私は劇作家で演出家の鴻上尚史さんの書かれるものが好きで、おりにふれて読んでいます。
高校時代、この本を読むことができていたら、私はどんなに心が救われたかしら、と思いながら、冒頭部分を読んでいました。
冒頭で鴻上さんはこんなことを書かれています(全文ではなく、少しずつ抜き書きしています)。
…毎日、自分が一人にならないように、ずっと相手を探してきました。グループからはじき飛ばされないように、毎日、人間関係に苦しんできました。
とりあえず、面白くもない相手の話に相槌を打ち、虚しいけれど笑い、したくない会話をして、一人になることを避けてきたはずです。
それはもちろん、「孤独はみじめだ」と思っているからです。
そして残念ながら一人になることがあると、「いったい何が悪かったんだろう?」と考えます。「どうして、こんなことになったんだろう?」「一人はなんて淋しいんだろう」
…でも、本当にそうなのでしょうか? 本当に一人はみじめなんでしょうか?
一人でいることは、そんなにみじめで恥ずかしいことなんでしょうか? 一人がみじめなんじゃなくて、一人はみじめだと思い込んでいることに、苦しめられているんじゃないかと、僕は思うのです。
「一人はみじめだから、とりあえず、友達を作る。でも、友達になりたいからじゃなくて、一人は嫌だから友達になる」 そんな動機で始まる人間関係は、問題が起こって当たり前なのです。
「一人であること」は、じつは、苦しみでもなんでもありません。「本当の孤独」を体験した人なら分かりますが、ちゃんと一人でいられれば、その時間は、とても豊かな時間です。さまざまな発見を経験する時間になるのです。
「一人はみじめだ」と苦しみ、いろんなことを思い悩み、心が忙しい状態が、じつは、「ニセモノの孤独」です。
一日、誰とも会話せず、家に帰り、携帯電話もならず、「一人は哀しい」と思い込んだ状態は孤独ですが、いつも他人を求めている「ニセモノの孤独」です。
あなたは一人ですが、頭の中では、いつも他の人を求めていて、本当の孤独ではないのです。「一人であること」を否定して、とにかく誰かを求めている「ニセモノの孤独」」です。
何度でも言います。「一人であること」が苦しいのではありません。「一人はみじめだ」という思いが苦しいのです。
大学に入学した直後、同じクラスになった同級生(女性)にこう声をかけられました。
「あなた、高校のとき、クラスで浮いとったやろ。気のあう友達ってあまりおらんかった(いなかった)やろ。あなた、変わっているもの」
「どうしてそう思うの?」と聞いたら、「だって、すごいマイペースだもん」
知り合ってまだ数日で、それほど話もしてない人に「あなた変わっている」と言われてしまうくらい、私は廻りの人とペースがあわず、浮いていたんですね(笑)。
でも「変わっている」と言ってもらったことで、ずいぶん気が楽にもなってました。水戸黄門の印籠をもらったような感じ(笑)。
小学校の頃から、同級生が「面白い」と思ったり、毎週欠かさず見て話題にしていたテレビ番組を、私自身は面白いと思えないことが多く、でも、その大多数の「面白い」にあわせないとクラスで話が合わないので、自分は面白いと思えない時間をいく日も過ごしてきたので、「そうだったのか~」とようやくこの時にガッテンしたわけですー(苦笑)。
学校で友達がいなかったわけでも、週末一緒にどこかに行く人がいなかったわけでもなく、仲良しの友達はいつもいました。でも、それは心のどこかで「一人になりたくない」という思いからの関係が多かったかも。
十代の女の子は特に、誰かとつるむ、誰かと一緒にいる、ことが何よりも大事な時期なので(それはホルモンなどの働きによる自然の欲求らしいです)、友達と一緒に過ごした十代はそれなりに楽しかったです。でも、一人の時間も、同時に豊かな時間だということを知っており、ちゃんと一人でいることができたら、同級生と話があわない自分を責めたり悩んだりはしなかったしょう。
人間関係に悩んでいる人、ちょっと変わって、周りの人から浮きがちになっている方、そして、十代の方にお勧めの一冊。
スマホとSNSで簡単に人と繋がり、簡単に寂しさを紛らわすことができる今だからこそ、あえて、「一人でいること」を考えてみる、体験してみるのは大事です。