瞑想とは何か。リーディング281-41(その4)
2021年 02月 09日
神は、神の誡(いまし)めを知り、それを実行しようと求める人々を報い給うことを信じなければならない!
汝らが内なる自己の中から神を呼びさえするなら、神が古に与えられたことは、人が神との関係や神のご意志を初めて知ろうとした時と同じほど、今日も新しい。 汝の体は生ける神の神殿であることを知れ。 そこにおいて神は汝と会うことを約束されたのだ!汝らは恐れているのか? 恥じているのか? 汝自身の幕屋の中にて汝の神に会っていただくことを恥じるほどに、汝は機会をないがしろにし、自らの体と心を卑(いや)しめてきたのか?それ故、汝の家を整えないならば、汝に災いが臨(のぞ)む。 既に述べたように、汝自身の体の内に、汝自身の魂と精神との肉体的な接点があるからだ。
汝らは、針に触れば痛みを感じるということを、誰かから教えてもらわなければならないのか? そのような認識は、脳との間で神経系を通して行き来する意識の活動であると汝らは教えられる。それと同じように、永遠なるものとの接点が汝の肉体の内にあるのだ。 そこには、いつの日か砕かれる鉢があり、いつの日か汝の肉体から断ち切られる紐があるのだ。そして、体から去るということは、神の御前に出るということなのである。
汝の神とは何か? 汝の願いは、明日食べられるだろうか、何を着ればよいのだろうか、ということだけに置かれているのだろうか? そのようなことを汝自身の意識の一大事にしてしまうとは、なんと信仰薄き者、希望薄き者であろうか!
汝らは、神のものであることを知らぬのか? 汝らは、神によって造られたるものなのだ。 神は、汝が滅びないことを望んでこられた。しかし、汝らが神との関係に目覚めるかどうかということすら、汝らに任されてこられた。 汝自身の家、汝自身の体に、近づく手段がある――それは、何よりもまず神を知ろうと欲することによってである。