『ある小さなスズメの記録』
2021年 11月 09日
・・・けれど、いったん私が家の中にいると知るや、そのおもちゃは投げ捨てられ、彼の注意はすべて私に向けられた。彼は全くのところ、しつこい子どもそのものだった。自分の視野からちょっとでも私が消えようものなら、すべての部屋でパタパタという小さな足音があふれ返って、しまいには、私は1つの巣いっぱいの雛を、全員引き取ったに違いない、と思ってしまうほどだった。若くてエネルギッシュで、意気軒昂だったにもかかわらず、彼は1日のうちのどの時間にも、私と「ひと眠り」することができた。私がひどい麻疹に罹り、2週間、病の床に伏したときは、彼の生活は「至福」そのものだった。毎日がお祭りのようなもので、人生は「喜びのメリーゴーランド」となった。食事を私と分け合い、ほとんど1日中ベッドの中で抱かれ、ときどきトイレの必要や、子どもがするように食事の合間に何か1口つまむために籠に戻ることなどはあるものの、それがすむと大いそぎで嬉しそうに帰ってくる。
彼が幼児期を脱した頃から、私は非番の日はいつも、早朝から彼を肩に止まらせグランドピアノのところまで連れていき、1時間以上も弾いて聞かせた。彼はほとんど最初の日から、音楽に反応し、興奮している様子を見せた。翼だけではなく、体全体を震わせ、私の弾いている音階が突然スタッカートになるほど、私の首を突っつき、くちばしで肉を、ちょっぴり捻りさえした。まるで感情の高まりを抑えきれないとでもいうように。これが彼の喜びの表現だったのか、苦痛の表現だったのか分からない。両方だったのかもしれない。けれどまさか彼が歌うことを学ぶようになろうとは夢にも思わなかった。(やがて雀は、小さなトリル(隣の音と交互に素早くならす音楽技法)を練習するようになります)それはさえずりから始まり、小さなターンを経て、メロディを形づくろうと試み、高い音色(普通のスズメの声域より遙かに高く)を出し、そして驚異中の驚異ーー小さなトリルに至ったのだ。私は魔法にかかったようにドアのところで聞き惚れていた。彼は根気強く練習を続けていた。けれど、私が中に入ると、すぐにそれをやめて、扇羽をばたつかせるのだった。数日後、私は再びそれを聞いた。そして春が過ぎゆくにつれ、彼の練習時間は増してゆき、夏の終わり頃には毎日歌っているようだった。(中略)初秋になると、彼は彼の楽譜にもう1つ小さなトリルを付け足した。私は嬉しくてならなかった。彼の歌はいよいよ洗練され、完成度の高いものとなった。