こんなリーディングを見つけてしまいました。
すべての人が、この実体のように、それぞれの家をきちんと趣味良く手入れすることができるとよいのだが。 状況によってやむを得ずそうなっている場合を除き、この実体の人生には、だらしないものや汚いものは一切ない。(4028-1)
私がケイシーさんに今、リーディングを取ってもらったとして、こんなほめ言葉は決してもらえないでしょう~。3年後、5年後にリベンジ!と決意しても、きっと同じだろなぁ~。
だらしないもの、汚いものが一切ない!とは、どんな人生で、どんな家だったのでしょう。
ミニマリストのように何もない家ではなく、趣味良く手入れがされていると褒められています。しかも「他の人もこうだったらいいのに~」とケイシーをして言わせてしまうなんて。いったいどんな暮らしぶりだったのか興味は尽きません。1944年のリーディングですから、もう調べようはないのですが…。
家や部屋を整えることは自分を整えることに繋がります。昨日、コンテンポラリー風水のコンサルタント向けのオンラインセミナーだったのですが、マークがこんなことを言っていました。「モノは常に何かを語っている。家にモノがありすぎる家というのは、そのモノたちが常に大声で叫んでいるようなもの」と。
そして、家に溢れかえっているモノの叫び声は、イコール、住んでいる人の心の叫びでもありますね。
家から一歩でれば、そこはアンコントロールの世界。でも、自分の家の中、部屋の中は、少なくとも何を購入して何をどこに置くかは自分たちが決めたものです。そして、何を処分するかも住む人が決められます。
片づけが苦手なら、やはりモノは少なくするに限りますねぇ。
このリーディングの依頼者のこのセンスのよい家づくりの傾向は過去生から来ているようです。
ということは、今生、家の中を心地よく整える習慣をつけておけば、来世は「だらしのないものが一切ない人生&環境を趣味良く手入れをすることが難なくできる」センスが身についているかも(笑)。
家の中の快適さを保ち続けるのは、やはり努力が必要。すぐに安易に、だらしない方に流れていってしまいますから。
そうならないよう、頑張りまっしょ!