今日は明日香村巡りの1日。
昨夜、千葉での仕事を終えて夜遅くに橿原に到着した友人に、行きたい場所は?と希望を聞くと「益田の岩船」と「藤原京址」。そして私の行きたいところが「香久山」。「益田の岩船」は別として、2人とも、明日香村観光客のほとんどがスルーしてしまう場所が第一希望という…(笑)。
ということで、まず朝8時すぎにタクシーで益田岩船に行き、ホテルに戻ってレンタサイクルを借り、自転車で橿原神宮⇒神武天皇陵⇒藤原京址⇒香久山を巡る。あとは適当に巡って「石舞台」あたりでタクシーを拾い、地元の人がオススメだという神社に行こうか、いうプランに決定しました。
中国の都城にならい、日本で初めて建設された本格的都城。持統8(694)年遷都。平城京遷都までの16年間、この地で持統、文武、元明の天皇三代が律令国家体制を強力に押し進めた。藤原京の規模は東西5.3km、南北4.8kmで、その中心部には藤原宮があった。天皇の住まいである内裏や、天皇が儀式や政治を行った大極殿跡が残る。最近の調査研究によると、平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられている。現在、宮跡には原野が広がり、大極殿跡には基壇が残る。宮跡からは東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山を望める。
藤原京址、はっきりいって「何もない原っぱ」です。
過去2回くらい車で寄りましたが、たぶん5分もいなかった気がします(笑)。
レンタサイクルのいいところは、目的地までの過程、景色の移り変わりを楽しめるところ。藤原京の跡地に行くまでに、そこが香久山、畝傍山、耳成山がつくる三角形に挟まれた場所にあり、東西南北がきちんと計算されて造られた場所だということが、景色を通して実感できました。
持統天皇や文武天皇も眺めたであろう3つの山と、そして当時と変わらぬ空を眺めながら、しばし心は飛鳥時代にタイムスリップ。明日香村に点在する不思議な遺跡とともに、ここは歴史ロマンを感じる場所です。
飛鳥時代、ここは人やモノが行き来した中心だったかも
藤原京宮殿跡から西の畝傍山をのぞむ
北には耳成山
東は香久山
友人によると、藤原京の真南には丹生川上神社の下社があり、
丹生川上神社と香久山は深い関係があるとのこと。丹生川上神社のお守りの解説にはこう書かれてあります。
お守り袋の中には、熱を加えていない天香久山の土と粘土でできた当月の勾玉が封入されています。
天香具山の土は古来、霊力が宿ると信じられてきました。神武天皇が天神のご教示を以て丹生の川上で祀られ、その力を増したと伝わります。
香久山の土にそんな霊力があったとは知りませんでした~(聖地の石や土は勝手に持って帰らないように)。
そして香久山は、うっそうとした草が生い茂る細い山道を登ることになり、山とも呼べない丘のような低い山なのに、あらかん の私にはちょっとした登山(笑)。さすがに前回よりは登りはきつかった。
当時の香久山の役割が何だったかは分かりませんが、小さな山なのに神社だらけ。古代の人はこの山に何を感じたのでしょう?
香久山から畝傍山をのぞむ。
以前来たときの記憶と景色は少し変わっていました。木々も高くなっていますし。
明日香村に行かれる方は、車じゃなく、レンタサイクル、オススメします。
メインディッシュだけじゃなく、景色を愛でたり、町の様子を味わえたり、風を感じたり、高低差を感じたり、ちょっとしたオヤツがたくさんあります(笑)。