引き続き、バガヴァッド・ギーターから。
2日間連続で開催した『バガヴァッド・ギーター』講座。1日目の講座途中から、私は「家を片付けよう、断捨離してモノを減らそう!」と心に誓っておりました。
なぜなら、家には、私の気をそらせる誘惑が多すぎる(笑)。
これは2日目に読んだ部分ですが、ギーターの12章から少し抜粋します。短く編集していますので全文ではありません(今回も上村先生の訳です)。
クリシュナのアルジェナへの言葉です。
(神である)私にこころを注ぎ、私に常に専心して念相する。最高の信仰を抱いた人々は「最高に専心した者」であると私は考える。
すべての行為を私のうちに放擲(ほうてき)し、私に専念して、ひたむきなヨーガによって私を瞑想し、念相する人々、それら。私に心を注ぐ人によって、私は遠からず、生死流転の海から彼らを救済する者となる。アルジェナよ。
私にのみ意(こころ)を置け。私に知性を集中せよ。その後、あなたはまさに私の中に住むであろう。疑問の余地はない。
もしあなたが心を堅く私に集中することが出来ないなら、常修のヨーガ(*バクティヨーガ/献身奉仕)によって私に達することを望め、アルジェナよ。
もし、常修(*バクティ/献身)にも能力を欠くなら、私のための行為に専念せよ。私のために行為をしても、あなたは成就に達するであろう。
常に、知識は常修より優れ、瞑想は知識より優れ、行為の結果の捨離は瞑想より優れている。捨離により直ちに寂静がある。
すべてのものに敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等にみて、忍耐あり、
常に満足し、自己を制御し、決意も固く、私にこころと知性を捧げ、私を信愛するヨーギン、彼は私にとって愛しい。
喜ばず、憎まず、悲しまず、望まず、好悪を捨て、信愛を抱く人、彼は私にとって愛しい。
これはインドの絵ではありませんが、これは紀元前2500年前(今から4500年前)、シュメールの王墓から出土した絵。ギーターは紀元前3000年あたりが舞台になっています。すでに紀元前2500年以上前に戦車があったことに驚いた。
ケイシーの『神の探求』にも同じように「神に意識を向ける」ということが再三書かれています。ギーターでも、この言葉は繰り返されます。これは普遍の真理なんですね。
何かを行うときには、それは神が喜ばれることかどうかを考える。神前でも同じことが出来るかどうか考える・・・。そして、その行為の結果は神に委ねる。「私がやった」「私のおかげで・・・」という意識は捨てる。全て自分の行為を神への捧げ物にする。
まずは、そんなことをすっかり忘れてしまいそうな誘惑の多い、自宅改善です(笑)
・・・しかし、
「家を片付けよう!モノ(特に本)を減らそう!」と、セミナー会場では、堅く心に誓っていたのに、だんだん家に近づくにつれて、心の中に「今のままでいいじゃない」という言い訳が湧いてくるのは何故(笑)? ホントに、家に近づくにつれ、片付けは必要ないと思えてきた。自宅から「片付けたくないエキス」が外に放出されているのでしょうか。
ともかくも今朝は、テーブルの上にずっと置きっぱなしだった本やモノを少し片付けました。半年以上、置きっぱなしで、すでに家の景色の一部になってましたが、そこを突破口に、年末までに「本棚に隙間を作る」を目指しますー。
ギーターの荘厳な神との対話から、一夜明けたら、家の片付け(笑)。これが人生ー。
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