昨夜から長野に来ています。今日は午後から「水輪」に移動。3泊4日のケイシー合宿がスタートしています。
新幹線の中で読む本として『退歩のススメ』という武道家の光岡英稔さんと僧侶の藤田一照さんの対談本を持ってきました。座りっぱなしの運動不足で運動嫌いのクセに、武道家の本は好きなんです。
最近の人はしゃがめない、ということはよく聞きます。トイレも洋式だし、お風呂のお湯を沸かすのに外でお風呂の加減をみながら槇をくべる、ということもしなくなりました。「しゃがむ」という場面が日常から消えてしまい、しゃがむ必要がなくなった、ということが言えるのかもしれません。
しかし、単に「しゃがむ」ことができなくなっただけではなく、しゃがむことで失った感覚がある、とお二人が話されていました。
その部分を少し抜き書きします。
光岡:物事には基礎があって、それがないと応用には移れません。しゃがめないのに坐禅はできないわけです。それでいうと、現代人は体の基礎をすっかり失っていると思います。 (中略)
(子供の頃から1日中、椅子に座る生活というのは問題です) ・・・というのは、椅子に座っていると感覚がお尻で止まってしまうからです。お尻から下はただぶらぶらしているだけのもので、足先までが自分だといった感覚がありません。
藤田:・・・足腰の存在が意識から疎遠になっている。だから、動きの上でも足腰をフルに使えていない。まさに、地に足がつかない状態です。
光岡:そうです。皮肉にも長い年月をかけて足腰をなくすための練習を私たちは日常の中で徹底的にやってきたんです。人は足腰が奪われたり、足腰の経験が消えてしまうと、一瞬にして自信を失います。自立できなくなります。そして足腰が消えていくと肚(はら)も失います。肚の経験に目が届かなくなると自分の直感がわからなくなります。
現代人が客観性や他人の評価が気になって、本当に主体的な選択ができなくなっているのも、そのあたりのことと関係していると思います。
(中略)
光岡:(40代の女性生徒は正座して三味線を長時間弾くと足が疲れてしまう) ・・・ところが二代前の90歳近い先生になると1日中、正座していても一切痺れが切れない。すっと立ち上がることができる。痺れが切れるというのは「私」が体を観ないようになり、身体から離れて、乖離した部分が別の世界へいってしまうから起きます。
さらに興味深いのは、正座と椅子の上で座って弾くのでは三味線の音が違うそうです。(中略) 現代人の身体感覚と生活環境に三味線を合わせた結果、昔の音と教えが失伝しかねない状況になっています。
(以下略)
お二人は椅子に座って行う坐禅を坐禅と言えるかどうか・・・とお話されています。
欧米の人はもともと床に座ったり、あぐらをかいたり結跏趺坐、半跏趺坐になるのが難しい人が多いので、ほとんどの人は椅子に座って瞑想をしています。
私は椅子に座ったままの瞑想はなんだか心許なく、椅子上でもあぐらをかいて瞑想をしますが、確かに下腹への力の入り具合は全く違います。
昔の日本人の身体能力を示す写真として、この画像はよく目にします。小柄な女性が60キロの俵を5つ、合計300キロも担いでしまう。一俵が60キロになったのも、これくらいの重さだったら軽く担げるからという理由かららしいです。身長、体重といった数値は現代人の方が高いはずなのに、身体能力は、現代人の方が確実に劣っています。
かつての日本人が簡単にできたことが、私たちにはもはや想像すらできない怪力に思えます。 私たちの身体は確実に退化しています。
プラブヨガでは、そけい部と踵に重心を置いてしゃがむ、ことをすることがあります。
前のめりではなく、うっかりすると、後ろにこけそうなギリギリのところで踏みとどまってしゃがむんですが、これが出来ない人が多い。私も去年は全くできませんでした。そけい部と踵に重心を置いてお尻を落とすと後ろにこけそうになるので、ついお尻を上げてしまう。
でも、何度もやっているうちに、これが簡単にできるようにはなりました(まだ長時間は保てませんが)。
使っていないと機能が衰えてしまうことを「廃用性萎縮」というらしいです。しかし、問題なのは、今の生ぬるい毎日だと、自分の身体機能のどこが「廃用」になっているか全く気がつかないし、気がつけない(涙)。
ジムに行っても鍛えられない、筋肉ではない肉体機能の可能性。まだまだ私たちにはたくさん秘めています。
脳も数パーセントしか使っていない、身体の機能もほとんど廃用となっている私たちってどういうこと?って愕然とします。
ただ1つ言えることは、「座ったままの生活」では衰えていくだけということ。階段を1段あがると、寿命が4秒伸びるそうですよ。
ともかくも、意識して立ち上がり、外に出て、凸凹道を歩いたり、石の階段やぬかるみを歩くといった刺激を与えていかないと。
退化と廃用が私たちのメインロードになっていきますから。