私の平家物語ーその6
2020年 08月 09日
私が子供のころ、我が家は田舎には珍しい核家族でした。仏壇もなかったので仏壇に手を合わせるという習慣がない。誰かが何かに手を合わせている姿をみることも、お寺や神社にお参りにいくこともなく、それは徹底して家族のイベントからはずれていました。生後すぐのお宮参りもなし。
同級生たちは幼い頃、七五三に代わる、似たような「お稚児さん」という地元の風習に参加し、着物を着せてもらい顔に白塗りに麿のような眉毛を書いて稚児行列に参加していましたが、我が家は「子供にあんな変な化粧をして歩かせるなんて!」と「お稚児さん」参加は即刻却下。
隣の家は同い年の幼馴染が住んでいました。両親+子供3人、父親の兄弟2人と祖父母合計9人の大家族。親族の月命日には必ずお坊さんが来て読経をあげて帰る。家に遊びに行くと亡くなった曽祖父母の写真が壁にかかっており、仏壇に手を合わせることは毎日の家族の習慣。なんでこの家にはしょっちゅうお坊さんが来るんだろうと不思議に思うほど、先祖供養が身近な家族でした。
別の友人は、家族全員、朝晩必ず仏壇に般若心経を唱えるのが家族の習慣でした。
そんな、先祖供養も神様も身近にない子供時代を送ったので、当然大人になってもやってない。
そういえば、テンプルを始めた頃、三宿の山本印章さんに印鑑を作りに行ったとき、店主に「あなたは光田家の先祖からずいぶん頼られていますね。先祖供養も頼まれていますよ」と言われたことがありました。私は、親戚縁者からは光田家の長男と呼ばれておりまして・・・。
その時のことはブログに書いてました。
印鑑屋さんとの会話
「光田家の先祖はあなたを跡継ぎだと思っているようだから、お墓参りをちゃんとしなさい」
「いえいえ、私には兄がおりまして、兄が光田家の跡を継ぐ身だから、お墓を託されるってことはないと思うんですが・・・」
「あなたの先祖は、あなたの兄を当てにはしておりません。あなたがご指名されているんだから、あなたが跡を継ぎなさい」
そんなこんなで、光田家の魂の長男としては、我が家では先祖供養がほとんどされていないことを心のどこかでいつも気にしていたのかもしれません。毎日コツコツはできないけれど、どこかで一度ちゃんとやりたいなと。
その先祖供養がいつしか平家の供養と、源氏平家の天界での和合に・・・。
そして、平家供養のために、私は3回奄美大島、加計呂麻島に通うことになります。