瞑想とは何か。リーディング281-41(その6)
2021年 02月 11日
汝の体、汝の心を清めよ。 祈りによって自らを聖別せよ。 しかし、「私が他の者のようでないことを感謝します」と祈った者のようであってはならない。 むしろ、(イエスが対比して語られたところのあの貧しき者が持っていた)あの謙虚さが汝の心になければならない。なぜなら、汝らが神を知ろうと思うなら、汝らは自らを謙(へりくだ)らなければならないからだ。 そして、心を開き、求め、罪を悔いる心を持って、汝に道が示されることを願うことだ。汝に道が示されたなら、他の道に顔を向けてはならない。 汝に示された幻視(ビジョン)に忠実であれ。 そうすれば主が語り給う。 なぜなら、主の約束は昔も今も「汝らが呼ばわるなら、私は聞き、速やかに答えん」であるからだ。 主が語られるとき、汝のものであるところの機会と栄光に汝の心と精神を開け。それらの機会と栄光は、瞑想によって汝の意識、汝の願望を生ける神に同調させて受け入れさえするなら、汝のものであるからだ。 そして、かつて主が与えられた「他の人々はするままに任せておこう。しかし、私は、礼拝する。そう、私は生ける神に仕える」という言葉を自らの内に語り聞かせ、それを生きよ。主は汝から遠からじ! 主は汝の右手よりなお近し。 主は汝の心の戸口に立ち給う! 汝は主を招き入れるや? それとも、主を立ち去らせるだろうか?