今日、明日の2日間は、ここ数年、テンプル秋の恒例となっている『バガヴァッド・ギーター講座』です。私は、南インドツアー中に聴いたギーター講座も含め、これで5回目のギーター講座。そして毎年、新鮮に聴ける(笑)(1年後にはすっかり忘れているから)。
2020年のギーター講座のあと
書いたブログを読むと、ギーター講座のあと、私は「マハーバーラタ」の完訳版を読み始めてますね。第1巻の7割くらいまで読んで、そのまま止まってますが(笑)。
今日の講義で、ギーターを理解するために必ず知っておく必要のある「マハーバーラタ」の人間模様、人と神様の相関関係の解説に費やされたのは、なんと3時間!
ギーター本文を1文字も読んでないのに、トータル10時間の講義のうち、3時間が「マハーバーラタ」の解説、登場人物の相関関係、そして今日配布したテキストにまつわるエピソードに費やされました(笑)。
そして、わたし達が霊的鍛錬のために学んでいるケイシーの『神の探求』と『ギーター』がいかに似ているか。なぜケイシーをして、このギーターが「もっとも普遍的真理に近い偉大な教え」だと言われているのかも・・・。
(その証拠写真が以下↓)
5回聞いたうちのなかで、今回の解説が一番詳しかった。だんだん前座が長くなる(笑)。
さて、去年まで私はヨガともヨガの呼吸法とも縁遠い生活をしていたので、ギーターのテキストを読んでも、呼吸法のあたりはそのままスルーしてましたが、今年は、多少なりとも、Pranayama(プラナーヤマ)という呼吸法がある、ということは知っていたので、あれ?これではちょっと翻訳文が意味不明だぞという部分がありました。
わたし達が使っているテキストは非公開なので、岩波文庫から出ている『バガヴァッド・ギーター』(上村先生訳)から、その部分を抜き書きしてみます。
他の人々は、すべての感官の働き、気息の働きを、知識により燃え上がらせた。自己制御のヨーガ(実践)とう火の中に焼べる。
他の修行者たちは、強固な信念をもって財産を祭祀とし、苦行を祭祀とし、(その他の行為の)ヨーガを祭祀とし、学習と知識とを祭祀とする。
他の人々は、プラーナ気とアパーナ気の道を抑制し、調息法に専念して、プラーナをアパーナの中に焼べ、アパーナをプラーナの中に焼べる。
ヨガのPranayama(プラナーヤマ)を知らず、ここだけ読んだら、さっぱり意味不明だと思うんですが、読者の皆さん、大丈夫なのでしょうか??
10月1日に紹介した
アイアンガー先生の本に、ちょうどこのギーターの第4章の呼吸のあたりを解説したページがあったので、ご紹介します。
吸気後に息を止めることを、アンタラ・クンバカ(Antara kumbhaka )という。宇宙のエネルギーという形で神をつかむことであり、それが自己のエネルギーに溶け込むのである。この状態が神が自己の魂と融合した状態である。
呼気後に息を止めることをバーヒャ・クンバカ(bhaya kumbhaka)という。ヨギが自己を息という形で神に捧げ、宇宙の息を溶け込むことである。このときヨギのアイデンティティは、神と完全に融合しているので、最も気高い形での自己放棄だといえる。
『バガヴァッド・ギーター』の4章29-30節でクリシュナは、アルジェナに対して、神に捧げる各種のヤジニャ(ヤグニャ/犠牲)とヨギについて説明している。クンバカ・プラーナーヤーマは、このヤジニャのひとつで、3つに分類できる。
吸気後のクンバカ、呼気後のクンバカ(これら2つはサヒタ・クンバカ)、ひとりで止まるクンバカ(ケーヴァラ・クンバカ)の3種類である。ヨギの身体は祭壇で、吸気(プーラカ)は供物で、呼気(レーチャカ)はそれを燃やす火である。クンバカは、吸気という供物が呼気という火で燃えた瞬間、供物と火がひとつになる状態である。
ヨギは自分の呼吸のコントロールの仕方を知っている(プラーナーヤーマ・ヴィディヤ)。胸郭上部は吸気(プラーナ)の住処で、胸部下部は呼気(アパーナ)の住処である。2つの息が吸気のあとで融合したのがプーラカ・クンバカである。
アパーナがプラーナと出会い、呼気で外にでていってしまったときの空っぽの状態がレーチャカ・クンバカである。
プラーナーヤーマを体得したヨギは、プラーナーヤーマの知識を知恵(ブッディ)の一部とし、この知恵に、自分の学習、体験、自分の生である息と真なる自己を神への供物として捧げるのである(アートマフティ)。
これがケーヴァラ・クンバカで、神への憧憬にヨギは完全に没頭しているのである。
実は、プラブヨガの
RYT500の最終日は、このプラーナヤマの授業のはずでした。しかし、前日にあった一般向けのヨガクラスがあまりにハードで、わたし達生徒の身体はヘロヘロ。とても呼吸法は教えられないと、急遽、身体のリリースに。
だから私はまだ、このプラーナヤマはさっぱりよく分かっていませんが、呼吸そのものが神への捧げ物になる、というところは、この解説で理解しましたー(5回目の講義にして(苦笑))。
昨日ちょうど、12月のプラブヨガの案内を書くために、アパーナやプラーナのことを調べたところだったので、英語のギーター本文のアパーナ、プラーナという言葉にピンときたこともあり・・・(12月の
2つめのクラス案内参照)。
私はもともと呼吸が浅く、大きく深く息を吸ったり吐いたりがとても苦手です。以前は、胸式呼吸をしても肋骨はビクとも動かないほど・・・。プラブヨガを始めて、ようや胸式呼吸の時に肋骨が少し開くようになったばかり(でも、まだまだ少ししか開かない)。だから呼吸法といえるほどのものがなかなか出来ませんが、まぁ、焦らず、少しずつこの3種類のクンバカも含め、呼吸法を習得していきたいと思いますー。
・・・ということで、ギーターの4章の呼吸のところの参考まで。なんとなーくイメージできそうな感じでしょうか。
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