寒川神社から夏越の大祓のご案内が届きました。案内にはこう書かれています。
大祓とは…
気づかぬうちに身についた様々な罪穢れを人形にうつし、半年ごとに神様の霊力により祓い清め、清浄で正直な心に立ち返る神事です。
いま読んでいる旧約聖書のレビ記。相変わらず、贖罪の捧げものの記述が続いています。これも一種の祓いなんですよね。
モーセは贖罪の雄牛を近寄らせた。アロンとその子らは贖罪の捧げ物にする雄牛の頭に手を押しあてた。それを屠って、モーセはその血を取り、指で祭壇の角につけ、祭壇を清めた。そして残りの血を祭壇の基に注いでこれを聖別し、贖いをした。
内臓の上にあるすべての脂肪、肝臓の小葉、2つの腎臓とその脂肪を取り、モーセは祭壇で焼いて煙を立ち上がらせた。ただし、雄牛の残りの部分、すなわち、その皮と肉と汚物は宿営地の外で火で焼き尽くした。これは主がモーセに命じられたとおりであった。
神道では、自分の罪穢れを人形に移し、それを神社でお焚き上げしたり水に流してもらって清めたり、茅の輪をくぐったりしますが、ユダヤでは、牛の頭に手を押しあててそれを屠殺することで、自分の罪穢れを牛にうつし、そしてそれを屠って、脂を焼いてその煙をたて、主に捧げたわけですね。
自分が罪を犯すと、動物の命を捧げなければならないというのは、かなりのインパクトです。
モロッコでは、羊犠牲祭りといって、一家に一頭、主に羊を生贄にして捧げ、そしてその肉を食べるという行事があります。基本、一家に一頭ですから、全国ではすさまじい数の羊がこの夜捌かれることに(私のように肉が全く食べられない人はどうするんでしょう??)。

いずれにせよ、国や文化、宗教は違っても、祓いと神への贖い、償いは生きていくうえで重要なことなんでしょうねぇ。
それにもしても、あっという間に2021年も半分まで来ています。コロナとワクチンとオリンピックがどうなるか…。
「今一度、日本を洗濯いたし候」。
日本中の神社がこの6月、いっせいに日本の罪穢れ、そして強欲を祓いに祓って日本を洗濯するっていうのはいかがでしょう? でも、首相クラスの罪穢れは、人形じゃとても足りない。牛や羊でも足りない。歴代の日本の政治家が犯し続けた罪穢れを祓うには、ゴジラ級ですかね。