡的に考えては、その時代を見誤ってしまいます。
*アップした画像は、数カ所の博物館のものが混在していて、どれがどの博物館なのか分からなくなってますーすみません(これ以外にもたくさん出土しています)。
宇宙人なのか、メガネをかけた人なのか、はたまた妖精なのか昆虫を模しているのか・・・。どなたか、タイムトラベルできる方は是非、縄文へ~。
ちなみに、2022年2月末まで
東京国立博物館で、遮光器土偶をはじめ、17点の土偶の展示があるようです。本物を見たい方は、こちらもどうぞー。