瞑想とは何か。リーディング281-41(その2)
2021年 02月 07日
多くの人は、魂を持っているという意識は全くないと言う。
しかし、汝らが希望し、より良いものを欲するという事実そのものが、 悲しんだり喜んだりできるという事実そのものが、 その本質において一時的ではない何物か、 臨終の息とともに消え去ることのない何物か、 自分の起源そのものであるところの魂 ――造り主の似姿に造られたもの――それは汝の肉体でもなく――汝の精神でもなく――創造主の似姿であるところの汝の魂に 基づくところの精神活動を示しているのである。それ故、瞑想とは、造り主との関係を知ろうと求めている汝の肉体的属性と精神的属性を同調させることである。 これこそが真の瞑想である。あなたはそれをどのようにして実現するか? 汝らは、個人として、どのようにして瞑想を学べば良いのか?
汝らは、歩くこと、話すこと、日常の状況――事実や態度や状態や環境――に合わせて汝の精神の肉体的属性を行使することを習い覚えてきたように、瞑想を習得しなければならない。
それ故、汝の精神体と汝の肉体の一部を用いて、汝の魂の体、つまり汝の超意識に対して、意識的な接触を持たなければならない。 このような名称は、汝らがそこに有限な枠を設けたことを示しているが、魂に境界はない――それは、多くの方法、手段、仕方によって、あなた方一人一人の心の表現に示されている。しかし、解剖学者の見出していない、想像力、精神を探求している人々にも見出されていない、肉体的な接点がある。 体内には通路があり、導管があり、分泌腺があることが見出されている。生き、動き、思考する存在の内には、誰もその働きの何たるかを知らない、さまざまな活動がある!
多くの人において、そのような働きは眠っている。 多くは衰えている。 なぜか? 使わずにいるからであり、活動していないからだ! 食欲や自己耽溺などの欲望ばかりがもっともらしく振る舞い、それらの能力をそのような方向に消耗してきたために、優れた活動のために人に与えられてきたそれらの能力を乱用し、誤用する人々の霊的人生においては、いわば、たんなる廃棄物になるのである。

今日は瞑想のお礼をお伝えさせてください。先日、とても混乱する出来事が起こり、その時「あ、瞑想の時間があって良かったな」という事でした。混乱する出来事に引きずられず、瞑想の心地よさに意識がいったことは驚きでした。とても気持ちの良い切り替えが出来ました。それと、今日ふと、「あれ?心の中が『大丈夫』と言っている」と感じました。いつも不安や恐怖の中にいたのに。なんて幸せなんでしょう。光田さんは祝福の水路となり、私を導いてくださったと思います。本当にありがとうございます。私もそうでありたいと、日々瞑想と祈りと奉仕を心掛けます。心よりお礼をお伝えいたします。光田さんありがとうございます。