私の平家物語ーその16
2020年 08月 22日
実はその前あたりから、過去世の1つが平家だったという方と出会ったり、もともとの友人が、過去世をみてもらったら平家一族だったと言われた、ということが続きました。
しかも、本人たちも、過去のその人物像を調べてみると、現在の自分の人生とのリンクがあったり、思い当たることがあるらしい・・・。
「その9」の旅で一緒に加計呂麻に行った友人もその一人。資盛だったのではないか…と言われていました。彼の今回のお仕事は芸能関係ですから、確かに、加計呂麻に不思議な踊りを伝えたという資盛とは、芸術の才能というところで繋がりがありそうです。過去世で、資盛の恋人で歌人だった建礼門院右京大夫だったかもという女性は、今回の人生では物書きでした。
ですから、なんだかここ最近、平家の魂を持っている人とのご縁が続くなぁと感じていた時期の、あの供養の旅だったのです。
すぐに平家 斜視 と検索したら出てきました。平忠盛。清盛の父親です。
木村さんにその旨返事をしたら「どうもそうらしい」。
2~3日後ようやく目は元に戻りましたが、平忠盛は龍神の力をしても、あの時、一緒に上にあがれなかったのでしょうか?
ちなみに平清盛がもうちゃんと成仏し、天界に上がられたかどうかは分かりません。
何人かも霊能者に聞いてみましたが不明です。あのように誰もが知って、何度も物語になっている歴史的人物は、この何百年にもわたり、日本中の人の思いや願い、念などが加わわっており、さらに小説や物語によって新しい清盛像を作られているので、私のような素人が清盛の供養に手出しするのは危険だと。
確かにそうだと思います。
3回目の加計呂麻の旅の際、島に到着してすぐに龍神神社を訪れ、龍神様に供養のサポートをお願いしていたことは「その13」で書いています。
その時、木村さん、実は龍神様から「源氏平家の供養を手伝う代わりに壱岐の小島神社を浄めてほしい」と頼まれ、それを承諾していました。
ところが、その依頼を2年以上実行していなかったために、「約束を果たさないのであれば娘の命をいただく」という厳しい警告を受け、それであの壱岐行きとなったわけです。
しかも、後で知ったことに、この壱岐の島の神社のことは、娘さんがその10年前に夢でみていました。神功皇后の朝鮮出兵のときからの龍神様の願いが、時を経て、こんな形で果たされることになったというのも、想像したらスゴイことです。
2016年~2017年にかけて、光田家の先祖の願いということで、平家の供養と和合の祈りを続けてはいたものの、本当に果たされたのか、実際のところ、私にはさっぱり分からずでした(笑)。
ところが、あの大がかりなご供養を加計呂麻で行ったあと、ちょっと不思議なことがありました。
もう時期は覚えていないのですが、奄美の旅が終わってしばらくした頃、知り合いのサロンでセミナーが開催され、それに参加したことがあります。そこの母娘も霊感がとても強いんですが、セミナー前夜、お母さんが娘に急にこう言ったそうです。「明日、平家の方々が降りていらっしゃいます。高貴な皆さんなので丁重にお迎えするように」
びっくり!
そしてセミナー当日、相変わらず私には何も分からずでしたが(笑)、後日、彼女に「平家の皆さんはいらしてました?」と聞いたら「来られていましたよ。お礼にいらしてたみたいです」と。

何かのエネルギーが集中したタイミングだったんでしょうね。
15回+1回。合計16回にわたり書いてきたこのシリーズも終わりです。
供養はエンドレス。終わりはありませんねぇ。
大事なのは、お一人おひとりがご自身のご先祖様のご供養をすること。自分の家の先祖供養は、他の誰もやってくれませんー。家に仏壇もないし、しばらくお墓参りに行ってないなという方は是非どうぞ。
そしてご先祖様の命の繋がりの先頭に立っているのは、いま生きている私たち。その私たちが自分の人生を生き、精いっぱい幸せになることも先祖供養になるそうですよ。