Facebookでどなたかがシェアしていた佐藤シューちひろさんの投稿。彼女は、オーストリアの森の中で暮らし、10年以上洗剤を使わない生活をしており、草を洗剤代わりにしていると、書いてありました。
ええ~、草が洗剤になるの?とその意外性にびっくりです。ムクロジのように石けん代わりに使う植物ではなさそう。以前はクエン酸や重曹を掃除に使っていたそうですが、今はそれさえ使わないそうです。
佐藤シューちひろさん。ネットで検索すると、本を書かれていることを知りポチリ。
『ミヒャエルと一緒に冒険に行く』はちひろさんが実際に体験した異次元体験を小説にされたもののようでした。
この本の中から、ミヒャエル(大天使ミカエル)に家事を教わったときのエピソードを抜き書きします。
「おおっと!水おけに洗剤を入れるのはやめな!」
油汚れのものを洗おうとして、お湯をはった水おけに洗剤をたらそうとしていたら、ミヒャエルの叫び声が頭の中でひびいた。
「水がいやがるんだよ、洗剤を入れると」
1滴たらしたところで、洗剤を持つ私の手がとまる。手の中にあるのは、エコマーク付きの98%以上自然分解可能の製品だった。これもだめ? でも、水がいやがるといったら、何だか本当にそんな気がしてきて、洗剤を入れるのがかわいそうになってきた。
どうもこまった。洗剤なしで洗うなんて、いったい可能なんだろうか? まあ可能ではあるのだろう。昔は洗剤などというものはなくて、ちゃんとやっていたんだから。それに人類の歴史上から考えたら、洗剤なしにやっていた時代の方がよほど長いわけで・・・。
そこまで考えたところで、ミヒャエルがささやく声がした。
「清めるのは洗剤じゃない。水自体に清める力があるんだ。その力を使うんだよ」 (中略)
洗剤というものは油汚れを溶かしはするが、清めはしないのだ。洗うとか清めるとかいうことは、汚れを水とかぞうきんとか何か他のものに移して取り去るということだから。つまり清めるとは、汚れを受け取るということ。水の清める力とは、どんな汚れもくるみこんで受け入れる力のこと・・・。(中略)
ミヒャエルはささやき続けていた。
「水の力とは、すべてのものを受容する包容力だ。どんな汚れも受け入れる清める愛なんだ」
(中略)
洗剤というものは、汚れを水の中に溶かしてしまうのだ。だから水は汚れを受け取ったまま、はじき返せなくなってしまう。そして、まさにこのはじき返す力こそが、水の清さというものなのだ。水の浄化する力。それは汚れを包み込んでも汚れと同化しはせず、ふたたびはじき返して沈下させる力なのだ。それによって、水はつねに自らを浄化する。どんなに汚れても、またきれいになる。ところが、洗剤を入れてしまうと、その力が失われてしまうのだ。
(中略)
「水に感謝するんだ。そうすれば水と心が通じる。心が通じれば、水は力を増す。水は、君たち人間に協力したがっているんだ。君たちが心を向ければ、水はいくらでも力を増す。水と話すんだ。そして水に洗い方を教えてもらえ」
この章のオリジナルがちひろさんのblogに載ってました→こちら
私も常々、フツーの人の洗剤の使いすぎが気になっていました。キッチンで汚れの程度を問わず、すぐに洗剤をスポンジに落としてしまうクセがあったり、頭をアワアワにしながらシャンプーを2度、3度したり。
私は今、食器は、玄米を精米するときに出来る糠で。油汚れがあるときには、ドイツ製の生分解が高いと言われる洗剤を水に薄めて使っています。床やドアの掃除はフスマた微生物から出来ている「
とれる・NO1」で。洗濯はメダカも泳げるという「
バジャン」と、できるだけ環境に負荷をかけない家庭用洗剤を選んでいるものの、ミヒャエルがみたら、「洗剤を使っているなんて、まだまだ!」って言われそうですー。
家電メーカーで洗濯機開発に携わっていた方の裏話として、服の汚れの8割は水で落ちるそうです。あと2割の汚れのみ洗剤が必要。ずいぶん前に、
サンヨーが洗剤がいらない洗濯機を作ったら、洗剤業界からの圧力で、洗濯機の性能を落とさざるを得なかったらしい(
こちら参照)。
ともかくも、水の力は侮れないってことですね。水の力をまず信じてみる。水だけで十分汚れは落ちるし、その方が水も喜び、環境も喜ぶ。
家族で使う食器を洗う程度なら、水やお湯だけで十分かも。油汚れは、お湯に浸ける前に、古布やペーパーで拭っておけばかなり取れますし。
今は水の汚れの問題より、マイクロプラスチックの問題もありますが、一人ひとり、一家族ひと家族が排水に留意する生活を続ければ、それだけで水が喜ぶし海が喜ぶ。大河の1滴かもしれないけれど、その1滴も集まれば力になります。
最後のミヒャエルの言葉「水に感謝するんだ。そうすれば水と心が通じる。心が通じれば、水は力を増す。水は、君たち人間に協力したがっているんだ。君たちが心を向ければ、水はいくらでも力を増す。水と話すんだ。そして水に洗い方を教えてもらえ」とあるように、水と会話しながら、水が喜ぶような生活にシフトチェンジですねー。