私の平家物語ーその11
2020年 08月 17日
今は、関西国際空港から奄美大島まで格安飛行機が飛んでいますが、当時はまだ飛んでいませんでした。伊丹まで行くのが少し大変なので…と、和歌山在住だった木村さんは、関空から成田までいったん飛び、成田で私たちと合流する、という大飛行に。
なんと、合コン幹事の方から「急に仕事が入ってしまい今夜の合コンはキャンセルしたい」という連絡が。本人は「申し訳ない」と平謝りでしたが、いえいえ、いいんですよ。大がかりな平家源氏の供養を行うことになったこともあり、その前の合コンは、気持ちがさらに乗らないなぁと思っていたところなので、本当にこれは神のお計らいでした。
女性軍が合コンに行くなら早めに一人で加計呂麻に入っておく、という手筈になっていたTさんから「それなら今夜は一緒に奄美に泊まるので、これから奄美大島にある平家関係の神社を巡りたい」という提案が。彼は弘美先生の右腕として一緒に供養や神事をしている人なので、彼がいるなら、では加計呂麻島に渡る前に、奄美の平家関連の神社に行きましょうということになりました。
平家の落人「今井権太夫」を祭った神社。今井権現へと続く石段は、江戸時代に薩摩への航海安全を祈願した船主によって、薩摩の石材を持ち帰り寄進したものと言われています。また、境内には「五穀豊穣萬民快楽」と刻まれた石碑などがあります。この「今井権現の石段及び石碑」は町指定文化財に指定されています。 https://www.jalan.net/kankou/spt_46527ag2130014389/
苔むした長い階段をあがると広めのたたきのある本堂がありました。扉が開いていたこともあり、中に上がらせていただくことに。すると、太鼓があったので、弘美先生の太鼓とともに、行者の皆さんがいつもあげている一連の祝詞、般若心経、真言などを唱えさせていただきました。
御祈祷のさいちゅう、平安朝の真っ白い衣装を着けた平家と思われる方々が降りてこられ、なにか不思議な踊りを舞われてましたと。
どんな踊りでした?と聞いてみると、
「盆踊りのように全員が前を向いて踊るじゃなくて、輪になって、横っ飛びみたいな感じで踊られたんですよねー。説明が難しいけど、こんな感じ」とデモンストレーションされた踊りが、まさに諸鈍シバヤ。
この後、雨が降り出し、雨の中を平行盛神社へ。