金曜日にヨガが終了し、土曜日からは平常運転。この週末はオンラインセミナーが2つ。そして明日からはルーシャさんの個人セッションが6月末まで続きますー。
さて、
先月、友人たちと淡路島を旅行しました。
真っ先に訪れたのは、淡路の「
ありがとう村」。以前、北海道の洞爺湖で佐々木ファームをきりもりされ、『大地の花咲き』という映画にもなった村上ご夫妻が淡路に移住後、開拓された農園です。
洞爺湖から移住してたった4年で「ありがとう村」を軌道に乗せられているその様子に心が動きました。
岩崎靖子さんが監督した『大地の花咲き』は見ていましたが、まさかご家族で北海道から淡路に移住して、まったく1から再スタートをされていたとは知りませんでした。
その村上さんが佐々木ファーム時代に書かれたのが『
大地がよろこぶ「ありがとう」の奇跡』。「ありがとう農法」がどのように生まれたのか、見えない世界からどんな導きがあったのか。4歳で亡くなった息子さんからのメッセージなどなど、たぶん、テンプルのお客様にはピンポイントの本だと思いますー。
でも、このブログでご紹介するのは、本のメインテーマではなく、冒頭の「はじめに」から。食べることについて、村上さんが考えるきっかけになった出来事です。
ある日、加工工場に見学に行ったときの話です。うちの農場でつくったレタスは、その加工工場に運ばれ、そこからコンビニやファミリーレストランに納められていました。私は自分が一生懸命に作ったレタスが、どう扱われて商品になり、どんな人にどんなふうに喜んでもらっているのか、知りたくてたまりませんでした。人から必要とされる仕事をしていることを、この目で確認したかったのです。
ところが・・・
私は、あまりに無知でした。私が出荷したレタスがどう扱われているのかを見て、愕然としました。悲しくなってきました。その場で動けなくなったのです。
箱から出されたレタスは芯が取られて、工場のラインに乗せられます。そして、薬品で何度も洗浄され、漂白され、保存剤が加えられ、脱水されて、パックに詰められます。それが、コンビニやファミリーレストランに納入されて、サラダやサンドイッチなどになって、お客さんの口に入るのです。
私は、思わず、工場長に質問しました。
「あのレタスは、レタスの味がするのでしょうか?」
工場長は、当然のような顔をして、「レタスの味はしないでしょうね」
彼は表情を変えずに答えました。
「なぜ、ここまでするのですか?」私は、さらに質問を続けました。
「私たちにとって一番怖いのは、異物混入です。それに、すぐに腐ってしまったり、赤くなったりすると、商品になりません」 工場長はていねいに答えてくれました。(中略)
ほかにも、薬品を使って古くなったレタスをパリパリの状態に蘇生させていたり、大量の食品が破棄されたりする現場も見ました。そのころから私の中に、そんな疑問が居座りました。
コンビニやスーパーで売っているカット野菜が何故数日間色も変わらずパリパリなのか。何のためにその必要があるのか。知っておく必要がありますね。
以前、野菜加工工場を舞台にした小説を読んだことがあります。小説では、その食品加工工場で作られ、余ったお弁当を毎日食べていた社員が次々と病気に倒れている・・・。そんな食品加工工場の裏側を暴いた小説でしたが、あれは現実のことなんですよね。
もう何年も前ですが、キネシオロジー講座で、ファストフードやコンビニ食など、アチコチから集めた「身体に悪そうな加工食品」の中で、一番、食べないほうがいいのは何か?を調べたことがあります。
記憶が正しければ、その時栄えあるワースト1を獲得したのは、コンビニのサンドイッチ。何年も腐らないことで有名な例のハンバーガーかと思っていたら、もっと身近なものだった。
サンドイッチが栄えあるワーストになったのは、薬剤に漬けられ続けたレタスだけじゃなく、使われているパンやマーガリン、そして缶詰のコーンなど、その他の要因も加味していたと思います。
単に値段と胃を満たすことだけを考えて食品を選んでいると、あとでそのツケは自分の身体に返ってきますねー。
明日、駅の売店やコンビニ、スーパーで、パリパリのレタスが入ったサラダやサンドイッチを手に取ろうとしたら、上の文章を思い出して下さいませー。そして残りの人生の間、ずっと手に取らないように。自分の心と体を守るためにも。